僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

凶悪化する高槻

2006-09-23 | Weblog

連日、タクシーの運転手さんが行方不明になってるニュースをやってる
けど、この運転手さんは俺の地元、高槻の人で、犯人と目される人と
言い争いあっていたとされる団地は俺の家から車で10分。

ちょっと前にもこっちは車で3分ほどのところで殺人事件があったし、コン
ビニ強盗があったのも10分以内のところ。近所に住んでる俺の友達の
娘さんが俺の家のすぐ近くでストーカーにつきまとわれたり、ウチの娘も
家の前の道でスカートをめくられて泣いて帰ってきたりと、高槻の中で
もウチのすぐ近くで凶悪な犯罪や性犯罪が増えてきている。

山も川も近くにある田舎町で、昔からそないにお行儀がいいわけやな
かったけど、殺人事件なんかが起こるほどぶっそうな街やなかった高槻
が今とても危ない。

そういう危険が近づいてきて初めてわかったことがある。それは、当たり
前やけど、凶悪なできごとというものは、新たな凶悪なものを生むとい
うこと。

熊が人里に下りてきて、自分達の娘達を襲ったら、熊がかわいそうな
どと言っていられず、自分達の責任は棚に上げて処分してしまうように、
自分達の近くに危険が迫ったら、人は自然と防衛本能が働く。
前の話でいくと、今回はたまたま友達の娘も俺の娘も命にかかわるよ
うなことにも怪我をするようなことにもならなかったものの、これが、万が
一怪我でもさせられるようなことになっていたら、俺も冷静さを失ってそ
の犯人に何をしでかすか分かったもんやなかった思う。

ということで、理由はどうあれ、凶悪な出来事が近づいてきたら、正当
防衛とはいえ、俺も加害者になってしまう可能性がある訳や。

そんな人がすぐ近くに何人もいて、それに対する報復的な事件を引き
起こす可能性があると思うとゾッとするけど、そういう人たちは普段は見
分けがつかない訳で、娘達にはできるだけ一人で夜道を歩かず、人通
りの多いところを歩きなさい、とぐらいしかいいようがない。

おかしな人は頭がおかしいんやから、逆に人里から離れるっちゅう習性
が備わっててもええのになぁ。なんでそんなとこだけはまともな人間の習
性が残ってるんやろかね。納得できんぞい。