・・・ダレもが飲みたがる「死に際の水」・・・「一八(18)・十一(11)」、「2015/8/8」・・・「監獄ロック(錠・岩=石)」・・・「石清水」・・・「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)・京都府八幡市の神社・旧称は男山八幡宮」・二十二社(上七社)の一社・伊勢神宮とともに二所宗廟の一社」・・・元々は「宇佐神宮の勧請分社」で、その山麓の下院、領域内には「高良神社」もある。祭神は、
中御前(誉田別・第十五代応神天皇)
西御前(比大神・宗像三女神の
多紀理毘売命(たぎりびめ)
市寸島姫命(いちきしまひめ)
多岐津比売命(たぎつひめ)
東御前(息長帯姫命・神功皇后)
である・・・半島の高麗(高句麗)血族、あるいは新羅血族の祭神だろう。どちらも「女真・女直・金・粛慎(みしはせ・あしはせ・シュクシン)・扶余」系の祭神だろう・・・「神仏分離令」・・・
慶応四年(明治元年・1868年)3月12日
明治政府は、
神号を
「八幡大菩薩」から
「八幡大神」と改め
1871年に社号を
「男山八幡宮」と改名したが、
大正七年の
1918年には
「石清水八幡宮」に戻した・・・
ナゼ?・・・石原莞爾(いしわら かんじ・明治二十二年(1889年)1月18日 (戸籍は17日)~ 昭和二十四年(1949年8月15日)・山形県人・大正7年(1918年)陸軍大学校を次席で卒業・最終階級陸軍中将・「世界最終戦論」の軍事思想家に訊いてみたいもんだが・・・「五族協和」思想は「日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人」、それに「五族+アルファー」として「ユダヤ人」だったとか・・・「法華経」・・・
↓
世界情勢は狂っていた・・・1917年2月23日、10月25日、レーニン(レナ川の人)も狂っていた・・・第一次世界大戦(World War I)は、既に1914年(大正三年)7月28日~1918年(大正七年)11月11日にかけて戦われていた・・・戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人と推定・・・1918~1919年のスペイン風邪(発生源はアメリカ・デトロイトやサウスカロライナ州付近)、感染者5億人、死者5,000万~1億人、日本人は39万人(現在では48万人)死亡と推定・・・人間自体が狂っていた・・・そして、第2次世界大戦(World War Ⅱ)である・・・
↓
・・・「イワ(石=いし・セキ)から湧き出る清水=泉の水」をヒク・・・ナゼ、「水引(みずひき)」なんだろう・・・灌漑用水の「水引」か、水道飲料水の「水引」か、豪雨の後の「河川」の「水引、減水」か、「河口周辺の潮汐」による「水が退いた」の「水引」か・・・「津波が退いた」の「水引」か・・・
明治二十年(1887年)に横浜で初めて近代水道が布設
明治二十二年に函館
明治二十四年に長崎
港湾都市を中心に水道が整備・・・
「玉川上水道」は「1653年2月10日着工~1654年8月2日本線開通」、「1722年(享保七年)以降、新田開発によって分水(用水路)が開削
武蔵野の農地へも水を供給」・・・
「ミズ尾記・ミズ備記・ミズ靡記」か・・・牽牛・・・牽引・・・ブログ記事の字書を索引する・・・
ーーーーー
水引
紙縒(こより)を糊で固めた紐
紙縒(こより)色水で染めた紐
小野妹子→五百子→が隋からの帰国の際、
その同行した
答礼使が持参した献上品に
「紅白の麻紐」が
結び掛けられていたのが最初・・・?
呼称は「くれない=紅」
「水引(みずひき)」の呼称は
室町時代から・・・?
