喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

ミュージカル「誓いのコイン」 坊ちゃん劇場 

2011-12-16 | ブログ
 伊方町は、本物の文化にふれる機会を多く持つようすすめている。
先日は、海上自衛隊「呉音楽隊」の演奏を伊方町全小中学生が聞いた。

 今日は、東温市にある坊ちゃん劇場で
今うわさの「誓いのコイン」を観劇する。



 今から100年ほど前の1904年に始まった日露戦争。
1894年の日清戦争のあと、近代化に向けて進む日本が初めて経験するすさまじい戦争。
戦没者は、約8万人。
私の曾祖父鶴松じいちゃんも出征したらしい。
 
 特に旅順要塞をめぐっての203高地の攻防が激戦だった。
約2万人が亡くなった。

 これらの戦いで捕虜になったロシア兵約7000人が松山市に収容された。
ロシア兵と松山市民との人間模様が描かれている。

 ロシアへの中には、傷ついたり、病気で亡くなった人もいる。
その人たちは、手厚く葬られた。
今はロシア人墓地として、近くの勝山中学校や松山市民によって清掃活動がされている。
過去も今も日本とロシアのあたたかい交流が続いているのだ。

 今日は、観劇の前にそのロシア人墓地を見学する。
いろいろな深い学びができそうだ。

 佐田岬の田舎者は、小さな窓から歴史の過去や広い世界をのぞく取組を重ねている。

ふるさと平礒の夜明け

2011-12-14 | ブログ
ふるさと平礒の夜明け


 朝7時過ぎ、出勤前。
玄関を出ると、思わずため息に似た声が出た。

 あたりは、みかん色の朝焼け。
向かいにある釜木の空が、ますます明るくなっていく。

 そしてついに金色の朝日が顔を出す。
「きれいだなー。」

 すると近くにいた良あんちゃんが、
「そうやろ。僕もあまりにきれいやけん、しばらく見とれちょったんよ。」

 その言葉で、感動が倍になった気がした。

 同じような時間がくり返される毎日の中で、
ちょっとしたことが幸せを感じさせてくれる。


佐田岬の夜明け

2011-12-14 | ブログ
佐田岬の夜明け


 12月5日。
知り合いの方と一緒に佐田岬灯台の朝日を見に行きました。

 まだ夜が明けきらぬ頃。
おだやかな朝でした。

 駐車場から20分ほど歩くと、
四国最西端の白亜の佐田岬灯台。

 大正時代にできて、海の難所、豊予海峡の安全を照らし続けてきました。

 そうこうしているうちに、遠く宇和島方面から真っ赤な朝日が昇り始めました。
思わずみんなで見とれていました。
「朝焼けが美しい。」

 おすすめの風景です。

冬の星空

2011-12-13 | ブログ
 ブログの背景を星空に変えました。



 田舎の夜空は、それはそれはきれい。
星に月に。

 特に田舎の平礒だからかもしれません。
冬の星空を眺めるのがとても好き。
空気がキーンと張りつめていて、とても澄んでいます。

 たとえば先日のブログのアンドロメダ座は、230万光年離れています。
ということは、今見えている輝きは、1秒間で地球を7周半まわる光の速さで、
230万年前の輝きが見えているということ。
 そう考えると、もう今はない星があるということ。
 考えると不思議で神秘的。

 そんなことを思いながら、
今朝もまだ明けきらぬ空を見上げました。



 今日もがんばっていこう。

 


 

「サスケ」 ミニライブコンサート in 三崎中学校

2011-12-12 | ブログ
 

 佐田岬半島、伊方町松出身の双子の歌手がいる。
その名は「サスケ」。

 松地区もすてきなところ。
そこで生活した2人は、素朴で温かくて、楽しい。

 毎回帰省するごとに三崎中学校に寄ってくれて歌を聞かせてもらっている。



 今回はまた格別に思いのこもった歌だった。
3月11日に岩手県一関にいたサスケは、
あまりの地震のすごさにただならぬことが起こったと感じたらしい。
 
 時間を追うごとに分かっていく痛ましく衝撃の事実。
そんなかつてない経験から新しい歌が生まれた。

 そんな魂の歌を今回聴くことができた。


NHK総合 プロフェッショナル ~仕事の流儀~

2011-12-12 | 自然環境
 おすすめしたい今夜の番組。
NHK総合の「プロフェッショナル ~仕事の流儀~」
夜10時~10時48分。
宮城県気仙沼市の畠山重篤(はたけやましげあつ)さん。



 『畠山重篤(68歳)さんは、宮城・気仙沼でも特別な存在のカキ養殖のプロだ。
かつて赤潮が頻発した気仙沼湾。
畠山さんは森に木を植えることで、海をよみがえらせようと努力してきた。

