桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

群馬万座温泉

2022-09-30 11:18:40 | 旅行
2022年9月26日、万座温泉に行ってきました。
往きの途中で見た景色を掲載します。


最初は休憩で寄った道の駅八ッ場ふるさと館
から眺めたダム湖。八ッ場ダムでできた
八ッ場あがつま湖ですね。


不動大橋へ下りてダムサイトの方向の景色を
撮りました。


こちらは上流側です。


続いて、六合の国道292号線沿いの旧太子駅
(おおし駅)に行きました。群馬鉱山の専用線で
ある太子線の始発駅です。太子線は1971年
に廃止されました。


駅舎の中に掲げてあった当時の運賃表。


ホームに出て、駅舎側を撮りました。車止め
で始発(あるいは終点)駅であることが分かります。


ホーム・線路に沿って、鉱石積み込みの
ための設備、ホッパーが残っていました。
実はこれを見たいために立ち寄りました。


反対側には客車が置かれていました。当時
使われたのでしょうか。


横からみたホッパーと貨車。


ホッパー内部。線路が敷かれているのが
分かります。


上から見たホッパーです。


旧太子駅から292号を草津、白根に向かい、
白根レストハウス手前の駐車スペースから見た
景色を撮りました。写真は、真正面の赤城山
方向の景色です。


こちらは右手、鼻曲山、浅間隠山の方向。


左手、白砂山方向の景色です。


スペース端には避難壕が設けられていました。


万座温泉に着いてから少し時間があったので、
付近を見て回りました。こちらは空吹(からぶき)。
立ち入り禁止だったので、万座しぜん情報館の
敷地内から撮りました。


湯が沸き上がるのが分かりますか。
イエローストンみたいに吹き上がるとすごい
のですが、モクモクと煙のように出ていました。


続いて、牛池に行きました。自然道のある小さな
池です。


アザミでしょうか、写真を撮った足元に咲いて
いました。


こちらは最初のと反対側から撮った景色。
高原・湿原らしい景色ですね。


ヒメジオンでしょうか、少し纏まって咲いて
いました。


こちらは終わりかけのゴマナ。


ナナカマドは赤い実がなっているだけで、
葉はまだ色づいていませんでした。紅葉
はあと二週間位でしょうか。

この日、それまでのグズついた天候が一掃され
とてもよく晴れて、気持ちの良いドライビング
ができました、それと泊まった万座温泉は大変
素晴らしく、またいつの日か来たいと思いました。



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山梨清里高原

2022-06-02 14:21:10 | 旅行
2022年5月30日、山梨県北杜市の清原高原に行って
きました。


最初に訪れたのは、国道141号線沿いの
ナチュラルガーデンズ「萌木の村」で、そこの
オルゴール博物館ホール・オブ・ホールズでした。


博物館は有料ですが、ショップとギャラリーは無料
で入れました。写真はショップです。


こちらはショップから続くギャラリー。現在、
芦田まゆみさんの人形展「フェアリーズ」を
開催中(6月19日まで)でした。


人形展内部。


芦田さんの人形はとても表現豊かで、人形が
着ている衣装はすばらしい出来栄えでした。


こちらはショップに並べられていたオルゴール。


値の張る年代物から…


可愛らしい小物、また現代製作ものまで
いろいろありました。


オルゴール博物館を見終わってから、ガーデン風
の道を歩いて萌木の広場に向かいました。


萌木の広場です。周りを樹木やチロル風の建物の
レストラン・カフェ、ショップで囲まれていました。


メリーゴーランドもありました。


樹木の間をガーデン風に延びる道にはたくさんの
花が咲いていて、それらを見て歩きました。最初は
ユキザサです。山で見るものより大きいですね。


続いてはレンゲツツジ。


こちらはヤマツツジ。もうちょっと遅い感じでした。


アヤメがいっぱい。


ここからは花の名前は分からないですが、
きれいなのでいろいろ撮ってきました。
自生でなく植えられたものであっても、です。


花2


花3


花4


花5


広場が行き着いた所のレストラン「ROCK」で
昼食にしました。カレーが有名です。


昼食の後、また花を見ながら元に戻りました。
花6


こちらは白いアヤメ。


オオナルコユリだと思うのですが。それにしても
大きいですね。


グンナイフウロ。


花7


花8


花9


オルゴール博物館まで戻ってきても
花は続きました。
花10


花11


ユキザサがとてもよく咲いていたので、また撮って
しまいました。


花12


花13


花14


花15


萌木の村を後にして、次は「清泉寮」に行きました。
牧場や自然をテーマのミュージアムなどがあります。
写真はその中心的な施設「清泉寮ジャージーハット」。
大きなテラスがあります。


