2019年5月25日群馬県高崎市井手町に有る「かみつけの里博物館」を見学しました。
「かみつけの」とは(上野毛)と書く、古墳時代群馬県地域がこう呼ばれたそうな。
この博物館の周囲が「古墳群」と成って居て薬師塚古墳、八幡塚古墳、二子山古墳の3基の前方後円墳がある(国指定史跡)
タイトル写真は駐車場から見た八幡塚古墳
高崎市保渡田古墳群URL
八幡塚古墳は発掘整備され1996年から4年程を掛け保存復元がされたようです。
写真は前方後円墳外堀手前から撮った物で、空堀と成って居ます。
写真は前方後円墳の円形の部分、一番高い所でこの足下に石棺が埋葬されています。
そこから北西方向、榛名山、二ッ岳、写っていませんが右手の方は赤城山が見えるようです。
この写真は上の写真の反対方向振り向いて撮った物で手前のフェンスはここから地下に降りる様に成って居て地下に石棺があります。
再度上に出て東側の遠景 「西側の遠景」です。荒船山、妙義山が見えます。写真手前右手方向に「薬師塚古墳」が有るのですが、今はお寺の境内の中で前方後円墳の形もかなり崩れているようです。
此方は「かみつけの里博物館」館内の展示室です。周辺から出土した土器や埴輪が展示されています。
館内にある復元模型の配置図ですが具体的な名称が無く、仕方ないので位置関係が判りやすい様に書き入れました。展示物などの説明やパンフレットなど全体的に説明不足感があり、通り一遍の説明で済ませてしまっている感じで考古学ファンにとっては不満足感が残りそう!
此方は「かみつけの里博物館」の左隣にある「二子山古墳」前方後円墳。「八幡塚古墳」と全く同じ造りですが、此方は復元方法が少し違うようで全面クマザサで覆われています。円形の部分に付いている階段を登り石棺のある所へ到達します(石棺の実物が見られます)。此方の前方後円墳の方が若干規模が大きいのですがいずれも盗掘に合っているので詳しくは不明のようです。
この写真は円形の墳墓、右手の「中島」近くから撮った物です。手前の円形の整地された場所は4つ有ります。(中島)は何に使用した場所か余りよく判っていないようです。
「かみつけの」とは(上野毛)と書く、古墳時代群馬県地域がこう呼ばれたそうな。
この博物館の周囲が「古墳群」と成って居て薬師塚古墳、八幡塚古墳、二子山古墳の3基の前方後円墳がある(国指定史跡)
タイトル写真は駐車場から見た八幡塚古墳
高崎市保渡田古墳群URL
八幡塚古墳は発掘整備され1996年から4年程を掛け保存復元がされたようです。
写真は前方後円墳外堀手前から撮った物で、空堀と成って居ます。
外堀を渡ると埴輪がや土器が並んだ一段高くなった所に上がります。
そして又内堀を越えた所の墳墓本体に登ります。
写真は前方後円墳の円形の部分、一番高い所でこの足下に石棺が埋葬されています。
そこから北西方向、榛名山、二ッ岳、写っていませんが右手の方は赤城山が見えるようです。
この写真は上の写真の反対方向振り向いて撮った物で手前のフェンスはここから地下に降りる様に成って居て地下に石棺があります。
写真が地下に降りた所です。
再度上に出て
此方は「かみつけの里博物館」館内の展示室です。周辺から出土した土器や埴輪が展示されています。
館内にある復元模型の配置図ですが具体的な名称が無く、仕方ないので位置関係が判りやすい様に書き入れました。展示物などの説明やパンフレットなど全体的に説明不足感があり、通り一遍の説明で済ませてしまっている感じで考古学ファンにとっては不満足感が残りそう!
此方は「かみつけの里博物館」の左隣にある「二子山古墳」前方後円墳。「八幡塚古墳」と全く同じ造りですが、此方は復元方法が少し違うようで全面クマザサで覆われています。円形の部分に付いている階段を登り石棺のある所へ到達します(石棺の実物が見られます)。此方の前方後円墳の方が若干規模が大きいのですがいずれも盗掘に合っているので詳しくは不明のようです。
石棺のある所から前方四角形の方を撮った物です。
この写真は円形の墳墓、右手の「中島」近くから撮った物です。手前の円形の整地された場所は4つ有ります。(中島)は何に使用した場所か余りよく判っていないようです。