喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ふるさと「松地区」を離れた同級生からの便り

2015-01-08 | ブログ
 二名津小学校から二名津中学校、三崎高校までいっしょだった同級生がいる。
彼女は、今、結婚して神奈川県に住んでいる。

 同窓会の案内などで連絡をたまにとることがある。
先日も正月同窓会の案内と私が書いているふるさとブログを紹介したところ、次のようなメールが返ってきた。

「ブログ、愛あふれるものでした。
思考が大人!(笑)
いつの間に大人になったの~(笑)

 サスケ、隣の人だよ。
私の弟は、こっちでコンサートにも行っている。
 タカさんが亡くなって寂しくなったね。
でもこうして三崎でもコンサートをやってたなんて、知らなかったわ~。
 サスケの曲も三崎を歌ったやつ多いよね。
段々だ~ん畑~。

 三崎の景色最高。
何ともいえない潮の香り。
真っ青な大空と海にミカン畑。

 ブログの一言一言に癒されます。

 じゃあまた時々読ませていただきます。
ありがと~。」


 まさに同級生らしいメッセージ。
とても明るくて、感性豊かな彼女。

 今は、子育てが忙しく同窓会には参加できていないが、落ち着いたらぜひ参加したいと言っている。

 彼女が子どもの頃に暮らした松地区の実家は、今はもうない。
一昨年の秋、お母さんはふるさとを出て、都会に住む彼女の妹たちと一緒に暮らし始めた。

 彼女が、これほどまでにふるさとをなつかしく思い、心を寄せているのがよくわかる。
みんなふるさとを抱いて生きている。

 だからこそ、そんな彼女たちのためにも、ふるさとの様子をお知らせするこのブログは、
書きつづけていきたい。

 彼女のすばらしいふるさとの写真を撮っていたので紹介したい。
 
 松灯台。海の安全とふるさとの未来を照らす。


 漁船。


 湾と船蔵。


 たくさんの釣り人でにぎわう。 夕日は九州大分県へ沈んでいく。


 秋の夕暮れのうろこ雲。


 旧松小学校跡に立っている二宮尊徳(二宮金次郎)の像。


 住む人がいなくなった家も多く見られる。 


 土地に根を下ろし、住む人の家から煙があがる。


 佐田岬に柑橘を持ちこんだ宇都宮誠集のふるさと。


 初盆行事「もうな」が行われるお寺周辺の家々。


 すばらしいふるさと、松地区。

 先人から受けついだ、大切なふるさとを護る人たち。
ふるさとを離れた遠くからふるさとを応援する人たち。
 関わり方は違えども、その人だからできることがある。

 いつまでも、いつまでも、私たちと共に歩む。
いつまでも、いつまでも、大切なふるさと。

               岬人(はなんちゅう)

「実家」  ヒロシの思い

2015-01-08 | ふるさと
 1月6日、いとこの広が次のような思いを、ふるさと平礒の風景写真12枚と一緒にブログにのせていた。
とてもグッとくるものがあった。



「実家」
 お正月、約二ヶ月ぶりに実家の平礒に帰った。
 人口50人に満たないこの村には、かつての天才たちが夢見た未来、2015年になっても、
スマホを持っている人が一割も居ない。

 そもそも未成年者を含めれば、携帯電話を持っている人の方が少ない、かもしれない。
流行に流されない、クールな村だ^ ^

 アインシュタインは、世界の”最後”を想像の中で見てベロを出したと言うが、
きっと、2015年の平礒をアインシュタインが見たら、ベロを引っ込めて息を呑むだろう(≧∇≦)

 もしも明日、世界が終わるなら、僕は最後の一日を、故郷、平礒で過ごしたい☆




このブログにコメントをして、次のようなやりとりがあった。
 
(私)「ヒロ、いいね。 この小径のある風景、よく撮れているな。」



(ヒロシ)「ありがとう!写真に撮ると、改めて石垣の多さに驚く!
また、今はもう居ない人たちが、写真の中にだけ浮かび上がってくる様な気がする。
ほぼろを背負って杖をつく、ふぅ婆ちゃんの姿が見えるなぁ^ ^

 

(私)「そう、平礒は、石垣の郷。 
ヒロには、見えるかい。
思い出の中に生きている人たちが。 
すごいことやね。 それが、生き続けるということかな。」



(ヒロシ)「確かに!生きている人の記憶の中で、みんな生きているんやろなぁ^ ^」



(私)「そうやね。 生きている。 みんな生きている。 
平磯での暮らしは、幸せな暮らしやね。」



 ふるさとを大切に思う気持ち、ふるさとをなつかしく思う気持ち。
そんな気持ちは、誰の中にもあるようだ。

               岬人(はなんちゅう)