 今年、その豊穣(ほうじょう)の海が牙をむいた。
東日本大震災の津波は、舞根地区の9割の家をのみ込み、畠山さんは母を失った。
育てていたカキはほぼ全滅、育んできた海には、がれきや泥が降り積もった。

 養殖の再開は、故郷を再生させることでもある。
地区の仲間たちがぼう然とする中、畠山さんはいち早くカキ養殖を再開させることを決意。
 だがその直後、体調を崩してしまった。
海に生きる人々の8か月にわたる格闘の日々を追う。 (NHK記)』

 10月8日に畠山さんとの出会いがあった。
「ものづくり生命文明シンポ IN 松山」
に参加した時に講演を聴いた。

 具体的で、実践をもとにした話は、他の人たちよりも分かりやすかった。
いっぺんにその魅力に引き寄せられた。

 ふるさと佐田岬も漁業の盛んなところ。
最近、不漁であると耳にする。
以前、漁協のポスターに
「森は海の恋人」というキャッチフレーズを目にしたことがある。
 
 その時には、わからなかったが、
まさにその森を大切にする運動の先がけの人だったのだ。
「豊かな海は、豊かな森からできる」
ということで長年にわたり植林活動をされていて、
今や全国的な運動になっている。

 畠山さんのとつとつとした話しぶり、
しかし芯の強い思いがにじみ出てくるような人がらが今も記憶に残っている。

 今夜は、ぜひこの番組を見よう。


書きたいことがいっぱい

2011-12-11 | ブログ
 地域づくりに気持ちが強くなってから、
いろんなすばらしさに心が向くようになった。

 12月8日に参加した三机での大東亜戦争九軍神慰霊式典のこと、 
昨夜放送されたNHKドラマ「真珠湾からの帰還」のこと、
もっともっと書きたい昨夜の皆既月食のこと。

 ぼちぼち書いていきたいと思う。

平礒の田舎の夜空 ~皆既月食~

2011-12-11 | ブログ
 昨夜は、皆既月食が見られました。
友人たちからの情報では、天気が悪くて見られなかったところも多かったようです。



 夜9時ころから始まった月食は、
少しずつ外から赤みをおびていきました。
 皆既月食というと、月が見えなく消えてしまうのではなく、
赤暗くなっていく現象。
 でも周りの明るさは全然ちがってきます。

 見上げていると首が痛くなるので、
キャンプ用の銀マットをベランダに敷いて、
毛布をかぶって楽な姿勢で見上げていました。

 月食が進むと同時に、周りの星たちの輝きが増してきます。
オリオン座、昴などなど
流れ星も3つほど月を横切ったり。

 冬の夜空はすんでいてとてもきれいに見えます。

 夜中12時過ぎくらいから、月が元にもどり始め、
明るさが増してきました。
 何とも言えないすばらしさ。



 そしてここ、田舎だからこそこんなにも美しく見えたのです。

 写真は、アンドロメダ銀河。お借りしました。
名前は聞いたことがある方も多いでしょう。



 宇宙は、夢です。

昴(すばる)

2011-12-09 | ブログ


 お借りした天体写真です。
「プレアデス星団」こと「すばる」。

 これは、冬の夜空を飾るおうし座にある代表的な散開星団です。
赤い1等星のアルデバランの近くにあり、肉眼でも見ることができます。

 星と言えばスバル。
田舎の平礒で生まれ育った私は、夜空を見上げるといつもスバルを見ていました。
青白く輝く星たち。
あきないのです。

 ギリシア神話ではアトラスとプレイオネの間に生まれたプレアデス7姉妹として知られ、
月の女神アルテミスに仕えていたといわれています。

 同じくアトラスの子供で、母親のちがう8人姉妹はおうし座のヒアデス星団とされています。

 スバルは、肉眼ではふつう6個しか見えませんが、視力の良い人は7個見えることから、
目の良さをはかるのに使われたりしました。
 ちなみには、私は7個見えます。

 日本では、平安時代に清少納言の「枕草子」の中で「すばる」という名で詩によまれ、
古くから親しまれています。
 谷村新司の名曲「昴(すばる)」も。

 自動車会社富士重工のマークもこのスバルを採用しています。

 今、満月に近いので星は見えづらいですが、
田舎の夜空は、月を見てよし、星を見てよし。
 夜は、楽しみの1つです。



12月8日 真珠湾攻撃 九軍神慰霊祭

2011-12-07 | ブログ


 明日。12月8日は、日本がハワイ真珠湾を攻撃した日。
あれから70年が経とうとしている。

 三机は真珠湾に地形が似ていて、日本のパールハーバーと呼ばれる。
だから九軍神の訓練場所に選ばれた。
という話は残念ながらまちがい。

 九軍神は三机に滞在はしたが訓練はしていない。
三机沖で母艦「千代田」が停泊をして、九軍神らは三机を宿泊地とした。
なぜ三机が宿泊地になったのか。
それは人の往来が非常に少なく、機密を守りやすかった土地だと判断されたからだ。
 本格的な訓練は広島や高知の宿毛で行われた。