↓↑
紙縒(こより)=紙撚
紙を細く裂いた物を寄り合わせて紐とした物
特に丈夫な紙を原料にしたものは
元結と称し、
主に冊子の
綴じ紐
や
髪
を
束ねるために使用
紙縒りに糊を引き、
染色・
箔加工
したものが「水引」・・・
↓↑
ミズヒキ(水引)
植物
学名=Persicaria filiformis)
タデ(蓼)科
イヌタデ属の草本
和名は、
紅白に見える
花序が
「水引」に似ていることから
水引草(みずひきそう)
初夏の頃によっては
葉に「八」の字の
模様(鼻緒のような模様)が入る
沖縄では絶滅危惧種
↓↑
ミズヒキ(花)
学名=Antenoron filiforme Antenoron
ミズヒキ属 filiforme
糸状の
祝儀などで使われる
「水引き」に似ていることから
ミズヒキ(水引)
タデ目タデ科タデ属の多年生草本(宿根草)
細く真っ直ぐに伸びた花穂(総状花序)に、
米粒大の小花(実は萼)を
疎(まば)らに付ける
花茎には多数の節があり、
葉は緑色が主
マレに斑入りがある
8~10月に咲く
細長い花序が出て、
小花を疎(マバラ)につける
花弁はなく、
花弁状の
「萼(うてな・ガク=萼片=sepal
↓ =花の最外輪に位置
一般に花葉の中で
葉の性質を最もよく残した花葉
「萼片」のまとまりを
「萼 (calyx)」と呼ぶ
花弁(ハナびら)の付け根にある
蕾(つぼみ)のときは
内部を包み保護している
萼筒・萼裂片・萼歯(がくし)
萼(がく)が合着して
筒状になったものを
萼筒(がくとう)
その裂片を、
萼裂片(がくれつへん)
裂片が小さい場合は
↓ 萼歯(がくし)と云う」
深く
4つに裂ける
雄しべは
5本
雌しべの花柱は
先が
2つに裂け、
先端は
鍵のように曲がる
茎の断面は
白色の
髄が詰まっている
葉は幅広い
楕円形でやわらかく、
黒い斑紋があることが多い
両面に毛があり、
茎や花茎にも
毛がある。
花茎は高さは5~20センチで
葉がなく、
円筒状
あるいは
卵状の総状花序
明るいピンク色の花をつける
↓
金水引(きんみずひき)
金箔(きんぱく)を塗った水引
バラ科の多年草
山野に自生
茎の高さは50~150センチメートル
葉は羽状複葉
秋に
茎の先に細長い穂状花序を立て
黄色い五弁の小花を多数つける
キンミズヒキ
多年草
山道の側など、やや自然性の高い草地に生育
葉は5~9個の小葉に分かれ
葉の付け根には明瞭な托葉がある
夏に茎を立ち上げ、
8月頃に黄色い花を咲かせる
花の直径は6~11mm
果実はの上縁には長さ3mm程度の
棘がたくさんでき、
動物等にひっついて散布
「ひっつき」虫の一
かぎ針(鉤、フック)や
逆さトゲによって
ヒトや動物の皮膚や衣類に引っかかったり、
粘液によって張り付いたりする
植物の種子や果実の俗称である
「くっつき」虫とも
「ひっつき・もっつき・あばづぎ」
と呼ぶ地方もあるらしい・・
↓
水引(みずひき)
「水引」
和紙を「紙縒(こより)状」にしたモノ
紙縒(こより) に
糊をひいて
乾し固めた飾りの紐
贈り物の包み紙を結んだり、
封筒に付けられる
用途に応じて
色や結び方が異なる
↓↑
旧約聖書(レビ記)
「二種の
糸で織った
衣服を
身につけてはならない」
↓↑
これが縞模様=反社会的なものという起源
囚人・迫害の対象となった人々が
縞模様の服と結びつけられ、
囚人服に用いられた・・・
↓↑
イギリス・ロンドン北部の
「ボー・ダ・ボー」という
刑務所の囚人に
「太い横線の服」を着せた名残り
ボーダー柄の発祥・・・?
↓↑
贈答品に掛けられる
「紐飾り=水引」
紅白の水引は「目出たい時」の引き出物
「蝶結び(花結び)」
↓
白黒の水引は「葬式・葬儀」の引き出物
「結び切り(堅結び)」
↓
婚礼のみは「紅白の結び切り(堅結び)」
↓
お祝い・お見舞い・弔事など
贈答品全般に用いられる
熨斗(のし)紙
や
ご祝儀袋に印刷され
水引の両端は
祝事の時は上向き
弔事の時は下向き
に結ぶ
↓↑
慶事では奇数(3本・5本・7本)
婚礼では10本1組で、「5本」の2束
ーーーーー
菅原道真の和歌
↓
水ひきの
白糸
延へて
織る機は
旅の衣に
裁ちや
重ねん
(後撰和歌集巻十九)
ーーーーー
旧約聖書(レビ記)
「二種の糸で織った衣服を身につけてはならない」
これが縞模様=反社会的なものという起源
囚人・迫害の対象となった人々が
縞模様の服と結びつけられる歴史が生まれ、
囚人服に用いられた・・・?