そのテラスから眺めた風景。左の大きな山は金峰山。
右の金ケ岳の斜め右後ろには富士山が微かに見え
ました。


こちらはジャージーハットの後ろの「清泉寮本館」。


道路を挟んで反対側へ回りました。樹木の間に
顔をのぞかせていたのは八ヶ岳の最高峰「赤岳」
でしょうか。


歩くと気持ちよさそうな散策路がいっぱいあり
ました。


その散策路の一つを歩いて行った「やまねミュージアム」
は閉まっていました。普段は土日祝しか開館していない
みたいです。残念!


最後、清泉寮をもっと山側へ行った所の東沢大橋
展望台から八ヶ岳を撮ってきました。左権現岳、
右赤岳その斜め右後ろが横岳です。

標高1,200mの清里高原、風にそよぐ新緑の葉、
所々に彩る花々、とてもこころが癒され充分自然を
満喫しました。今回訪れた所はほんの一部でまだまだ
いっぱいあります。機会があればまた来たいと思わせ
る所でした。







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京都・奈良その7-京都太秦・三十三間堂周辺

2019-11-14 09:33:01 | 旅行
2019年11月2日、京都・奈良の最終日は新幹線の発車
までの時間、京都市内の太秦、三十三間堂周辺を歩くこと
にしました。


最初はバスで太秦に行き、蚕の社を訪れました。正しくは
木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社と
いいます。境内に蚕の神を祀る摂社の蚕養(こかい)神社
あることから蚕の社と呼ばれています。


拝殿です。


この神社が注目を集めるのは、この変わった三柱鳥居が
あるからです。枯れた池の中に立っていました。酒造メーカー
のサントリーとも何か関係があるのかな、というのは私の
勝手なこじ付けです!?


蚕の社から歩いて広隆寺に行きました。広隆寺は、渡来人系
の氏族である秦氏の氏寺です。写真は、その楼門(南大門)
で、三条通りに面し、前を嵐電の路面電車が走っていました。


講堂(重文)です。


上宮王院太子殿(本堂)で、本尊は聖徳太子立像。


霊宝殿に行く途中で掲示されていた十善戒。一つ一つ
が得心のいくことばかりですね。


霊宝殿です。ここに国宝第一号の木造弥勒菩薩半跏像
(宝冠弥勒)や同じく国宝の木造弥勒菩薩半跏像(宝髻弥勒、
泣き弥勒) が安置されていました。その外にも国宝、重文
がいっぱいでした。


広隆寺の後、バス・電車を乗り継いで七条へ行き、
三十三間堂周辺を見て回りました。最初は養源院
でした。淀殿が創建、お江が再建。


本堂。俵屋宗達の唐獅子や象などの杉戸絵(重文)、
廊下天井の伏見城ゆかりの血天井などがありました。


次に真言宗智山派の総本山智積院に行きました。東大路通
を挟んで三十三間堂とは反対側。生垣の上に、何やら狛犬
らしきものが…


ここから中に入りました。


受付を済ませ、境内に入った所の講堂です。


庭園。


講堂の襖絵。


大書院に面した庭園。名勝指定されてます。


石庭もありました。


1975年再建の金堂。


不動明王が本尊の明王殿。


智積院を出て次の妙法院に向かって東大路通を歩いて
行くと出てきた(智積院)総門。


妙法院に着きました。天台宗の門跡寺院。天台三門跡の
一つで、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても
知られています。


国宝の庫裏。桃山時代の築造。


境内では紅葉が始まっていました。


本堂として使われている普賢堂。本尊の木造普賢菩薩騎象像
は重文。


こちらも重文の玄関。


妙法院の後、東大路通反対側(三十三間堂側)の方広寺へ
行きました。豊臣秀吉がいまは無き大仏を安置するため
に創建。写真はその本堂。


豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘(重文)。撞木(しゅもく、
撞き棒)の斜め左に、「国家安康」「君臣豊楽」の銘が。
とにかく大きな鐘でした!


