植草教授、またやってしまいよったねぇ。
ずっと言われてることやけど、性癖というのは医学的な治療をしないと
絶対に治らない「クセという病気」なので、ちょっとくらいの罰金を払わ
されたり、世の中から数ヶ月閉めだされたりしたくらいでは、治療効果
なんて全く期待できないらしい。
それをまぁ前は50万の罰金だけで済ませて、しかもまた教授になって
世間に戻ってきたんやから、これはやっぱり起こるべくして起こったこと
やわなぁ。
ただ、性癖があっても人に迷惑さえかけなければ、それは趣味の世
界やから問題ない。おそらくそういうアングラな世界があちこちにあって、
変態趣味?の人はそういう場所に行ってそれを発散してるんやと思う。
でも、植草教授の場合は、たぶんリアルじゃないと満足できない、「本
物の変態」なんやろね。
例えばお金を払って「痴漢プレイ」をさせてもらったところで、そんなヤラ
セには全く興味がなくて、痴漢行為という“実作業”と捕まるかも知れ
ない、でも我慢できないというマゾ的な要素を合わせることでのみ、彼
の性欲は満足させられる訳よ。
だから彼は、どうぞどうぞ痴漢し放題させてあげますよと言ったところで
全く喜ばない。抑圧された禁断の世界にのみにしか喜びを感じない
人や。
ええのか悪いのか、幸か不幸か、彼らは虚を嫌い実を求める。
簡単には騙されないということが、精神的な治療を決定的に難しくし
ている訳で、これが性犯罪のやっかいさなのだと思う。
何でも試してみることのできる時代やと思う。
ちょっと昔だと、たとえば高級ギターなんかは触ることもできなかった。そら今
にも買いそうみたいな勢いがあれば弾かしてはくれたんかも知れんけど、買
わんけどちょっと弾かせて、みたいなことはご法度やったし車も同じようなも
んやった。
だから試すということはそれだけでも大変なことやったんやけど、最近はほと
んどのことを試してみることができる。高級車の試乗、高級ギターの試奏、
体験入学、インターンシップ等など・・・お試し期間のある化粧品なんかも
たくさんある。そしてこれはみんななんたって「試し」やから嫌ならやめたらい
い。
そういうふうに、何でも試せることで、一大事に対する畏怖の念というのが
無くなってしもたんちゃうかな。だから何に対してもこの調子で、試せること
と、そうでないことの区別がつかんまま、何でも運試し感覚で試してる人が
増えたと思うねん。
試しに結婚してみるとか、試しに子供を生んでみるとか、試しに誰かを殺
してみるとか。
何十年も前からのベストセラー、人生ゲームがまさか現実になるなんて夢
にも思わなんだ。もう恐ろしいを通り越して、気持ちが悪いわ。
最近、飲酒運転をして人を殺めてしまうという事件がやたら目に付く。
俺は、大勢で酒を飲んだ席でタクシー代わりに使われるくらい酒が飲
めないので、飲酒運転をするという可能性すらなく、そういうことをする
人の気持ちが全く理解できないんやけど、たぶん、俺は酒が強いから
大丈夫とか、ちょっとくらいならええやろ、という理由がほとんどなんやろ
ね。
巷では、何故飲酒運転がなくならないのか、てなことを毎日のように
やってるけど、なくならへん一番の理由は、やっぱり軽い気持ちで飲ん
でしまっても、捕まった時の罰がそう重くないからやと思うねんなぁ。い
つも言うてるけど、なくすためには、こういうことには徹底した厳罰で対
応すればええと思うのよ。
厳罰の図式は至って簡単や
酒を飲んで運転する→正常な判断ができなくなる可能性がある→
事故(時には人身)を起こす可能性がある→未必の故意で殺人者
となりえることもある。これに異論のある人はおらんと思う。
よって、飲酒運転で人を殺めたらいかなる理由があっても殺人罪を
適用、死刑もしくは終身刑とする。
これでええがな。いつも思うんやけど、過失じゃない限り加害者の人
権なんて考える必要は皆無。人を殺めるかも分からんと知りながら
飲酒運転をするのは明らかに殺人の意思があるということ。被害者の
気持ちに立ったらせめて加害者の人生だってフイにしてもらわな気が
すまんよ。
それをいつまでも改善されないと議論ばかりして、同じことの繰り返し。
こうしてる間にもまた誰かが犠牲になるかも知れんのに。
最近は何につけても「理解」を求めすぎてると思う。でも理解は論理
がくずれたら成り立たない。飲酒運転する人に正しい論理はないん
やから、こういう場合はその人達の「理解」を求める必要なんてない。
彼らが好きな、飲め!とばかしに頭ごなしに厳罰にしてなにがあかん
のかねぇ。
今日は会社帰りに久しぶりの友達に会っていた。
聞けばその友達も会社を辞めるという。これで最近になって3人目や。
まぁ、俺も結構な歳になってから転職したクチやから、驚くことでもないは
ずやねんけど、人の事になるとなんかものすごいことをしてるような気にな
ってしまうなぁ。
この友達は俺の友達の中でも一、二を争う切れ者で頭の回転が速く、
ジョークも一流。まぁそんな人やから次の仕事がないということはないので、
心配するより、次はどんな仕事をするのか楽しみやねんけどね。
その友達と、これからの仕事について色々話てたんやけど、
俺が、「これからは、なんといってもエコがらみがトレンドといい将来性とい
い一番狙い目なんじゃないか」というようなことを話したら、その友達がひと
こと。
あんたにエコは似合わん。コに縦の線一本足らんのちゃう?
