・・・朝、小樽の従姉からメロンとタバコの「ケント」が送られてきた・・・従姉の孫が来年の正月頃に生まれるらしい・・・昼間の雷雨が止んで、今現在、16時過ぎ、雲あれども晴天、鴉も小鳥の鳴き声も爽やか。ライウも「覶意得(ライウ)」かな・・・他から、他人からの音声、ボクの耳にはチャンと聴き取れない音なのだが、文字を視ながらの「同音」の「音キチ」なっている・・・「きちがい(マッド・Mad)=発狂した人間、端的に状態が著しく常軌を逸した人間・気違い、気狂い、瘋)」、「クレィジー(馬鹿・莫迦・Crazy)」や、「おバカ=フール・Fool」ってコトバもある・・・「松土・松戸」、「呉異字意・繰れ異字意」、「風留・附得留」・・・「モリソン号の風聞」・・・「音気知・音既知・音記知」・・・「音吉(おときち)、文政二年(1819年)~慶応三年(1867年1月18日)は、江戸時代の水主(かこ)・漂流民。後にはジョン・マシュー・オトソン (John Matthew Ottoson) と名乗った。名は乙吉とも記される」・・・「ギュツラフ訳聖書」、「マカオで漢訳『神天聖書』を参照しながら音吉らの協力を得て『約翰(ヨハネ)福音之伝』(1837年)を日本語訳」をした・・・「水主」がナゼ「かこ」なんだか、「過去・鹿児・加古」・・・「加護の歌語の駕籠の過誤」かも・・・「鳴瀧(滝・多紀・多記・他記・太記)塾」・・・
ーーーーー
旧約聖書
列王記 下
第3章
3:1
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の王
ヨシャパテ・・・与写葉出・代者葉弖(氐・弟・頽)
の
第(ダイ)
十八(ジュウハチ・おはこ)・・・拾(足)捌
年(ネン)
に
アハブ・・・阿葉部
の子
ヨラム・・・与等務・與(譽・豫・輿・余・夜・世・代)等務
は
サマリヤ・・・作馬理也・差万理埜
で
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王となり、
十二(ジュウニネン)・・・拾(足)弐
年
世(よ・セ)を
治(おさ・ジ・チ)めた。
3:2
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
は
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
の
目の前に
悪をおこなったが、
その
父母(フボ・ちちはは)
のようではなかった。
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
がその
父(ちち・フ)の造(つく・ゾウ)った
バアル・・・葉有・馬阿留・場或・芭亞留
の
石柱(セキチュウ・いしはしら)
を
除(はぶ・ジョ)いたからである。
3:3
しかし
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
は
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
に
罪(つみ・ザイ)を
犯(おか・ハン・よこしま)させた
ネバテ・・・音葉出
の子
ヤラベアム
の
罪につき従って、
それを離れなかった。
3:4
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
の王
メシャ・・・目写・目者・女舎・女写
は
羊(ひつじ・ヨウ)の
飼育者(シイクシャ)で、
十万(ジュウマン・とまん)・・・・拾萬(万)
万葉集
太安万侶
曼荼羅
万華鏡
の
小羊(こしつじ・ショウヨウ)と、
十万
の
雄羊(おしつじ・ユウヨウ)の
毛(け・モウ)とを
年々(ネンネン・としどし)
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の
王に
納(おさ・ノウ)めていたが、
3:5
アハブ・・・阿葉部
が
死(シ)んだ・・・・シムダ→詞務拿
後(ゴ・あと・のち)、・・・・・語・呉
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
の
王は
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王に
背(そむ・せ・ハイ)いた。
3:6
そこで
ヨラム・・・与等務・與(譽・豫・輿・余・夜・世・代)等務
王は
その時
サマリヤ・・・作馬理也・差万理埜
を出て、
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
びとを
ことごとく(侭・儘・畢・悉)・・・糊塗語解く
糊塗如く(語説く)
異語解く
言語解く
事語解く
集め、
3:7
また、
人を
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の
王
ヨシャパテ・・・与写葉出・代者葉弖(氐・弟・頽)
につかわし、
「モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
の王は
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
背(そむ・せ・ハイ)きました。
あなたは
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
と
戦(たたか・いくさ・セン)うために、・・・意句差(作)
撰・選
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)と
一緒(イッショ)・・・一書・佚書・逸書・一所
に
行(い・ギョウ・コウ・アン)
かれ
ませんか」
と言わせた。
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
は言った、
「行きましょう。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
あなたと
一(ひと・イチ)つです。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
民(たみ・ミン)は
あなたの
民と一つです。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
馬(うま・め・ま・バ)・・・馬太・司馬・佐馬
馬宿→厩戸皇子
厩戸王
上宮王
豊聡耳
上宮之厩戸豊聡耳命
法主王
豊聡耳聖
