年の瀬12月30日から新年1月1日にかけて。
毎年の年末作業である注連縄作り。
若い頃は、あまり気にも留めず、父に任せきりだった。
ここ数年、ようやく意識し始め、それを受け継ごうとしている。
宇和町の妹の嫁ぎ先から稲藁をいただき、注連縄飾りの準備に入る。
倉庫で40本の注連縄作り。
「おー、だいぶん上手くなったのー。」
あまり褒めない父からの言葉に、うれしさと自覚が増す。
そして、こう返す。
「後は任せておきないよ。」
次に、父の口から出た言葉。
「おらは、これを高校のときからしよる。親父が戦死したけん、おらがせないけんかった。
もう65年になるかのー。」
この言葉に、返す言葉が出てこなかった。
先ほどの自信が吹き飛んでいく。
私が意識し、手伝い始めたのは、ほんの少しだ。
家のために、良い正月を迎えるために、まだ高校生の頃からやってきた父。
それを淡々と自分の役目として、65年。
そんな父に比べれば、歳はとってきたが、私はまだまだ「ひよこ」だ。
親とはこういうものだろうか。
40本の注連縄飾りは、家の中の神様が宿るところに全て、車やバイク、倉庫にいたるまで飾り付けられ、
感謝と家内の安全と繁栄を祈る。
注連縄作りが終わると、2本の大注連縄作りに取り掛かる。
しっかりと締めるために息子も加わり、3人がかり。
というよりも、その作り方をしっかりと学ぶための方が大きい。
こうして、親から子、そして孫へと受け継がれていく。
我が家にとって、このような作業はとても大切なもの。
お金を出して買った方が世話がないのであろうが、「priceless」なことの一つなのだ。
いよいよ門に飾り付け。
先日収穫された伊予柑も結びこむ。
年神様のお越しを歓迎する準備は整った。
そしてもう1か所。
屋敷の神である「地神様」と我が家を護る「鍾馗様」への門である鳥居に飾り付ける。
そこに母がやってきて、その出来栄えを二人で見つめている。
小さな幸せのひとときだ。
幸せは、こんな日常の中にこそ感じられる。
淡々と生きる大切さ。
そこには、幸せがつまっている。
岬人(はなんちゅう)
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