今さら3月のことを記事化してすみません。
3月24日の昼過ぎは、島根県にある、JR三江線の石見川本駅にいた。
三次発石見川本行きの424列車を下車したのである。


石見川本から江津に向かうには、13時43分発の426Dに乗らなければならないのだが、それまでかなり時間があった。
そこで、ホームから出た。
使われていない改札ラッチを通ると、地元の商工会の方(違ったらごめんなさい)が、駅周辺の飲食店などの情報を載せた案内マップを配りながら、訪れた人たちに、三江線の必要性について話されていた。
わたしは、駅周辺の飲食店情報について知らなかったので、三次駅で昼食を購入していた。
そのため、飲食店には行かず、待合室で昼食をとった後、待合室にあるコインロッカーに大きな荷物を預けて、駅付近を歩いた。


何もしないのも面白くないので、写真を撮ったほか、駅前付近の菓子店で羊羹を買った。
そのあと、駅に戻った。


駅に戻ったときは、まだ出発までは時間があり、車両には乗車できなかった。
しばらく、乗降口付近で待つことにした。
運転士が、ホームに停車中の車両の点検をしていて、ドアなどのテスト作動もしていた。
そのとき、間違えて乗ろうとして、運転士に「まだ乗ったらだめ!」と注意されていた高校生がいた。
13時25分頃になると、乗り鉄の乗客たちもほとんどが駅に戻っていた。
そして、乗車可能になったとき、腹立たしい思いをした。
ほとんどの人たち(高校生を除き、乗り鉄客と思われる)が整列してなく、ドアが開くと、いきなり我先にと後から来た輩が横へ押しながら無理やり先に乗車していった。
少しでも良い席に座りたいと思ったのだろうが、それなら、早めに並ぶべきである。整列もせずに先に待っている人よりも無理やり先に乗り込む行為は、「自分は自己中です」と周囲に宣言すると同時に、先に待っている人を愚弄する行為だと思われても仕方がないと思うのだが、いかがだろうか。そういう輩は、ほかの路線や列車でも同じようなことをやっているのだろうか。
座席のほうは、なんとかロングシートに座ることができた。
列車は、13時43分に発車した。
石見川本から江津までは、1時間余りである。
その辺りは、線路が草ボーボーの箇所が多く、列車が至る所でスピードを落としていた。

沿線の風景も江の川と石州瓦の集落が多かった。
こうして、列車は、各駅に停車しながら、だんだんと江の川の下流へ近づいていった。
車窓右手には、自動車専用道路と一般道路との2段構造になっている橋や、前方を見ると、山陰本線のトラス鉄橋が見えた。
もう終点が近かった。
そして、14時49分、三江線の426D列車は、江津駅に到着した。


なお、その車両は、江津で折り返し、三次行きの列車になった。
わたしやほかの乗客たちが降りると、ホームで待っていた人たちが次々と乗車した。
わたしは、そのあと、15時21分発の特急「スーパーおき4号」に乗ったのだが、それまで時間があったので、ホームでほかの列車の撮影もした。


キハ47形の2両編成やキハ126形の2両編成などが入線した。
そのあと、上り列車が止まる1番ホームで「スーパーおき4号」を待った。
ホームの足元に、乗車待ちの位置案内があったが、1号車に乗るために待って、列車が入ってくると、その場所には車両のドアがなかった。
あわててドアのほうへ向かうと、そちらにも同じ1号車の位置案内が貼ってあった。
つまり、1車両に1カ所しかドアがないのに、ホームには2カ所も貼られていたのである。
なぜそんなことをしたのか不可解である。
ドアのほうへ行くと、前にいた人たちが乗った後、続いて乗車した。
その日の「スーパーおき4号」は、キハ187系の2両編成で運転されていて、後ろの1号車が指定席である。
わたしは、指定券を買っていた。
なお1号車の車番は、キハ187-7だった。
座席は、窓側だったが、進行方向右側である。つまり山側なので、日本海の眺めはあまり楽しめなかった。
江津駅を発車後、車掌が車内改札に来た。米子車掌区の乗務員だった。
「スーパーおき4号」は、江津駅を出発すると、途中、温泉津と大田市に停車した。
そして、16時14分、出雲市駅に停車すると、下車した。

出雲市駅で、「スーパーおき4号」から降りると、いったん改札の外に出て、一畑バスの写真を撮った(あまりきれいに撮れなかったが)後、駅弁などを買った。
そのあと、改札を通り、17時17分発の特急「やくも28号」を待った。

その日の「やくも28号」は、381系電車の4両編成だった。自由席は、岡山寄りの4号車、1両のみだった。
わたしは、自由席の4号車に乗った。
車番は、クモハ381-9だった。
17時17分、「やくも28号」は、出雲市駅を発車した。
出雲市駅発車後、車内放送があり、そのあと、車掌が車内改札に来た。
米子車掌区の乗務員が担当していた。
出雲市の次は、宍道駅に停車した。乗降客は少なかった。
宍道の次は、松江である。その間は、宍道湖の眺めが良かった。
松江駅では、多数の乗車があった。
松江駅を出発後、駅弁を開けた。

駅弁を口にしながら、中海などを眺めた。
松江出発後は、安来、米子の順に停車した。
米子駅を発車し、伯耆大山駅を通過すると、伯備線に入った。
車窓の外は暗くなっていった。
それから、根雨、新見、備中高梁、倉敷の順に停車した。
意外なことに、倉敷から乗車した人もいた。
そして、倉敷の次は、終点の岡山である。
岡山駅に着くと、下車して、路線バスに乗り、帰路についた。
こうして、三江線の乗車目的の1泊2日の旅行を終えることができた。
3月24日の昼過ぎは、島根県にある、JR三江線の石見川本駅にいた。
三次発石見川本行きの424列車を下車したのである。