鐘楼の天井画。これも珍しいですね。


隣接する豊国神社の唐門(国宝)。


最後、鴨川を撮って(実際にカモが泳いでいました)今回の
京都・奈良の旅を終わりにしました。

京都・奈良、建物の外観などの紹介が主になってしまいまし
たが、実際は内部の国宝や重文の像や絵などをたくさん見て
きました。覚えきれるかちょっと不安ですが、今後そうしたもの
に目を触れる機会があったとき、思い起こすことができれば
いいな、と思っています。



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京都・奈良その6-奈良佐保・佐紀路

2019-11-12 16:02:08 | 旅行
2019年11月1日、京都・奈良の6日目は東大寺転害門
から西に延びる佐保・佐紀路、すなわち昔の平城京南一条
大路の沿線を見学してきました。


この日は近鉄奈良駅を降りて最初に奈良公園に向かいま
した。奈良国立博物館で開催中の第71回正倉院展を
見るためです。まだ時間が早かったため、並ばずに直ぐ
に入れました。


正倉院展を見てからバスで般若寺に行きました。般若寺は、
高句麗の僧・慧灌が創建し、聖武天皇が伽藍を建立したと
いわれています。写真は、受付から境内に入った所の光景
です。本堂とカンマン石が見えました。カンマン石は、身体
の悪い部分をあてると治るといわれている石です。


般若寺はコスモス寺とも称していますが、そのコスモスが
咲いていました。


本堂の周りには、江戸時代に奉納された西国三十三所
観音石仏がずらっと並んで立っていました。


こちらは笠塔婆(重文)です。宋人石工伊行吉(いぎょうきち)
が亡き父の供養のため建立したもの。


伊行末(いぎょうまつ)、息子伊行吉(いぎょうきち)らの手で
建立された十三重石宝塔(重文)。高さ14mと日本最大級
の多重塔。


こちらは国宝の楼門。裏からしか近づけず、外の駐車場
へ出て撮りました。


般若寺からまたバスで転害門まで戻り歩き始めました。
ここからが佐保路(一条通り)になります。しばらくして
横道の先に聖武天皇陵が見えました。


次に、また一部の区間バスを利用して不退寺に行きま
した。写真はその南門(重文)です。不退寺は、在原業平
が不退転法輪寺として開基したもの。南都花の古寺。


その本堂。業平自作の聖観音立像(重文)が本尊として
安置されていました。


境内の所々でこのような石碑を見ました。歌碑でしょうか。


多宝塔(重文)。一層のみが残存。


庫裏の傍にあった石棺。近くの宇和奈辺(ウワナベ)古墳
から発掘されたもの。


不退寺から退出するとき、受付の女性から「ここからの
景色が一番」と推奨され撮りました。多宝塔が見えます。
また、次の海龍王寺までの近道を教えてもらい歩き始め
ました。


途中で宇和奈辺古墳の横を通りました。全長255mの
大きな前方後円墳です。


海龍王寺にきました。光明皇后(聖武天皇妃)によって創建、
遣唐僧玄昉が開基。


十一面観音立像(重文)の本尊を安置する本堂。江戸時代
築造。


同じく重文の西金堂。


西金堂に安置されている国宝の五重小塔。金堂の扉が開いて
いて自由に見られようになっていました。


こちらは経堂(重文)です。


海龍王寺を出て、道を回って法華寺に行きました。法華寺
までが佐保路で、その先が佐紀路になります。法華寺は、
奈良時代には日本の総国分尼寺とされ、本尊は十一面観音、
開基は光明皇后、大和三門跡の一つで氷室御所とも呼ば
れています。


境内に入ってきました。テントに隠れた鐘楼は重文。


豊臣秀頼と淀殿が再興した本堂(重文)。本尊の十一面観音
立像(国宝)は光明皇后がモデル。普段は模刻像を拝観。


本堂裏の光月亭。現在の市内月ヶ瀬地区にあった
旧東谷家住宅を移築したもの。


一輪だけ咲いてた花。カキツバタの残りでしょうか?


