連日、タクシーの運転手さんが行方不明になってるニュースをやってる
けど、この運転手さんは俺の地元、高槻の人で、犯人と目される人と
言い争いあっていたとされる団地は俺の家から車で10分。
ちょっと前にもこっちは車で3分ほどのところで殺人事件があったし、コン
ビニ強盗があったのも10分以内のところ。近所に住んでる俺の友達の
娘さんが俺の家のすぐ近くでストーカーにつきまとわれたり、ウチの娘も
家の前の道でスカートをめくられて泣いて帰ってきたりと、高槻の中で
もウチのすぐ近くで凶悪な犯罪や性犯罪が増えてきている。
山も川も近くにある田舎町で、昔からそないにお行儀がいいわけやな
かったけど、殺人事件なんかが起こるほどぶっそうな街やなかった高槻
が今とても危ない。
そういう危険が近づいてきて初めてわかったことがある。それは、当たり
前やけど、凶悪なできごとというものは、新たな凶悪なものを生むとい
うこと。
熊が人里に下りてきて、自分達の娘達を襲ったら、熊がかわいそうな
どと言っていられず、自分達の責任は棚に上げて処分してしまうように、
自分達の近くに危険が迫ったら、人は自然と防衛本能が働く。
前の話でいくと、今回はたまたま友達の娘も俺の娘も命にかかわるよ
うなことにも怪我をするようなことにもならなかったものの、これが、万が
一怪我でもさせられるようなことになっていたら、俺も冷静さを失ってそ
の犯人に何をしでかすか分かったもんやなかった思う。
ということで、理由はどうあれ、凶悪な出来事が近づいてきたら、正当
防衛とはいえ、俺も加害者になってしまう可能性がある訳や。
そんな人がすぐ近くに何人もいて、それに対する報復的な事件を引き
起こす可能性があると思うとゾッとするけど、そういう人たちは普段は見
分けがつかない訳で、娘達にはできるだけ一人で夜道を歩かず、人通
りの多いところを歩きなさい、とぐらいしかいいようがない。
おかしな人は頭がおかしいんやから、逆に人里から離れるっちゅう習性
が備わっててもええのになぁ。なんでそんなとこだけはまともな人間の習
性が残ってるんやろかね。納得できんぞい。