宇治に来たとき「YOUは何しに日本へ?」の番組で、創業500年の歴史ある
老舗のお店にスイスからお婿さんが来るのを見たことを思い出してましたが
お昼を済ませて平等院表参道を歩いていると、「上林三入」のお店の前で
お客さんをお迎えしている、あの番組で見たYOUの姿がありました。
思わず「あのYOUですね。」と、声を掛けると「見てくれましたか」
と言って握手までしてくれました。(^з^)-☆
お店の2階に上がると、創業天正年間 将軍家御用御茶師の宇治茶資料室があり
御茶壺道中の様子を、お人形で再現されていました。
宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のことを、御茶壷道中といいますが起源は慶長18年(1613年)、江戸幕府が宇治茶の献上を命じる宇治採茶師を派遣したのが始まりです。
元和年間、使番が使者に任命され宇治茶を運んでいましたが、徳川家光の時代の寛永9年(1632年)に制度化され、寛永10年から幕末の慶応2年(1866年)まで続けられたそうです。
これは江戸時代の御茶壺です。
創業500年将軍家御用達の「上林三入」に、よく溶け込んでおられました。
日本語も大変お上手で、おもてなしの接客も素晴らしかったです。
老舗のお店にスイスからお婿さんが来るのを見たことを思い出してましたが
お昼を済ませて平等院表参道を歩いていると、「上林三入」のお店の前で
お客さんをお迎えしている、あの番組で見たYOUの姿がありました。
思わず「あのYOUですね。」と、声を掛けると「見てくれましたか」
と言って握手までしてくれました。(^з^)-☆
お店の2階に上がると、創業天正年間 将軍家御用御茶師の宇治茶資料室があり
御茶壺道中の様子を、お人形で再現されていました。
宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のことを、御茶壷道中といいますが起源は慶長18年(1613年)、江戸幕府が宇治茶の献上を命じる宇治採茶師を派遣したのが始まりです。
元和年間、使番が使者に任命され宇治茶を運んでいましたが、徳川家光の時代の寛永9年(1632年)に制度化され、寛永10年から幕末の慶応2年(1866年)まで続けられたそうです。
これは江戸時代の御茶壺です。
創業500年将軍家御用達の「上林三入」に、よく溶け込んでおられました。
日本語も大変お上手で、おもてなしの接客も素晴らしかったです。
とっても立派なお仕事されておられるので、反省なんてとんでもないことです。
外国の人が日本に来られて、日本の人が世界へ・・・ええことですね。(^з^)-☆