 九軍神は地元では規則正しく、明るかったという。
朝8時から旅館の弁当を持って母艦に行き、夕方6時頃宿に帰る、という生活をしていた。

 宿ではトランプや将棋をして楽しんだり、一週間に一度は10時まで無礼講で酒を飲んだりしていた。
 
 岩宮旅館に泊まったのは、岩佐直治中佐、横山正治少佐、古野繁実少佐、広尾彰大尉、捕虜第1号となった酒巻和男氏、
シドニー・マダガスカルを攻撃した秋枝・中馬・乙坂・松尾中尉、
伴少尉、訓練中に事故死した神田少尉、教官の八巻大尉
の士官12人。

 明日12月8日、毎年続いている三机の地元青年団主催の慰霊式が夕方6時から行われる。


岩宮旅館

2011-12-06 | ブログ


 太平洋戦争において特殊潜行艇の基地となった
伊方町三机。

 軍人たちが泊まっていた宿が今も残る。
写真の岩宮旅館だ。
 ここには、九軍神となった士官たちが泊まっていた。

 下士官たちは、近くの松本旅館。

 岩宮旅館には、その九軍神たちの資料が展示されている。
すごいことだ。

 

九軍神慰霊碑  伊方町三机にて

2011-12-04 | ブログ


 真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まったのが、1941年12月8日。
2011年の今年は、70年目の節目にあたる。

 各地で様々な催しが開かれているし、
NHKなどでは、特別テレビ番組も放送されている。

 この慰霊碑前では、もう30年以上も前から地元の青年団を中心に
12月8日に慰霊祭が行われている。

「同じ年頃の青年たちの思いを受け止め、魂を慰めよう。」
という思いから始まったらしい。
 この慰霊碑を建てるときにも一生懸命に募金活動を行ったということを聞いた。



 戦争を風化させてはいけない。
平和な日本、世界を築いていくことが私たちの使命。

 日本の田舎にもこんな物語があるのだ。

NHKスペシャルドラマ 「真珠湾からの帰還」

2011-12-03 | ブログ


 真珠湾攻撃を行った特殊潜行艇5艇。
海中から魚雷を発射し、軍艦を沈めるのが目的。

 誤解してはいけないのは、後に「回天」といった
体当たりする特攻の潜水艇もあったが、
これは特攻ではない。

 1艇に2人乗りこむ。
9人が帰らぬ人となった。
すると残り1人は?

 アメリカ軍に捕らえられて捕虜になった。
その人の名は酒巻少尉。
太平洋戦争捕虜第1号である。
 アメリカもその扱いにとまどったようだが、
酒巻少尉は、その後の日本人捕虜たちのリーダーとして苦心されたようだ。

 12月10日、午後9時からNHK放送で
酒巻少尉に視点をあてたドラマが放映される。
「真珠湾からの帰還」

 亡くなった9人の仲間は、戦意高揚の目的で軍神として奉られた。
生き残った酒巻少尉は、その名を伏せられ長く世間に知られることはなかった。
 だが、酒巻少尉の証言により、9人の様子が語り継がれていくことになる。

 どの時代もそういった人がいた。
赤穂浪士、新撰組、白虎隊、などなど。

 日本一細長い佐田岬半島。
そこにある三机は、特殊潜行艇の訓練基地として歩んだ時代があったのだ。
 こんなふるさとの田舎にも、時代の歯車の一つとなった事実がある。
 ちなみに真珠湾攻撃した10人の特殊潜行艇乗組員は、すべて田舎生まれの若者たちだったらしい。 

 歴史を掘りおこそう。
そこから見えてくる真実がある。



 

ハワイ真珠湾を攻撃した九軍神

2011-12-02 | ブログ


 写真は、伊方町三机(みつくえ)の九軍神慰霊碑。

 1941年、12月8日。
日本軍がハワイ真珠湾を攻撃して、太平洋戦争が始まった。
 そのときに特殊潜行艇に乗りこみ、
帰らぬ人となった9人の若者たちが軍神として奉られている。

 そこには、さまざまな物語があった。