イギリス・ロンドン北部の
「ボー・ダ・ボー」という
刑務所の囚人に
太い横線の服を着せた名残り
ボーダー柄の発祥・・・?
ボーダー柄=服飾で、横縞柄
ボーダー(ふち取りの模様)
を繰り返してできる柄
ボーダー=犬の種類
境界(border)
ボーの英語
蝶結び=bow=bowknot
ボータイ(蝶ネクタイ)=bowtie
フランス語の
フォン・ド・ボー
子牛の肉や骨でとっただし汁
フォンは〈土台〉
ボーは〈子牛〉
の意・・・
「BO」=「body odor」=体臭
(地名) Bo (Siera Leone); Baugh; Beaux
「ヨコシマな奴」とは囚人、囚獄、権力者に反逆者、反抗した者の総称であろう・・・では、「よこしま=邪」は幕末明治以降の「ルビ振り」だろう・・・日本人の「囚人」は「縞模様の囚人服」は着ていなかった・・・だが「刺青」をされた・・・
日本語である「ぼう」はナニか・・・
ーーーーー
旧約聖書
列王記 上
第22章
22:1
スリヤ
と
イスラエルの間に
戦争がなくて
三年
を
経た。
22:2
しかし
三年目
に
ユダの王(おう・ワン)
ヨシャパテ
が
イスラエルの王(おう・ワン)の
所へ
下っていったので、
22:3
イスラエルの王(おう・ワン)は
その家来たちに言った、
「あなたがたは、
ラモテ・・・・・・・・・等(羅)摸出
・
ギレアデ・・・・・・・疑(義・儀・犠)例啞出
が
われわれ
の
所有であることを・・・尖閣列島・竹島
知っていますか。
しかも
なお
われわれは
スリヤ・・・・・・・・・「掏り
州利・素利・諏利・守理」也
の
王(おう・ワン)の手から
それを取らずに
黙っているのです」。
22:4
彼は
ヨシャパテ
に言った、
「ラモテ・ギレアデ
で戦うために
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)と
一緒に行かれませんか」。
ヨシャパテ
は
イスラエルの王(おう・ワン)に言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
あなたと
一つです。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
民は
あなたの民と
一つです。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
馬は
あなたの馬と
一つです」。
22:5
ヨシャパテ
は
また
イスラエルの王(おう・ワン)に言った、
「まず、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
言葉を
伺いなさい」。
22:6
そこで
イスラエルの王(おう・ワン)は
預言者
四百人
ばかりを集めて、
彼らに言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
ラモテ・ギレアデ
に戦いに
行くべきでしょうか、
あるいは
控えるべきでしょうか」。
彼らは言った、
「上っていきなさい。
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
それを
王(おう・ワン)の手に
わたされるでしょう」。
22:7
ヨシャパテ
は言った、
「ここには、
われわれの問うべき
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
預言者が
ほかにいませんか」。
22:8
イスラエルの王(おう・ワン)は
ヨシャパテ
に言った、
「われわれが
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)に
問うことのできる人が、
まだ
ひとりいます。
イムラ
の子
ミカヤ
です。
彼は
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
ついて
良い事を預言せず、
ただ
悪い事だけを預言するので、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
彼を憎んでいます」。
ヨシャパテは言った、
「王(おう・ワン)よ、
そう言わないでください」。
22:9
そこで
イスラエルの王(おう・ワン)は
役人を呼んで、
「急いで
イムラ
の子
ミカヤ
を連れてきなさい」
と言った。
22:10
さて
イスラエルの王(おう・ワン)
および
ユダの王(おう・ワン)
ヨシャパテ
は
王(おう・ワン)の服を着て、
サマリヤ
の門
の
入口の広場に、
おのおの
その王(おう・ワン)座に
すわり、
預言者たちは
皆
その前で
預言していた。
22:11
ケナアナ
の
子
ゼデキヤ
は
鉄の角を造って言った、
「主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
こう仰せられます、
『あなたは
これらの角をもって
スリヤびとを
突いて
彼らを
滅ぼしなさい』」。
22:12
預言者たちは
皆
そのように預言して言った、
「ラモテ・ギレアデ
に
上っていって
勝利を得なさい。
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
それを
王(おう・ワン)の手に
わたされるでしょう」。
22:13
さて
ミカヤ
を呼びにいった使者は彼に言った、
「預言者たちは
一致して
王(おう・ワン)に
良い事を言いました。
どうぞ、
あなたも、
彼らの
ひとりの言葉のようにして、
良い事を
言ってください」。
22:14
ミカヤ
は言った、