豊聡耳法大王
上宮太子聖徳皇
厩戸豊聰耳聖徳法王
ウマ=宇摩・得万
め=女・雌・目・芽・痲
は・・・葉
あなたの
馬(うま・め・ま・バ)と
一つです」。
3:8
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
は
また言った、
「われわれは
どの道を
上るのですか」。
ヨラム・・・与等務
與(譽・豫・輿・余・夜・世・代)等務
は
答えた、
「エドム・・・江戸務
の
荒野(コウヤ・あれの)
の
道(みち・ドウ)を・・・路
未知・満・・・充満
同・銅
導・働・如何
北海道の地名である・・・
上りましょう」。
3:9
こうして
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王は
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の王
および
エドム
の王と
共に出て行った。
しかし
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らは
回り道をして、
七(なな・シチ)・・・漆→名納
七夕→誌地石(籍・跡)
棚機(津女)
乞巧奠(きっこうでん)
荊楚歳時記(荊楚=長江中流域)
牽牛・織女
シチ=詞知
示地(誌地)
死地
日(か・にち・ヒ・ビ・ジツ)・・・日本
仮・似知
比
毘(尾・備・美・靡)
尾張・吉備・美馬作
邪靡堆国=俀国
実・實
志通(志津)
誌通・誌實
の
間
進んだが、
軍勢と
それに従う
家畜の
飲む水がなかったので、
3:10
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王は言った、
「ああ、
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
は、
この
三人(サンニン)
の王を
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
の手に
渡そうとして
召し集められたのだ」。
3:11
ヨシャパテ・・・与写葉出・代者葉弖(氐・弟・頽)
は言った、
「われわれが
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
に問うことのできる
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
の
預言者
はここにいませんか」。
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王の
ひとりの
家来が答えた、
「エリヤ・・・重理埜・得裏哉・選理也
の手に
水を注いだ
シャパテ・・・写葉出
の子
エリシャ・・・重理写・得裏舎→舎人
↓ 舎人親王
↓ 崇道尽敬皇帝
(スドウジンケイコウテイ)
日本書紀
養老四年
(720年)
五月
編纂上奏
天平七年(735年)
十一月十四日
天然痘が蔓延
平城京で死没
六十歳
知太政官事一品
太政大臣
天平宝字二年(758年)
第七王子の
「大炊王」が
即位(淳仁天皇)
天平宝字三年(759年)
天皇の父として
「崇道尽敬皇帝」を
↓ 追号
がここにいます」。
3:12
ヨシャパテ・・・与写葉出・代者葉弖(氐・弟・頽)
は言った、
「主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
の言葉が
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
にあります」。
そこで
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王と
ヨシャパテ・・・与写葉出・代者葉弖(氐・弟・頽)
と
エドム・・・江戸務・重土務・重渡務→蝦夷務
の
王
とは
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
の
もとへ下っていった。
3:13
エリシャ・・・重理写・得裏舎
は
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王に言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
あなたと
なんの
かかわりがありますか。
あなたの
父上の預言者たちと
母上の預言者たちの
所へ行きなさい」。
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の王は
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
に言った、
「いいえ、
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
が
この
三人の王を
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
の手に渡そうとして
召し集められたのです」。
3:14
エリシャ・・・重理写・得裏舎
は言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
仕える
万軍の
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
は生きておられます。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥
の王
ヨシャパテ・・・与写葉出・代者葉弖(氐・弟・頽)
の
ためにするのでなければ、
あなたを顧み、
あなたに会うことはしないのだが、
3:15
いま
楽人を
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
所に連れてきなさい」。
そこで
楽人が
楽を奏すると、
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
の
手が
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
に臨んで、
3:16彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
は言った、
「主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
