浜崎ヒカル交通館ブログ

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さよなら三木鉄道

2008年03月31日 20時25分55秒 | 公共交通
兵庫県の中部の厄神駅から三木駅の間を通っていた三木鉄道は、1985年、国鉄三木線を引き継ぎ、第3セクター鉄道として、開業した。
開業当時は、2軸車のレールバスが、往復するだけの路線だったが、後に駅を増設したり、車両をややボギー車に置き換えるという動きがあった。
しかし、根本的な経営改善にはつながらず、廃線が決定し、本日、幕を降ろすことになった。
路線の起点は、JR加古川線の厄神駅で、終点は、三木駅である。いずれも、市街地から外れたところを走っていた。
三木鉄道の駅のうち、国鉄時代には存在していた国包、石野、別所、三木の各駅は、国鉄から引き継いだ駅舎がそのまま使われていた。国包は、カプセル駅舎のはしりといわれていて、待合所とトイレをコンパクトにまとめた無人駅用の駅舎に建て替えられたあと、各地の国鉄駅で同様の動きがあった。
しかし、国包駅の駅舎のトイレは、三木鉄道発足後、しばらくして、管理が行き届かなくなり、閉鎖されてしまっていた。
石野、別所の各駅は、古い木造駅舎が残っていた。いずれも、旧国鉄三木線の前身の前身だった播州鉄道(のちに播丹鉄道となり、さらにのち国鉄化)時代に開業したものである。
三木駅は、同鉄道路線唯一の社員配置駅で、車両基地も併設されていた。なお、三木鉄道では、普通乗車券は発売されてなく、有人駅での乗降も含めて、運賃は、降車時、車内で支払うことになっていた。
三木鉄道は、播州鉄道として、厄神~別所間が部分開業した頃を含めると、92年の歴史を持つ路線であるが、本日を持って、その歴史にピリオドを打つこととなる。
ローカル鉄道が次々と各地で廃止されていく中、1日でも長く活躍して欲しかったのが、レールファンの心情であるが、厳しい現実には勝てなかった。
わたしは、2006年の夏に全区間往復乗車したことがある。当時は、車内は閑散としていて、往復とも、ボックスシート1組を1人で占領することができたのである。そのような状況では、廃線もやむを得なかったのだろう。
今年もまた、ローカル鉄道が姿を消す春となった。
運営事業者が変わりながらも、長く親しまれた三木線には、心から感謝と労いの意を申し上げたいと、わたしは思う。



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