浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

1泊2日の和歌山旅行

2008年04月03日 11時47分56秒 | Weblog
4月1日から2日まで、母親と、和歌山へ旅行に出かけた。
マイカーで熊山駅へ行き、18切符に日付のスタンプを押してもらった。
ホームに入ると、8時16分発の1304M相生行きに乗車した。115系更新車A編成を使用した4両編成の列車である。わたしたちは、最後尾のクハ115-1068に乗車した。
相生に着くと、赤穂線から乗り入れる223系電車4両編成の942M普通列車に乗り換えた。行き先は姫路で、終点まで乗車した。
姫路に着くと、3440M新快速に乗り換えた。それは、223系電車12両編成で、わたしたちは、モハ222-2014に乗車した。
新快速電車は、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎に停車し、大阪に着くと、下車して、大阪環状線のホームへ行った。
そこからは、10時54分発の「紀州路快速」に乗車した。車番は、クハ222-2501である。「紀州路快速」は、223系電車4両編成で、京橋~和歌山を大阪経由で運行されている。そのうち、京橋~日根野は、関西空港線乗り入れの「関空快速」と併結運転になる。「関空快速」も4両編成で運行されている。
3月の改正前は、「紀州路快速」3両+「関空快速」5両の列車や、その逆があり、乗車位置が統一されないというわかりづらさがあったが、どちらも4両編成化のうえ、乗車位置の統一化が図られた。
わたしたちが、その日に乗った「紀州路快速」は、大阪を10時54分に発車し、終点・和歌山には、12時16分に到着の予定だった。
列車は、西九条、弁天町、新今宮、天王寺、堺市、三国ヶ丘、鳳、和泉府中、東岸和田、熊取、日根野、和泉砂川、紀伊、六十谷の順に停車し、終点の和歌山に到着した。
途中、熊取には、特急退避のために、比較的長時間停車したほか、日根野では、前側に連結されていた「関空快速」の切り離しがあり、「関空快速」の発車後の発車になったため、停車時間はやや長かったが、それでも、切り離し作業はすぐに終わってしまった。
終点の和歌山到着は、12時16分到着だったと書いたが、途中、先行列車の遅れがあり、それで、その列車にも遅れが出て、和歌山に到着したときには、20分前後になっていた。
和歌山駅に着くと、改札を出て、駅より南西にあるラーメン店「井出商店」へ向かって歩いた。そこは、和歌山ラーメンを代表する有名な店である。行列ができることが多いといわれているが、その日は、お客は多かったものの、待たされることなく、席に着くことができた。わたしは、特製大盛ラーメンをいただいた。スープの味や、味の染み込んだチャーシューが特に良かった。
「井出商店」で昼食をすませたあとは、和歌山駅前に戻り、和歌山バス・30系統に乗車した。雑賀崎方面行きのバスである。車両は、日野レインボーのワンステップ車でバリアフリー対応車だった。
バスの車内は混雑していた。
バスは、和歌山上のそばや県庁前などを通り、だんだん中心市街地から離れて、郊外へ向かって走っていった。
そして、養翠園前に着くと、バスを下車した。
バスを下車すると、養翠園の看板を目印に、歩いていった。途中、水軒川の橋を渡り、しばらく歩くと、養翠園の入口に到着した。
養翠園は、紀州徳川家十代藩主・徳川治宝が、水軒御用地内に造営された大名庭園で、周囲には、多数の松が植えられているほか、海水を採り入れた池があり、位置的には、海辺に近いにも関わらず、遠方の山を借景して、山に囲まれた庭園の雰囲気にされている。
そこは、かつて、NHKの大河ドラマ・八大将軍吉宗のロケにも使用された場所でもある。
養翠園をあとにすると、バスで市街地へ戻るのだが、時間がまだあったので、次の長路停留所まで歩いた。
和歌山駅行きのバスが来ると、乗車し、公園前停留所で降りた。和歌山城入口前のバス停である。
和歌山城内は桜がきれいに咲いていて、多くの人が訪れていた。
石段を登り、本丸跡の前を通り、少し歩くと、天守閣入口に到着した。
天守閣に入り、眺望を楽しんだり、展示されている甲冑や陣笠、刀剣や銃、瓦などを見て、楽しんだ。
そうしているうちに、閉館のアナウンスがあり、急いで外に出て、天守閣をあとにした。
そして、和歌山城西門から大通りに出て、堀止西にある宿まで歩いた。
その宿は、古くからの住宅街にある木造2階建ての老舗旅館である。中の設備なども家庭的な雰囲気である。
1泊2食付きで予約していたのはいうまでもない。入浴後、夕食をいただき、就寝した。
翌朝、起床すると、朝食前、宿の向かいにある神社にお参りした。
そして、朝食をいただき、出発の準備などを済ませて、チェックアウトした。
宿をあとにすると、大通りまで歩いて、堀止停留所から、海南方面行きの和歌山バスに乗車した。そのバスは、途中、紀三井寺を経由する。
紀三井寺停留所に着くと、西国33箇所観音霊場第2番である紀三井寺へ向かって歩いた。
紀三井寺は、金剛宝寺、護国院とも呼ばれている。
途中、紀勢本線の踏切を渡り、楼門へ向かって、参道を歩いた。途中には、土産店が並び、そのうちの1箇所で、大きな手荷物を預かっていただいた。
そして、重要文化財の楼門をくぐると、231段ある石段を登っていった。
石段を上り、本堂に着くと、参拝をして、納経帳に朱印をしていただいた。