石見川本から江津に向かうには、13時43分発の426Dに乗らなければならないのだが、それまでかなり時間があった。
そこで、ホームから出た。
使われていない改札ラッチを通ると、地元の商工会の方(違ったらごめんなさい)が、駅周辺の飲食店などの情報を載せた案内マップを配りながら、訪れた人たちに、三江線の必要性について話されていた。
わたしは、駅周辺の飲食店情報について知らなかったので、三次駅で昼食を購入していた。
そのため、飲食店には行かず、待合室で昼食をとった後、待合室にあるコインロッカーに大きな荷物を預けて、駅付近を歩いた。


何もしないのも面白くないので、写真を撮ったほか、駅前付近の菓子店で羊羹を買った。
そのあと、駅に戻った。


駅に戻ったときは、まだ出発までは時間があり、車両には乗車できなかった。
しばらく、乗降口付近で待つことにした。
運転士が、ホームに停車中の車両の点検をしていて、ドアなどのテスト作動もしていた。
そのとき、間違えて乗ろうとして、運転士に「まだ乗ったらだめ!」と注意されていた高校生がいた。
13時25分頃になると、乗り鉄の乗客たちもほとんどが駅に戻っていた。
そして、乗車可能になったとき、腹立たしい思いをした。
ほとんどの人たち(高校生を除き、乗り鉄客と思われる)が整列してなく、ドアが開くと、いきなり我先にと後から来た輩が横へ押しながら無理やり先に乗車していった。
少しでも良い席に座りたいと思ったのだろうが、それなら、早めに並ぶべきである。整列もせずに先に待っている人よりも無理やり先に乗り込む行為は、「自分は自己中です」と周囲に宣言すると同時に、先に待っている人を愚弄する行為だと思われても仕方がないと思うのだが、いかがだろうか。そういう輩は、ほかの路線や列車でも同じようなことをやっているのだろうか。
座席のほうは、なんとかロングシートに座ることができた。
列車は、13時43分に発車した。
石見川本から江津までは、1時間余りである。
その辺りは、線路が草ボーボーの箇所が多く、列車が至る所でスピードを落としていた。

沿線の風景も江の川と石州瓦の集落が多かった。
こうして、列車は、各駅に停車しながら、だんだんと江の川の下流へ近づいていった。
車窓右手には、自動車専用道路と一般道路との2段構造になっている橋や、前方を見ると、山陰本線のトラス鉄橋が見えた。
もう終点が近かった。
そして、14時49分、三江線の426D列車は、江津駅に到着した。


なお、その車両は、江津で折り返し、三次行きの列車になった。
わたしやほかの乗客たちが降りると、ホームで待っていた人たちが次々と乗車した。
わたしは、そのあと、15時21分発の特急「スーパーおき4号」に乗ったのだが、それまで時間があったので、ホームでほかの列車の撮影もした。


キハ47形の2両編成やキハ126形の2両編成などが入線した。
そのあと、上り列車が止まる1番ホームで「スーパーおき4号」を待った。
ホームの足元に、乗車待ちの位置案内があったが、1号車に乗るために待って、列車が入ってくると、その場所には車両のドアがなかった。
あわててドアのほうへ向かうと、そちらにも同じ1号車の位置案内が貼ってあった。
つまり、1車両に1カ所しかドアがないのに、ホームには2カ所も貼られていたのである。
なぜそんなことをしたのか不可解である。
ドアのほうへ行くと、前にいた人たちが乗った後、続いて乗車した。
その日の「スーパーおき4号」は、キハ187系の2両編成で運転されていて、後ろの1号車が指定席である。
わたしは、指定券を買っていた。
なお1号車の車番は、キハ187-7だった。
座席は、窓側だったが、進行方向右側である。つまり山側なので、日本海の眺めはあまり楽しめなかった。
江津駅を発車後、車掌が車内改札に来た。米子車掌区の乗務員だった。
「スーパーおき4号」は、江津駅を出発すると、途中、温泉津と大田市に停車した。
そして、16時14分、出雲市駅に停車すると、下車した。

出雲市駅で、「スーパーおき4号」から降りると、いったん改札の外に出て、一畑バスの写真を撮った(あまりきれいに撮れなかったが)後、駅弁などを買った。
そのあと、改札を通り、17時17分発の特急「やくも28号」を待った。

その日の「やくも28号」は、381系電車の4両編成だった。自由席は、岡山寄りの4号車、1両のみだった。
わたしは、自由席の4号車に乗った。
車番は、クモハ381-9だった。
17時17分、「やくも28号」は、出雲市駅を発車した。
出雲市駅発車後、車内放送があり、そのあと、車掌が車内改札に来た。
米子車掌区の乗務員が担当していた。
出雲市の次は、宍道駅に停車した。乗降客は少なかった。
宍道の次は、松江である。その間は、宍道湖の眺めが良かった。
松江駅では、多数の乗車があった。
松江駅を出発後、駅弁を開けた。

駅弁を口にしながら、中海などを眺めた。
松江出発後は、安来、米子の順に停車した。
米子駅を発車し、伯耆大山駅を通過すると、伯備線に入った。
車窓の外は暗くなっていった。
それから、根雨、新見、備中高梁、倉敷の順に停車した。
意外なことに、倉敷から乗車した人もいた。
そして、倉敷の次は、終点の岡山である。
岡山駅に着くと、下車して、路線バスに乗り、帰路についた。
こうして、三江線の乗車目的の1泊2日の旅行を終えることができた。