喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

給食を知らない子どもたち

2015-01-30 | ブログ
 私が育った旧三崎町(現伊方町)では、愛媛県内でも最後まで給食がない町の1つだった。
まさに給食を知らない子ども。
したがって、小・中、そしてもちろん高校まで全て母が作ってくれた弁当を食べて育った。

 隣の友だちのおいしそうなフライ物や肉・ハンバーグのおかず。
それに比べて、弁当箱のふたを開けると、こーこ(たくあん)の臭いが広がる恥ずかしさ。
 おかずは、くずし(ちくわやかまぼこ)や塩サバ、いも、だいこんなどが多く、
何か恥ずかしさを感じながら、さっさと食べたこともある。

 でも大人になった今なら、それがどれだけありがたいものかわかる。
心にぐっとくる思い出に変わる。


                             「4年前の選果作業の様子」 

 我が家は、4人兄弟姉妹。
母は、毎日4つの弁当を朝食を作りながら、朝早くから準備する。
 
 両親は忙しく農業をしていたから、みかん山に弁当を持って行くこともある。
すると机の上には、6つの弁当箱が並ぶ。
それが、どれほどたいへんな家事なのかわかる。
 まさに食べることをとおして、心を育ててもらった。

 母の後ろ姿を見ながら、包丁の音を聞きながら、味噌汁の臭いを感じながら育った。
食の豊かさとは、料理そのものだけではないと思う。

 そんな昔話を我が子たちにしてあげると、いくらかは心に響くようだ。
そして息子は、私の妻が作ってくれる弁当を毎日食べている。

 給食であろうが、手づくり弁当であろうが、共通するものは多い。
それを大切にしたい。

                 岬人(はなんちゅう)