喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

岡山シーガルズ 福田舞選手からの年賀状 2

2014-01-07 | ブログ
 雲の上の存在、岡山シーガルズ副キャプテン、福田舞選手からの年賀状。



 田舎の娘たちに夢を与えてくれた福田選手をさらに好きになったのは、
その明るさと人間くささから。



 福田選手のこれまでの経歴は、ウィキペディアによると、

 栃木県鹿沼市出身。
母親の影響で小学4年からバレーボールをはじめる。

 嘉悦大学入学後、ユニバーシアード大会に3度出場し活躍した。
 
 2003年に全日本候補に初選出されモントルーバレーマスターズ、エリツィン杯に出場した。

 2006年デンソー・エアリービーズに入団。
2007/08Vプレミアリーグで準優勝、第57回黒鷲旗全日本男女選抜大会で優勝を果たす。

 2008-09Vプレミアリーグはスタメンとして出場する機会が少なかったが、終盤に得意のブロード攻撃を生かしたプレーで活躍した。

 2009年、デンソー・エアリービーズから岡山シーガルズに移籍した。
2009/10Vプレミアリーグからレフト、ライトなどで持ち前のパンチ力あるスパイクで活躍している。

 2010年、2度目の全日本へ選抜され同年のアジアカップに出場した。


 といった、実に輝かしいもの。
でもそれを当時の気持ちや状況をおりまぜながら話してくれた。


                                   「2012年の交流会にて」

 中学時代は、バレーが大好き。
チームメイトもよく、才能を伸ばしていく。
でも自分が全日本でプレーするなんて考えてもいなかった。

 卒業後は、大好きなバレーをしたくて、 栃木県の名門國學院大學栃木高校へ。
そして流れに乗り、嘉悦大学でその才能を一気に開花していく。
 
 名門デンソーに入団するが、全ては順風満帆ではない。
バレーをやめようという苦しみも味わう。
 
 そこから再び、名前のごとく舞い上がり、現在は頼られる大きな存在となっている。


 そんな話を聞いたとき、とっても身近に感じ、共感した。
福田選手のような雲の上の存在の人でさえ、
喜びも苦しみもあり、さまざまな人とのつながりで支えられ、ふんばり、
自分を高めてきた。

 すごく、人間くさい。

 そして、3年前にお渡しした名刺を今もとっておいてくれて、
ごていねいに年賀状まで書いていただいた、誠実さ。

 うれしさがこみあげてくる。
今年もつながりや絆を大切にしていきたい。
                    岬人(はなんちゅう)

岡山シーガルズ 福田舞選手からの年賀状 1

2014-01-07 | ブログ
 毎年楽しみな年賀状。
そしてたいへんな年賀状。

 その枚数は、毎年少しずつ増え続け、今年は420枚。
この中で、3人の子どもたちの分が、40枚。
妻だけの分が、30枚。
残り、350枚が私の分。

 昨日6日も年賀状が届いた。
ポストを開け、家に入りながら数枚の年賀状をめくっていた。

 すると、ビックリするものがあった。
それは、プレミアリーグ「岡山シーガルズ」の福田舞選手からの年賀状だった。



 写真右側から
全日本の若きセッター宮下選手4、全日本のリベロ丸山選手20、そしてセンターポジションに福田舞選手5、
ロンドンオリンピック代表の山口キャプテン2、元三洋電機キャプテンの佐々木侑選手3、
後列の右側は、佐々木侑選手の妹、佐々木萌選手7、全日本の川島選手28、元全日本の栗原選手11、全日本の関選手4。
 そうそうたるメンバー。
福田選手は、この岡山シーガルズを副キャプテンとしてひっぱている。


 福田選手は、私の大好きな選手。
それは、初めての出会いの印象が強い。
今から5年前2010年(平成22年)の夏、伊方町バレーボール教室。
前日の交流会に参加させてもらい、いろいろなお話を気さくに聞かせてくれた。
次の日の紅白戦、サイン会に娘たちも連れて行き、いっしょに写真に写ってもらった。



 それから毎年、娘たちと応援にかけつけ、顔見知りともなっている。
「ずいぶん大きくなったね。中学になったら何部に入るの?
バレーはいいよ。」
などの声をかけてもらったことがなつかしい。



 2年後、2012年(平成24年)の写真。

 娘たちは、このお姉さんをテレビで見ることになる。
すごい世界で大活躍し、生き生きとしているお姉さん。
まるで雲の上の存在。
 田舎者の娘たちに大いなる夢をあたえてくれた。


 そんな福田選手をさらに好きになる話を前夜の交流会で聞かせてもらった。
その内容は、…

                 岬人(はなんちゅう)