今さら4月のことを記事化してすみません。
4月27日も仕事が公休だった。
そこで、水島臨海鉄道のキハ20系気動車の乗車・撮影会に参加してきた。
その日も路線バスで岡山駅へ向かうと、備中高梁行きの1823M列車に乗車した。
途中の倉敷に止まると、下車して、水島臨海鉄道の倉敷市駅へ向かって歩いた。
倉敷市駅からは、9時発の三菱自工前行きの列車に乗った。列車は、MRT300形気動車の単行運転だった。ワンマン運転である。
列車内では、鉄道友の会などで知り合った方などと会った。
列車は、終点の三菱自工前駅には、9時29分に到着した。
ホーム1本のみの無人駅で、付近には、工場以外何もない。
三菱自工前駅の前で、参加者が集まるのを待った。また、その乗車・撮影会は、鉄道友の会東中国支部と玉野市電保存会との共催になっていた。わたしは、鉄道友の会東中国支部会員として参加したほか、参加費の集金・集計などもした。
しばらくすると、オレンジ色とクリーム色の国鉄色キハ20形の2両編成の列車が入ってきた。
列車は、倉敷市駅側からキハ20-5、キハ20-3の順だった。
わたしは、倉敷市寄りのキハ20-5に乗車した。
車内に乗ると、車窓からの景色を見て楽しんだり、車内を撮影したりした。
また、車内では、5月にキハ37、キハ38、キハ30が運転開始されることがPRされていた。
しばらくすると、列車は、水島臨海鉄道の本線を走り、折り返し駅の倉敷市駅に停車した。
停車時間は数分だったが、その間にも、列車の撮影などもした。
倉敷市駅からは、キハ20-3を先頭に、倉敷貨物ターミナルに隣接の車両基地へ向かって走った。
車両基地に着くと、記念撮影が行われ、そのあと、車両の撮影会が始まった。
車両基地には、キハ20のほか、主力車となって久しいMRT300、その日はまだデビュー前だったキハ37、キハ38、キハ30の姿があった。
車両基地をさらに奥に進むと、貨物列車用のディーゼル機関車の姿もあった。
車両基地の線路のうち1本をまっすぐ進むと、踏切がある。
その踏切を渡って向こうは、門が閉じていて、線路が行き止まりになっていた。
JFEスチールへの専用線だったのが撤去されたが、専用線の踏切は残っているという不思議な光景である。
車両基地で車両の入れ替えなどを行う際に、踏切まで撤去すると不都合があるために残しているのかもしれない。
そのあとも、撮影を楽しみ、それから、倉敷駅行きの列車に乗車した。
列車は、MRT300の単行運転で、ワンマン運転だった。その日は、女性の運転士が乗務していた。
本来の営業開始駅は、水島駅からなので、わたしたちは、車両基地から水島駅までは、回送列車に特別に乗せてもらったことになる。
水島駅からは、一般のお客も乗ってきた。
そのあとも、お客が増えて、車内は混雑してきた。
そして、終点の倉敷市駅で下車した。
そのあと、倉敷の商店街のうどん店で昼食をとり、それから、山陽本線で岡山へ戻った。
そして、買い物などをしたあと、路線バスで帰路についた。
こうして、キハ20の乗車・撮影会を無事に終えることができた。
4月27日も仕事が公休だった。
そこで、水島臨海鉄道のキハ20系気動車の乗車・撮影会に参加してきた。
その日も路線バスで岡山駅へ向かうと、備中高梁行きの1823M列車に乗車した。
途中の倉敷に止まると、下車して、水島臨海鉄道の倉敷市駅へ向かって歩いた。
倉敷市駅からは、9時発の三菱自工前行きの列車に乗った。列車は、MRT300形気動車の単行運転だった。ワンマン運転である。
列車内では、鉄道友の会などで知り合った方などと会った。
列車は、終点の三菱自工前駅には、9時29分に到着した。
ホーム1本のみの無人駅で、付近には、工場以外何もない。
三菱自工前駅の前で、参加者が集まるのを待った。また、その乗車・撮影会は、鉄道友の会東中国支部と玉野市電保存会との共催になっていた。わたしは、鉄道友の会東中国支部会員として参加したほか、参加費の集金・集計などもした。
しばらくすると、オレンジ色とクリーム色の国鉄色キハ20形の2両編成の列車が入ってきた。
列車は、倉敷市駅側からキハ20-5、キハ20-3の順だった。
わたしは、倉敷市寄りのキハ20-5に乗車した。
車内に乗ると、車窓からの景色を見て楽しんだり、車内を撮影したりした。
また、車内では、5月にキハ37、キハ38、キハ30が運転開始されることがPRされていた。
しばらくすると、列車は、水島臨海鉄道の本線を走り、折り返し駅の倉敷市駅に停車した。
停車時間は数分だったが、その間にも、列車の撮影などもした。
倉敷市駅からは、キハ20-3を先頭に、倉敷貨物ターミナルに隣接の車両基地へ向かって走った。
車両基地に着くと、記念撮影が行われ、そのあと、車両の撮影会が始まった。
車両基地には、キハ20のほか、主力車となって久しいMRT300、その日はまだデビュー前だったキハ37、キハ38、キハ30の姿があった。
車両基地をさらに奥に進むと、貨物列車用のディーゼル機関車の姿もあった。
車両基地の線路のうち1本をまっすぐ進むと、踏切がある。
その踏切を渡って向こうは、門が閉じていて、線路が行き止まりになっていた。
JFEスチールへの専用線だったのが撤去されたが、専用線の踏切は残っているという不思議な光景である。
車両基地で車両の入れ替えなどを行う際に、踏切まで撤去すると不都合があるために残しているのかもしれない。
そのあとも、撮影を楽しみ、それから、倉敷駅行きの列車に乗車した。
列車は、MRT300の単行運転で、ワンマン運転だった。その日は、女性の運転士が乗務していた。
本来の営業開始駅は、水島駅からなので、わたしたちは、車両基地から水島駅までは、回送列車に特別に乗せてもらったことになる。
水島駅からは、一般のお客も乗ってきた。
そのあとも、お客が増えて、車内は混雑してきた。
そして、終点の倉敷市駅で下車した。
そのあと、倉敷の商店街のうどん店で昼食をとり、それから、山陽本線で岡山へ戻った。
そして、買い物などをしたあと、路線バスで帰路についた。
こうして、キハ20の乗車・撮影会を無事に終えることができた。
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