喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

全国学校給食週間 1/24~1/30

2015-01-29 | ブログ
1月24日から30日の1週間は「全国学校給食週間」。

 学校給食の歴史は、

 明治22(1889)年、山形県の私立忠愛小学校で日本初の学校給食が行われた。
その後、全国各地で給食が実施。
しかし、太平洋戦争で一時中断。

 敗戦後の昭和21(1946)年12月24、アメリカの援助団体ララからの支援物資により、再開。
この日を「学校給食感謝の日」と定めた。

 昭和25(1950)年、学校給食が戦後再出発した意義を考え、
冬休みと重ならない1月24日から30日の1週間を「全国学校給食週間」とした。
 
 昭和29(1954)年、学校給食法が制定。
学校給食を教育活動のひとつに位置づけ。

 平成17(2005)年、食育基本法が制定。
学校給食も食育推進の中心的な役割を担っている。



 太平洋戦争・日中戦争に負けた日本では、国民の困窮状態はたいへんなもので、餓死者まで出るありまさ。
「腹を空かせ、病に苦しむ日本の子供たちを救おう」と死にものぐるいで動きまわったのが、
かつて郷土(岩手県盛岡)の先輩である原敬首相の手伝いをしていたことがある、
サンフランシスコ在住(日系人)のジャーナリスト浅野七之助氏。
 
 浅野氏が中心となって設立した「日本難民救済会」を母体に、
多くのアメリカ人もまきこみ、食料品、日用品等の救援物資が集められ「ララ物資」として日本へ届けられた。

 これにより、戦後昭和21(1946)年、学校給食(コッペパンや脱脂粉乳ミルク)が始まり、
多くの日本人・子どもたちが救われた。

 給食の意義も時代とともに変わってきました。
過去は、貧しい生活からくる栄養状態を解消するために。
 そして現在は、偏りがちな栄養バランスをとるために。
また、地域の産物を取り入れたり、メニューができるまでに関わる人たちの仕事や思いを知るための学びとなったり。

 ちなみに伊方町の給食は、とてもおいしい。
地域でとれた食材と調理に関わる人たちの気持ちがつまっている。

              岬人(はなんちゅう)