タイトル名「縁を生かす」 心に響く小さな5つの物語より を
感動の言葉「母の席に座ってください」 に、タイトル名を変更しました。
G7で、オリンピックのパブリックビューイングが中止に決まりました。
パブリックビューイング(英: public viewing)とは
スポーツ競技やコンサート等のイベントにおいて、スタジアムや街頭などにある大型の映像装置を利用して観戦・観覧を行うイベントのことである。スポーツ競技では主にオリンピックやFIFAワールドカップ、プロ野球、Jリーグのリーグ戦終盤やポストシーズン、プロボクシングの世界戦で選手の地元向けなどに行われる。(Wikipediaより)
「縁を生かす」
その先生が5年生の担任になった時
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に、先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に間違いない。先生はそう思った。
2年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」とかかれていた。
3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」後半の記録には、「母親が死亡。 希望を失い、悲しんでいる」とあり
4年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。 先生にとっては目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない? 分からないところは教えてあげるから」 少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわきおこった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんのにおい! きょうは素敵なクリスマスだ。」
6年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」
それから6年。
またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。 僕は5年生で先生に担任してもらって、とても幸せでした。 おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」
10年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と、父親に叩かれた経験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担任してくださった先生です。」
そして1年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、かきそえられていた。
~縁を生かす~ 致知出版社刊『心に響く小さな5つの物語』より
ポストに入っていた感動実話の一枚ですが
「母の席に座ってください」の言葉に涙が止まりませんでした・・・😢
とても良いお話なので、書き留めておきます。
感動の言葉「母の席に座ってください」 に、タイトル名を変更しました。
G7で、オリンピックのパブリックビューイングが中止に決まりました。
パブリックビューイング(英: public viewing)とは
スポーツ競技やコンサート等のイベントにおいて、スタジアムや街頭などにある大型の映像装置を利用して観戦・観覧を行うイベントのことである。スポーツ競技では主にオリンピックやFIFAワールドカップ、プロ野球、Jリーグのリーグ戦終盤やポストシーズン、プロボクシングの世界戦で選手の地元向けなどに行われる。(Wikipediaより)
「縁を生かす」
その先生が5年生の担任になった時
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に、先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に間違いない。先生はそう思った。
2年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」とかかれていた。
3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」後半の記録には、「母親が死亡。 希望を失い、悲しんでいる」とあり
4年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。 先生にとっては目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない? 分からないところは教えてあげるから」 少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわきおこった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんのにおい! きょうは素敵なクリスマスだ。」
6年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」
それから6年。
またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。 僕は5年生で先生に担任してもらって、とても幸せでした。 おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」
10年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と、父親に叩かれた経験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担任してくださった先生です。」
そして1年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、かきそえられていた。
~縁を生かす~ 致知出版社刊『心に響く小さな5つの物語』より
ポストに入っていた感動実話の一枚ですが
「母の席に座ってください」の言葉に涙が止まりませんでした・・・😢
とても良いお話なので、書き留めておきます。
人との繋がりが希薄になってきていますが
良い出会いがあって・・・
その出会いを大切に思われてきたことが
「母の席に座ってください」だったのです。
久しぶりに感動しました! (^^ゞ
私も、あのニュースを見ていましたが
G7が終わった直後の、ブログ投稿だったのですね。
これからも楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
スポーツの技が出来る出来ないは、たった一つの山かもしれませんが、そこにたどり着くまでの地道な努力があるからだと思います。
少年は、善い先生に出会えて自らの道を拓きました。
> 電子機器のゴミで作られた首脳たちの像 私も見ましたよ! ゴミだけで、上手に作られていますね・・・
きのうはブログを休みにする予定でした。ところがG7が終わった直後でしたから、急に思い立って投稿しました。
ワクチンを奪い合うG7首脳の縫い後るみがあったのですが、探し当てられなかったです。