愛媛県の「少年の日」誕生への熱い想いがそこにあった。
当時の愛媛県青少年育成協議会会長 戒田敬之さんの青少年育成に対する想いを知った。
『昭和38年10月、愛媛県社会福祉協議会会長に就任しました私は、児童問題対策協議会において「子どものしあわせを守る県民運動」を提唱いたしました。
(中略)
私は第一回少年の主張大会における中学二年生の藤原さんの発表を忘れることができません。
藤原さんの家では、毎年元旦の朝家族そろって初詣に行くという体験談でありました。
その内容の一部を載せてみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/64/583a4bb679f6d737a88e40f348242cd4.jpg)
「・・・除夜の鐘を遠く近くに聞きながら、約四キロの夜道を町並みにそって歩くのですが、
途中幾度か寒さのため運ぶ足も遅れがちになります。
そのたびに心にむちうって、
「楽を求めながら目的を達しようなんて、少なくとも若いものの考える事ではない」
という父のことばや、
「苦しむところにこそ、その道は開ける」
などという母の意見にしたがって、決して車などの参詣はしません。
私も同感で、水銀灯に光る白い息を手にはきかけはきかけ、さすような風に凍える手をこすりながら、黙々と歩いて道後の「いさにわ神社」に詣でるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/77/3a2f6564bb05aa769349dcd1fb6417c3.jpg)
父のことばをかりれば、神社にお参りするということは形の上だけではなく、
立志、感謝、心身の鍛錬といろいろの要素がふくまれているのだそうです。
そのような意味で、わが家で実行している初詣では、神社の社頭においてその年のしあわせを願うとともに、
新しい誓いを立てることだと私は思っております。
私は神の存在についてはよくわかりません。
しかし、少なくとも神とは、人それぞれの心の中にあるものだと理解はしているのですが、
なにかに感謝し、なにかに誓いを立てることの喜びを、きょうこのごろになって強く感じているのであります。
それはまた「少年の日」における、私たちの覚悟にも置き換えられると考えます。・・・」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/cf/f614b3106a66bb97ebdcaca5b8e56e5b.jpg)
戦後の日本は、あまりにも行き過ぎた民主主義や、誤った進歩主義のため、
新しい世代に伝えてゆかなければならないわが国の美しい伝統や文化を破壊し、また忘れ去っているのではないかと、
ひそかに心配しておりました私は、この「第一回少年の主張大会」で発表された皆さんの主張を聞いて、これが杞憂であることを知りました。
こうして、愛媛県における「少年の日」は着実に前進し、
全県的な祝日として愛媛県の地に定着していったのであります。
昔の「元服」の故事が示すごとく、厳冬に咲く梅の花のように清らかで美しい、「14歳・少年の日」の諸行事は、
愛媛県においては、「成人の日」にも比すべき大切な行事となっております。
(昭和46年愛媛県青少年育成協議会発行「愛媛の少年たち」より抜粋)』
子どもたちを家族が、地域が、あたたかい目で見まもっていく。
そんな、家族、地域にしていきたい。
岬人(はなんちゅう)
当時の愛媛県青少年育成協議会会長 戒田敬之さんの青少年育成に対する想いを知った。
『昭和38年10月、愛媛県社会福祉協議会会長に就任しました私は、児童問題対策協議会において「子どものしあわせを守る県民運動」を提唱いたしました。
(中略)
私は第一回少年の主張大会における中学二年生の藤原さんの発表を忘れることができません。
藤原さんの家では、毎年元旦の朝家族そろって初詣に行くという体験談でありました。
その内容の一部を載せてみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/64/583a4bb679f6d737a88e40f348242cd4.jpg)
「・・・除夜の鐘を遠く近くに聞きながら、約四キロの夜道を町並みにそって歩くのですが、
途中幾度か寒さのため運ぶ足も遅れがちになります。
そのたびに心にむちうって、
「楽を求めながら目的を達しようなんて、少なくとも若いものの考える事ではない」
という父のことばや、
「苦しむところにこそ、その道は開ける」
などという母の意見にしたがって、決して車などの参詣はしません。
私も同感で、水銀灯に光る白い息を手にはきかけはきかけ、さすような風に凍える手をこすりながら、黙々と歩いて道後の「いさにわ神社」に詣でるのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/77/3a2f6564bb05aa769349dcd1fb6417c3.jpg)
父のことばをかりれば、神社にお参りするということは形の上だけではなく、
立志、感謝、心身の鍛錬といろいろの要素がふくまれているのだそうです。
そのような意味で、わが家で実行している初詣では、神社の社頭においてその年のしあわせを願うとともに、
新しい誓いを立てることだと私は思っております。
私は神の存在についてはよくわかりません。
しかし、少なくとも神とは、人それぞれの心の中にあるものだと理解はしているのですが、
なにかに感謝し、なにかに誓いを立てることの喜びを、きょうこのごろになって強く感じているのであります。
それはまた「少年の日」における、私たちの覚悟にも置き換えられると考えます。・・・」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/cf/f614b3106a66bb97ebdcaca5b8e56e5b.jpg)
戦後の日本は、あまりにも行き過ぎた民主主義や、誤った進歩主義のため、
新しい世代に伝えてゆかなければならないわが国の美しい伝統や文化を破壊し、また忘れ去っているのではないかと、
ひそかに心配しておりました私は、この「第一回少年の主張大会」で発表された皆さんの主張を聞いて、これが杞憂であることを知りました。
こうして、愛媛県における「少年の日」は着実に前進し、
全県的な祝日として愛媛県の地に定着していったのであります。
昔の「元服」の故事が示すごとく、厳冬に咲く梅の花のように清らかで美しい、「14歳・少年の日」の諸行事は、
愛媛県においては、「成人の日」にも比すべき大切な行事となっております。
(昭和46年愛媛県青少年育成協議会発行「愛媛の少年たち」より抜粋)』
子どもたちを家族が、地域が、あたたかい目で見まもっていく。
そんな、家族、地域にしていきたい。
岬人(はなんちゅう)