うーん、相変わらずオチのつけ方がうまい。
確かにその関係の仕事は普遍的にトレンドやしね。
9.11という数字はテロを意味する数字として、世界中の人に円周率のように
記憶されている。それほどあの事件は衝撃的やった。
その時、またそれを起因とすることで亡くなられたり、怪我をされた方にはほんと
にお気の毒だと思うし、許されることじゃないと思う。でもそれからのアメリカの姿
勢を見ていると、テロの標的にされても仕方ないと思う所がたくさんあるのも否
めない。
やられたらやりかえす、ということには異論はないけど、テロとの戦いと称しては
確かな根拠もなくあちこちに戦争を吹っかけ、相手国民はもちろん、多くの自
国民の命もまた奪い続けている。
自国の広大さゆえの自然環境保護の大変さから、京都議定書に調印せず、
地球環境については全く知らんぷり。ハリケーンに見舞われるのは天罰やとい
う人もいる。
おれは、アメリカのこういう姿勢はある意味地球全人類に対するテロだと思う。
目には見えないけどじわじわと地球環境を破壊することに手を貸してるなんて
いうのは細菌兵器と同じ。テロに卑劣も堂々もないやろうけど、まだ9.11のや
り方のほうがはっきりしているだけマシなような気がする。
そう考えたら、軍事面でアメリカに守ってもらうなんて本末転倒の話。
次の総理には是非アメリカに、「調子に乗んなよ」と言って欲しいもんや。
入ってきていた中国産を始めとする輸入マグロが減り、価格が高騰し
ているらしい。
俺はマグロが特別好きな訳でも嫌いな訳でもないので、そう影響のあ
る話やないねんけど、漁師さんやすし屋さんは大打撃を被っているとの
こと。
でも、今回はたまたまマグロで打撃を受けた訳やけど、こういう自然資
源はその全てがマグロと同じ状況に陥る可能性がある訳で、食料危
機というのはそう遠くない話かもしれない。
100円寿司でまぐろが食べられなくなり、回ってくるのは漬物ばっかり。
ひまさえあれば、野菜を育ててなあかんような時代がきたらどうしようか
と思う。
そしてそれ以上に、マグロと呼ばれる女性がどう呼ばれるようになるの
かがもっと気になる訳なのだ。
小(中?)学生の頃、授業でラジオの製作というのがあった。
抵抗とかコンデンサーとか、そういう部品を設計図通りにはんだを使って
接続するだけなので、それぞれの部品の役目とか関係については何の
理解もしてなかったけど、「はんだ」を使うという行為はなんか面白かっ
たことを覚えている。
そのはんだの話やねんけど、この間、主に車用のナビゲーションやオーデ
ィオを修理する会社に勤めている後輩から、最新のナビやカーオーディオ
の配線関係にも相変わらずはんだが使われていると聞いて、まだはんだ
なのかと思ってびっくりしてしまった。
はんだはすずと鉛の合金。ラジオを作っていた頃から30年以上経っても、
その材質にはなんの変化もなく、用途も全く変わっていない。
ホームセンターに行けばはんだごてが売っていて、それも柄の部分の材
質や形状に違いはあるものの、基本的な形も30~40年前と変わり
ない。
何十年も前にその作業を面白いと思い、現代の驚異的な電子機器の
進化を昔から変わらず支えていることに、今また改めて面白さを感じた。
面白さまでつなぎ止めるとは、はんだのやつ、はんぱやないっすわ。
ちょっと前から巷では日本語の乱れを指摘されてるけど、そんな中、
俺も最近勘違いして覚えていた言葉の意味を教えれ、知らんかったー、
と感激?した日本語があるのでふたつばかしご紹介を。
まずひとつ目は、「はなむけの言葉」 この言葉の意味は、
その昔、遠方に旅立つ際、道中の安全を祈願し、馬の鼻先を行き先の
方向に向けた習慣から「馬の鼻向け」という言葉が生まれ、略され「はな
むけ」となった。そこから旅立ちや門出に送る挨拶としてはなむけの言葉と
いわれるようになったとのこと。
だから、新入社員のようにこちらへ入ってくる人に、はなむけの言葉という