その日の紀三井寺は、境内中、桜の花がきれいに咲いていた。また、天気も良く、本堂前付近からは、海を眺めることができた。
なお、本堂の前には、和歌山地方気象台観測用のソメイヨシノの標本木があり、それが、開花宣言の基準とされている。
桜がきれいに咲いた境内を歩きながら、しばらくして、紀三井寺をあとにした。
登ってきた石段を降りていき、土産店で買い物をしたあと、荷物を取り、紀三井寺駅に向かった歩いた。
そして、紀三井寺駅で、18切符にスタンプを押してもらった。
紀三井寺駅からは、10時53分発の350M普通列車和歌山行きに乗車した。113系更新車4両編成の列車である。わたしたちが乗車したのは、先頭のクハ111-7149だった。
和歌山駅に到着すると、いったん改札を出て、和歌山駅のコインロッカーで大きな荷物を預けたあと、改札に入り、11時19分発の1446M粉河行きに乗車した。
それが、わたしにとって、和歌山線初乗車となった。列車は、105系の2両編成で、わたしたちが乗車したのは、先頭のクハ104-506だった。
車両は、オールロングシート4扉の105系電車の戸袋窓残存車だが、クハにはトイレが設置されていた。
列車は、ワンマン運転である。
粉河まで各駅に停車するが、途中、無人駅がほとんどで、無人駅では、前の車両のドアしか開かない。
列車は、山桜の咲き乱れた山をバックに、のどかな田園の中を走っているが、駅付近などは、新興の住宅も多かった。
沿線には、菜の花や桃の花などが彩りを添えていたほか、みかん畑も多かった。和歌山(もちろん、それだけが和歌山ではないが)らしい風景である。
粉河に着くと、風猛山・粉河寺を目指して歩いた。駅から粉河寺までは、商店街の整備された道の中を通り抜けた。
そして、進んでいくと、迫力のある大門が眼に入ってきた。
大門は、建立は明らかではないが、1707年と考えられているという。
大門をくぐりぬけると、広大な粉河寺の伽藍が眼に入ってきた。
境内は、桜が多数、美しい淡いピンクの花々を咲かせていた。
その付近には、童男童や太子堂などがある。
さらに進むと、中門があり、くぐりぬけると、桃山時代に作られた庭園があり、その背後に、本堂の姿があった。
参拝後、本堂で、納経帳に朱印をしてもらった。
そのあと、すぐそばにある湯浅桜を眺めたり、比較的近い場所にあるクスノキに眼を向けた。そのクスノキは、紀の川市指定の自然保存木である。
それから、本堂のさらに奥にある神社の境内へ入った。
それは、粉河産土神社といい、旧粉河村の総鎮守であると同時に粉河寺の鎮守でもある。
祭神は、丹生都姫命、天忍穂耳命。
粉河産土神社をあとにすると、粉河寺もあとにして、歩いてきた商店街を、駅に向かって歩いた。
その途中にある食堂で、おそめの昼食をとり、それから粉河駅に到着した。
粉河駅からは、予定より早い14時32分発の1459Mに乗車した。
それも、105系の2両編成の列車で、車番は、クモハ105-506である。
列車は、終点の和歌山まで、各駅に停車した。
和歌山に着くと、いったん改札の外に出て、買い物などをしたあと、荷物を取り、改札に入ると、柿の葉寿司を買ったあと、「紀州路快速」の止まっているホームへ向かった。
その「紀州路快速」は、15時35分に発車した。予定より早い列車に乗車したのである。わたしたちは、座れたが、発車直前には、立ち客が出た。わたしたちが乗った車両は、最後尾の車両で、車番はクハ222-105だった。
列車は、六十谷、紀伊、和泉砂川、日根野の順に停車し、日根野では、後部に、「関空快速」を連結した。そのあと、熊取、東岸和田、和泉府中、鳳、三国ヶ丘、堺市、天王寺、新今宮、弁天町、西九条、大阪の順に停車し、大阪駅で、「紀州路快速」とお別れとなった。
そのあと、東海道本線のホームに行き、17時15分発の3487M新快速に乗車することができた。それも、予定より早い列車である。
その新快速は、12両編成で、わたしたちが乗ったのは、先頭のクハ222-2039だった。着席はあきらめていたので、運転席の直後で、前面展望を楽しんだ。
なお、その列車は、大阪から姫路まで、女性の車掌が乗務していた。
新快速が姫路に着くと、山陽本線岡山方面への乗り換えだが、それは、当初から予定していた19時7分発の1335Mしか乗車できる列車がない。
その結果、姫路で時間に余裕ができたので、ホームの立ち食いそば屋で、名物の駅そばを食べることにした。一時的な腹ごしらえだが、腹が落ち着いてきた。
そのあと、19時7分発の入線まで、ホームの乗車位置で待った。
列車が入線すると、先頭の車両に乗車し、すぐに座席を取った。乗車した車両は、クハ115-1234である。列車は、4両編成で、115系のK編成だった。
姫路駅発車時は、車内はかなり混雑していた。
途中、英賀保、新駅のはりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡と停車するにつれて、徐々に、車内の乗客は降りていったが、上郡発車後も、かなり立ち客がいた。
通常は、車内は空いているのだが、18切符のシーズンは、そういうことが珍しくない。
そして、船坂峠を越えて、列車は、岡山県に入った。最初の停車駅は、三石である。
三石を出ると、吉永、和気の順に停車し、熊山駅に停車すると、わたしたちは下車して、帰路についた。






和歌山城からの眺望
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