「主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
生きておられます。
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)が
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
言われる事を
申しましょう」。
22:15
彼が王(おう・ワン)の所へ行くと、
王(おう・ワン)は彼に言った、
「ミカヤよ、
われわれは
ラモテ・ギレアデ
に
戦いに行くべきでしょうか、
あるいは
控えるべきでしょうか」。
彼は王(おう・ワン)に言った、
「上っていって勝利を得なさい。
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
それを
王(おう・ワン)の手に
わたされるでしょう」。
22:16
しかし
王(おう・ワン)は彼に言った、
「幾たび
あなたを誓わせたら、
あなたは
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
名をもって、
ただ
真実のみを
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
告げるでしょうか」。
22:17
彼は言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
イスラエルが
皆、
牧者のない羊のように、
山に散っているのを見ました。
すると
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
『これらの者は
飼(かい・シ)
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)が
いない。
彼らを
それぞれ安らかに、
その家に
帰らせよ』
と言われました」。
22:18
イスラエルの王(おう・ワン)は
ヨシャパテ
に言った、
「彼が
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
ついて
良い事を預言せず、
ただ
悪い事だけを預言すると、
あなたに
告げたではありませんか」。
22:19
ミカヤ
は言った、
「それゆえ
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
言葉を聞きなさい。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)が
その玉座にすわり、
天の万軍
が
その
かたわらに、
右左
に
立っているのを見たが、
22:20
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
『だれが
アハブ
を
いざなって
ラモテ・ギレアデに上らせ、
彼を倒れさせるであろうか』
と言われました。
すると
ひとりはこの事を言い、
ひとりはほかの事を言いました。
22:21
その時
一つの霊が進み出て、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
前に立ち、
『私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
彼を
いざないましょう』
と言いました。
22:22
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
『どのような方法でするのか』
と言われたので、
彼は
『私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
出て行って、
偽りを言う
霊となって、
すべての預言者の
口に宿りましょう』
と言いました。
そこで
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
『おまえは
彼を
いざなって、
それを
成し遂げるであろう。
出て行って、
そうしなさい』
と言われました。
22:23
それで
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
偽りを言う
霊を
あなたの
すべての預言者の口に入れ、
また
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)は
あなたの身に
起る
災を告げられたのです」。
22:24
すると
ケナアナ
の子
ゼデキヤ
は近寄って、
ミカヤ
の
ほおを打って言った、
「どのようにして
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
霊が
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
離れて、
あなたに
語りましたか」。
22:25
ミカヤは言った、
「あなたが
奥の間にはいって
身を
隠す
その日に、
わかるでしょう」。
22:26
イスラエルの王(おう・ワン)は言った、
「ミカヤ
を捕え、
町の
つかさ
アモン
と、
王(おう・ワン)の子
ヨアシ
の所へ
引いて帰って、
22:27
言いなさい、
『王(おう・ワン)がこう言います、
この者を
獄屋に入れ、
わずかの
パン
と
水
をもって
彼を養い、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
勝利を得て
帰ってくるのを待て』」。
22:28
ミカヤは言った、
「もし
あなたが勝利を得て
帰ってこられるならば、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)が