のはおかしい。まぁそれは、ほとんどの人が分かってると思うけど、「鼻」で
はなく「花」やと思ってた人は結構いるような気がするねんな。俺もそのひ
とりやけど。
まぁ、その昔の言葉やというても平安時代の文献に使用例があるというく
らいやから、大昔の言葉やね。
それからふたつ目は、「情けは人のためならず」 これは、
情けを人にかけておけばそれがめぐりめぐって、いつか自分にもよい報いが
くる。だから、人には親切にせよ。という意味。
俺はずっと、他人に情けをかけるとその人を甘やかすことになるので良くな
い。という意味で覚えてて、意味を取り違えてる人のほとんどが俺と同じ
取り違えをしてるらしい。
まぁ時代と共に意味が移り変わる言葉もあるやろうけど、言葉の場合は
育ちより「生まれ」がどうやったか、ということのほうが大切なような気がする。
「当たり前やん」と思うことが多い。
命がけで人命を救った消防士、とか、
危険を顧みず犯人と戦った警察官、とか、
雨の日も風の日も欠かさず新聞を届けてくれるお兄さん、とか・・・
こう言った“分かりやすい逆境”を克服していく人の話は聞いている人
の心にストレートに訴えるものがあるので感動的ではあるけど、その
人たちは皆そういう仕事に就いて、それをするために給料をもらい、
警察官を例にとればピストルだって持ってる訳で、どれもやって当たり
前の話ばっかりや。
でもそこは人間、それではあまりに機械的すぎて、面白くもなんとも
ないので、誰もがその当たり前のことでも無意識に感動的にしようと
思うようになっている。
この当たり前は料理に例えるとまぁ普通のサンマ定食みたいなもん
やけど、それにちょっとしたスパイスを加えるとサンマが鯛の味に感じた
りする訳で、誰もがそのスパイスを持ってるのよ。
たとえば、
「当たり前のことやけど、誰にでもできることじゃないスパイス」とか、
「背景を暗く落として主役を目立たせるスパイス」とか。
人によって様々なスパイスを持っていて、このありきたりの料理を感動
的な料理にして食べてるわけや。
でも、基本の食べ方はまず素材だけの味だけで食べてみて、素材が
どんな味なのかをよく知った上で、それをもう少しおいしくいただきたい
時だけ、スパイスを振りかけてみること。最初からスパイスを振りかけて
食べたんでは、100%の素材の味、つまり「真実」が分からんようにな
る。
そしてそのスパイスの分量は、素材にに対してほんの1%程度でいい。
それが素材の味を活かすスパイスの“ころあい”というもの。
でも、最近はそのスパイスを料理の主役にして、やたらに振りかけ、
元の素材の味が分からんまま食べてる人が多いし、テレビ番組なんか
もまたしかり。
サンマはどこまで行っても鯛にはならんっちゅうに。
雨が好きなのだ。
朝でも一日が終わるような暗さ
しゃれたバッキングのような音
傘に隠れて恥ずかしそうな人の顔
現実さえかすむ視界
地球まるごとの匂い
窓ひとつが生み出す別世界
雨が降ると明らかに密度が高くなる。
自分も、世界も。
桂小枝の持ちネタ、というか枕言葉というのか、「しかしまぁナンですなぁー」
というのがある。
かなり前の探偵ナイトスクープで、大阪人はこの“ナニ”を多用するらしいが
本当ですか、という調査をしていて、「はっきりさせたくない指示代名詞」み
たいな意味で使ってる人が多いという結果がでてたけど、小枝は、その意味
合いをあの独特の話口調で、なんとも聞き手を惹きつける魅力ある言葉に
してるよなぁ。これからどんな面白い話が始まんねやろ、とわくわくするもんな。
ところで、俺も最近この“ナニ”にかなりの奥の深さを感じるようになってきたね。
なんといってもこの“ナニ”は大人数に聞かれても伝えたい相手にだけ内容を
伝えることができて、他の人にはなんとなく分かるけどはっきりせえへんという
ところに、断定的な表現を嫌う大阪人が好む素晴らしさがあると思うねん。
「最近はナニしよ思てもナニがナニせえへんからナンともならんのよ。」
