喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

佐田岬再発見 ~豊予要塞 第二砲台~ 

2010-07-03 | ブログ
 これは、ふるさと佐田岬に残る、豊予要塞第二砲台あとです。

 豊予要塞とは、大正8年(1919)に計画が出された、
愛媛県南予地方から豊予海峡をはさんで大分県東部にわたる広大な要塞。
各地の要所に監視所や砲台がおかれました。

 瀬戸内海にある広島や呉の重要都市や工場などを守る目的だったようです。

 この第二砲台は、昭和2年(1927)に工事が始まります。
直径30センチのりゅう弾砲4門がそなえられていました。
りゅう弾砲とは、簡単にいうと散弾銃が大砲になったようなもの。

 現在は、台座のみ残っていて、そこに水がたまっています。

 大砲の長さ5メートル。射程距離は、12㎞。
昭和9年に撤去、呉に運ばれ、解体し、
重要地点である大陸に運ばれたといわれています。

 豊予要塞では、試験のため1発撃たれただけで、
実際に戦争に使われることはなかったようです。
 しかし、その1発でごう音とともに、
近くの民家の窓ガラスが吹き飛んだといわれています。

 太平洋戦争後は、ため池として使用されました。

 砲台周囲は、敵に見つからないように、
迷彩がらでコンクリートが塗られていて、
これもまた貴重なようです。

             岬人(はなんちゅう)

言いわけをしない

2010-07-03 | ブログ
 アンテナを高く、感度良くはり、情報をキャッチしようとしています。

 サッカーワールドカップで感動を与えてくれた日本チーム。
この日本サッカー誕生の秘話を知りました。

『大切な人に贈りたい24の物語』~本では紹介されなかった感動ストーリー~より。

「言い訳をしない」

 サッカー協会でサッカーを野球のように
プロ化するかどうかを巡って会議が行われていました。

 いろいろと意見が交換されましたが、
すぐにプロとしてやっていくには難しいという意見が多く、
プロ化を見送ることが決まりそうになったときです。

 川淵チェアマンが、
「何でも時期早々と言う人は10年経っても何もできない。
まして、前例がないと言う人は100年経っても何もできない」
と言いました。

 この発言で流れが変わって
サッカーのJリーグをスタートすることになったそうです。

 その後、川淵チェアマンを中心に
サッカー協会が熱心に活動した結果、
Jリーグはプロ野球の人気が下がるのと反対に、大きく成長しました。

 サッカーファンだけでなく、多くの人に支持されて、
地元の人にとってなくてはならないチームも数多く誕生したと思います。

 できない言い訳を探すのは簡単です。
何かに挑戦しようと思ったとき、
「本当に難しいことなのか?」
「挑戦することを恐れて言い訳をしているだけなのか?」
をよく考える必要があると思います。

 やらなかったことを後悔するよりは
たとえ失敗してもやったほうが結果的に得るものが大きいです。

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 この話は、会議で反対の意見ばかり出るときによく思い出します。
もちろん、いつも反対を押し切って実行するのが
正しいとは限りません。
 でも、ちょっと頑張れば実現できそうなことも、
「やったことがない」
「今はその時期ではない」
という理由だけで行われないことが多いと思います。

 新しいことに挑戦するときには、
冷静に失敗するリスクと成功で得られる成果を
検討する必要があります。
 紙に書き出してみると、
リスクが思っている程大きくないことに気づきます。

 現状を維持するのが一番難しい。
何もしなければ悪くなってしまうのが普通だと思います。
 本当は何もしないのが
一番のリスクなのかもしれません。

 一歩踏みだす勇気。
新しい世界は、そこから広がっていくのでしょう。

          岬人(はなんちゅう)