はこう仰せられる、
『私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
この谷を
水たまり
で
満たそう』。
3:17
これは
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
がこう仰せられるからである、
『あなたがたは
風も
雨も
見ないのに、
この谷に水が満ちて、
あなたがたと、
その家畜
および
獣が
飲むであろう』。
3:18
これは
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
の
目には
小さい事である。
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
は
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
びとをも、
あなたがたの
手に渡される。
3:19
そして
あなたがたは
すべての堅固な町と、
すべての良い町を撃ち、
すべての良い木を切り倒し、
すべての水の井戸を塞(ふさ)ぎ、
石(いし・いわ・セキ)をもって
地(チ・ジ)のすべての
良い所を荒すであろう」。
3:20
あくる朝になって、
供え物を
ささげる時に、
水が
エドム
の方から流れてきて、
水は国に満ちた。
3:21
さて
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
びとは
皆、
王たちが
自分たちを
攻めるために
上ってきたのを
聞いたので、
鎧(よろい)・・・与賂意
鎧=金+山+豆
を着ること
の
できる者を、
老いも
若きも
ことごとく召集して、
国境に配置したが、
3:22
朝はやく起(お・キ)きて、
太陽が昇(のぼ・ショウ)って
水を照(てら・ショウ)したとき、
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
びとは
目の前に
血のように
赤い水を
見たので、
3:23
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らは言った、
「これは血だ、
きっと
王たちが
互に戦って殺し合ったのだ。
だから、
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
よ、
分捕(ぶんど)り・・・文採り
に
行(い・ギョウ・コウ・アン)きなさい」。
3:24
しかし
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
びとが
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の
陣営に行くと、
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
びとは立ちあがって
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
びとを
撃ったので、
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らは
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
の前から逃げ去った。
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
びとは進んで、
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
びとを撃ち、
その国にはいって、
3:25
町々を滅ぼし、
各々(おのおの・カクカク)・・・小野尾野
斯く書く
石(いし・いわ・セキ)を
一つずつ、
地の
すべての良い所に投げて、
これに満たし、
水の井戸を
ことごとく
ふさぎ、
良い木を
ことごとく切り倒して、
ただ
キル・・・記留
・
ハラセテ・・・葉等施出
は
その名を残すのみとなったが、
石を投げる者が
これを囲んで
撃ち滅ぼした。
3:26
モアブ・・・摸阿部・摸阿武・漏亞伏
の王は
戦いが
あまりに激しく、
当りがたいのを見て、
剣(つるぎ・ケン)を抜く者
七百(シチヒャク・ななもも)
人を率い、
エドム
の王の所に
突き入ろうとしたが、
果さなかったので、
3:27自分の位を継ぐべき
その長子を
とって
城壁の上で
燔祭としてささげた。
その時
イスラエル・・・以色列・伊色列・以斯来
伊斯列児・衣斯辣衣耳
に
大いなる憤りが
臨んだので、
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らは
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
を
すてて
自分(ジブン)・・・ジブン・・・おのずから分ける
↓ 小野事からの文
小野妹子=蘇因高
素因考
小野臣毛人
小野朝臣馬養
小野朝臣廣人
(造平城京司次官)
小野朝臣老
小野朝臣牛養
小野朝臣小野虫賣
小野小町
小野篁
小野道風
↓
小野蘭山(草本学者)
小野友五郎
(幕臣・アメリカ渡航二度)
小野善助(井筒屋創業主)
↓
小野浦の
音吉(乙吉)、
中国名は
林阿多(リン・アトウ)
イギリスに帰化して
ジョン・マシュー・オトソン
息子は「山本音吉」
1819年
尾張国
知多郡
小野浦村(美浜町)生まれ
千石船「宝順丸」で働く
1832年
宝順丸の遭難
音吉(乙吉)ら
14人が乗っ
宝順丸は
遠州灘沖で遭難
14ヶ月漂流
音吉
久吉
岩吉
生存
1834年
アメリカ上陸
アメリカ
ワシントン州
ケープ・アラバ
の海岸に漂着
インディアン
の
マカ族に保護され
後
イギリス人経営の
ハドソン湾会社に
引き取られ、
フォード・バンクーバー
で英語教育を受ける
1835年
ロンドン上陸
フォード・バンクーバー
の
太平洋地域総責任者
ジョン・マクラフリン
によって
ハワイ経由でロンドンへ
1日だけ上陸許可され
ロンドン市内見物
1835年
世界初の
和訳聖書作成
ハドソン湾会社本社によって
ジェネラル・パーマー号で
ロンドン
から
マカオへ
ドイツ人宣教師
カール・ギュツラフ
に預けられ、
世界初の
聖書の
和訳に協力
↓ ジブン=事分・時分・似文・字文
の国に帰った。
ーーーーー
・・・音キチ・・・