これはたぶん50~60歳の男性にだけナニが伝わる。まぁ中には20代でも伝わ
る人もいるかもわからんね。
「あの人ってナニらしいで」
この場合は逆にほとんどの人に、とっても怪しい人であるという感じが伝わる。
「今日はナニしよか」
恋人や愛人に。これははっきりしてしまうけど。
「例のナニ、ナニしといてくれ」 「ナニナニってナニよ!」
あまりに長年連れ添うと伝わらんあたり、ナニもしかしまぁナンですなぁ。
俺は、苦労や努力をするのも見るのも嫌な人だ。
自分のことで言えば、何か好きなことを突き詰めるために頑張ることを
苦労とも努力とも思わないし、嫌いなことにはどうやっても頑張れない
ので、努力のしようがない。
だから、俺はこんなに苦労してきたんや、という人の話は聞く気にもな
れないし、聞かされてもまったく耳に入らない。どんなに大変なこともじ
たばたあくせくせず、汗ひとつかかずにやってしまう人がとてもかっこいい
と思うのだ。
ふくろうは、獲物を獲る際、木の上から全く羽音を立てずに飛び立ち、
相手に気付かれることなく捕らえてしまう。実際は、その木の上にいく
まで必死でバタバタと羽ばたいている訳やけど、そんなことをみじんも
感じさせない仕事ぶりは、姿に似合わずなんともセクシーですらある。
今はあまり馴染みのない話やけど、そのうちこの話はセクシーな男性の
例えとして使われるようになると思うねんな。
「ふくろうみたいな人ね」
そう言われたら、喜んでバタバタ舞い上がらず、静かに“獲物”を狙おう。
物や観念に適切な人格を与えると、それに携わる人の性質を表
現した覚えやすくインパクトのあるキャッチフレーズができあがる。
古いところでは、
・恋+泥棒=恋泥棒
・ギター+小僧=ギター小僧
うーん、見事なもんやな。
最近ではもちろん、
・ハンカチ+王子=ハンカチ王子
これもまぁうまいけど、ハンカチやからええようなもんの、一昔前なら
“手ぬぐい大名”や。時代感覚というのも大切な要素やねぇ。
ところで俺にも“鍋奉行”というキャッチフレーズがあるけど、是非とも
時代に合った表現に変えてもらいたいところや。
「鍋王子」
適切な人格を与えることの大切さがよーく分かるなぁ。
スペインでトマト祭りがあったね。
この祭りが行なわれるバレンシア地方には国内外から人が集まり
普段は1万人くらいの人口が3万人くらいになるらしい。
その3万人がひたすらトマトを投げあい、トマトに漬かり、子供の
ように楽しんでいる姿はこれぞ祭りという感じや。
この祭りのよさは、なんちゅうてもトマトと使うということにあると思う。
色が赤い・・・情熱的
投げつける・・・ストレス発散
柔らかい・・・怪我しない
おいしい・・・食べるヤツもおるやろ
つぶれる・・・風呂感覚が味わえる
たぶん安い・・・もったいない感がない
等など、祭りを盛り上げる要素に事欠かない。
これが、梨やったら死人がでるし、ぶどうやったら小さ過ぎて投げ
にくいし、すいかやったらボーリング大会みたいになってまうもんな。
せっかくこんないい見本があるねんから、日本でもこの系統の祭り
をやってみたらどうやろか。
大阪ならたこ焼き。愛媛ならみかん。茨城はレタス。青森のりんご、
北海道のとうもろこし・・・
どれも"あとの祭り"になりそうやけど。
いやー、男ってのはなんですなー。
この間友達と話してたら、なんぞ悪いことした時の嫁に対する言い訳が
もう皆悲しすぎる。
朝帰りした友達Aの言い訳。
「タバコ買おうと思ったら自動販売機が急に話しかけてきよってのー!
説得してたら、ついついこの時間やがなー」
あやしい匂いをつけて帰った友達B。
「会社の女の子が私の服着て言いよったんやー!いやや言うたんやけどな、
まぁ、しゃあなくな」
最後は深夜に帰宅した友達C。
「そ、そこまで帰ってきてたんやけどな、で、電柱が倒れてきよってん!
根元腐ってたんかなー」
ああ、悲しすぎる!アホすぎる!
ところでこのうちひとつは私の言い訳です。さて、どれでしょう?
※正解の発表は私の没後になります。