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
よって語られなかったのです」。
また
彼は言った、
「あなたがた、
すべての民よ、
聞きなさい」。
22:29
こうして
イスラエルの王(おう・ワン)と
ユダの王(おう・ワン)
ヨシャパテ
は
ラモテ
・
ギレアデ
に上っていった。
22:30
イスラエルの王(おう・ワン)は
ヨシャパテ
に言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
姿を変えて、
戦いに行きます。
あなたは
王(おう・ワン)の服を
着けなさい」。
イスラエルの王(おう・ワン)は
姿を変えて
戦いに行った。
22:31
さて、
スリヤ
の
王(おう・ワン)は、
その戦車長
三十二
人
に命じて言った、
「あなたがたは、
小さい者
とも
大きい者とも戦わないで、
ただ
イスラエルの王(おう・ワン)とだけ
戦いなさい」。
22:32
戦車長らは
ヨシャパテ
を見たとき、
これは
きっと
イスラエルの王(おう・ワン)
だと思ったので、
身をめぐらして、
これと戦おうとすると、
ヨシャパテ
は呼ばわった。
22:33
戦車長らは
彼が
イスラエルの王(おう・ワン)でないのを見たので、
彼を
追うことをやめて
引き返した。
22:34
しかし、
ひとりの人が
何心なく
弓をひいて、
イスラエルの王(おう・ワン)の
胸当
と
草摺
の間を射たので、
彼は
その戦車の
御者に言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
傷を受けた。
戦車をめぐらして、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
戦場から運び出せ」。
22:35
その日
戦いは
激しくなった。
王(おう・ワン)は
戦車の中にささえられて立ち、
スリヤ
びとに
むかっていたが、
ついに、
夕暮になって死んだ。
傷の血は
戦車の
底に流れた。
22:36
日の没するころ、
軍勢の中に
呼ばわる声がした、
「めいめい
その町へ、
めいめい
その国へ帰れ」。
22:37
王(おう・ワン)は
死んで、
サマリヤ
へ携え行かれた。
人々は王(おう・ワン)を
サマリヤに葬った。
22:38
また
その戦車を
サマリヤ
の
池で洗ったが、
犬が
その血をなめた。
また
遊女がそこで身を洗った。
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)が
言われた
言葉のとおりである。
22:39
アハブ
の
そのほかの事績と、
彼がしたすべての事と、
その
建てた
象牙の家と、
その
建てたすべての町は、
イスラエルの王(おう・ワン)の
歴代志の書にしるされているではないか。
22:40
こうして
アハブ
はその先祖と共に眠って、
その子
アハジヤ
が
代って王(おう・ワン)となった。
22:41
アサ
の子
ヨシャパテ
は
イスラエルの王(おう・ワン)
アハブ
の
第四年
に
ユダの王(おう・ワン)となった。
22:42
ヨシャパテ
は
王(おう・ワン)となった時、
三十五歳
であったが、
エルサレム
で
二十五年
世を治めた。
その母の名は
アズバ
といい、
シルヒ
の
娘であった。
22:43
ヨシャパテ
は
父
アサ
の
すべての道に歩み、
それを離れることなく、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
目にかなう事をした。
ただし
高き所は
除かなかったので、
民は
なお
高き所で
犠牲をささげ、
香を
たいた。
22:44
ヨシャパテ
は
また
イスラエルの王(おう・ワン)と、
よしみ
を
結んだ。
22:45
ヨシャパテ
の
その他の事績と、
彼が
あらわした勲功
および
その戦争については、
ユダの王(おう・ワン)の
歴代志の書にしるされているではないか。
22:46
彼は
父
アサ
の世に
なお
残っていた
神殿
男娼たち
を
国のうちから
追い払った。
22:47
そのころ
エドム
には
王(おう・ワン)がなく、
代官が
王(おう・ワン)であった。
22:48
ヨシャパテ
は
タルシシ
の船を造って、
金を獲るために
オフル
に行かせようとしたが、
その船は
エジオン
・
ゲベル
で
難破したため、
ついに行かなかった。
22:49
そこで
アハブ
の子
アハジヤ
は
ヨシャパテ
に
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
家来を
あなたの
家来と
一緒に
船で行かせなさい」
と言ったが、
ヨシャパテ
は
承知しなかった。
22:50
ヨシャパテ
は
その先祖と共に眠って、
父ダビデの町に
先祖と共に葬られ、
その子
ヨラム
が
代って王(おう・ワン)となった。
22:51
アハブ
の子
アハジヤ
は
ユダの王(おう・ワン)
ヨシャパテの
第十七年
に
サマリヤ
で
イスラエルの王(おう・ワン)となり、
二年
イスラエルを治めた。
22:52
彼は
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)の
目の前に
悪を行い、
その父の道と、
その母の道、
および
かの
イスラエルに
罪を犯させた
ネバテ
の子
ヤラベアム
の道に歩み、
22:53
バアル
に仕えて、
それを拝み、
イスラエルの神、
主(あるじ・ぬし・おも・シュ)を
怒らせた。
すべて
彼の父がしたとおりであった。
ーーーーー
・・・