花は他にもありました。


名勝指定の庭園。


法華寺から歩いて次の平城京跡に行きました。最初に
着いた所は広い平城京の東に張り出す形で位置する
東院庭園で、現在の迎賓館に相当する施設。


東院庭園を出て歩いてきて、振り返り撮った南面大垣。
長い築地塀で中程に建部門(東院南門)が見えます。


どこを歩いているか分からなくなるほど広く、遠くに
朱雀門が見えました。


ほぼ中央寄りの所の第二次大極殿跡です。


近くまできました。


第二次大極殿跡に上って撮った光景。広さが実感できま
すか?


こちらは復原された第一次大極殿。


第一次大極殿の前方に復元中の第一次大極殿南門。


その遥か前方の朱雀門。余りに離れているので望遠で
とりました。


平城京跡を出て、近鉄線反対側の西大寺に行きました。
東門から入りました。東大寺と比肩された西の大寺。


東門から入ってすぐの四王堂。ここを始めとして、聚宝館、
本堂、愛染堂と四カ所を見て回りました。


江戸時代に再建された本堂(重文)。大きな茶碗が置いて
ありました。


本堂前に残る東塔跡。その大きさから創建当時の寺の
規模が想像されました。


南門(重文)を眺めながら西大寺を後にしました。

今回は近鉄線奈良駅に近い所を見て回りました。皆由緒ある
所です。平城京跡は広かったです。歩きながら往時を偲びまし
た。また、近鉄線はその中を通っていて、電車の中から朱雀門
などが見え、いつか来たいと思っていたのが今回実現しました。





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京都・奈良その5-奈良山の辺の道

2019-11-11 13:50:19 | 旅行
2019年10月31日、京都・奈良の5日目は奈良の
山の辺の道に行ってきました。今回の旅の中では一番
長い距離を歩きました。なお山の辺の道とは、天理から
桜井まで大和を囲む東の山麓を伝う古い道をいいます。


朝JR奈良線の時刻に間があったので、その時間を利用
して伏見稲荷大社へ寄ることにしました。JR稲荷駅前
から表参道を歩いて行きました。


楼門(重文)です。その前に鎮座するキツネの姿がユニーク
ですね。


外拝殿(重文)、その後の内拝殿(重文)。内拝殿でお詣り
をました。


人気のある千本鳥居前まで行きました。時間の制約が
あったので、ここで引き返しました。


JR奈良駅で同じく万葉まほろば線(桜井線)に乗り換え
天理駅で下車、駅前から長いアーケードを通って、山の
辺の道の出発点である石上(いそのかみ)神宮へ向かいま
した。


アーケードが終わると、道沿に天理教教会本部が出て
きました。広い敷地に大きな神殿があって驚きました!


本部前の光景。天理幼稚園や天理小、天理大学、天理大学
附属参考館などがあるようです。


石上神宮にきました。神武天皇が東征した折に使用したと
いわれる神剣を祭神にしています。


参道を歩いて行くと、注連縄に囲まれた砂地にニワトリ
(御神鶏)が遊んで(そのように見えたのです)いました。
この神宮ではニワトリが神の使いなのですね。


楼門(重文)です。


楼門を潜った先が拝殿(国宝)です。神社建築としては
最古級といわれています。


楼門を出て、対面を上った所にある摂社出雲建雄神社。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂(あらみたま)である
出雲建雄神(いずもたけおのかみ)をお祀りしています。


後の位置にその拝殿がありました。国宝です。


戻る際、楼門がまるまる見えたのでもう一度撮りました。


石上神宮から山の辺の道がスタートするのですが、少し
コースをはずれて西山古墳を見に行きました。4世紀後半
に築造された前方後方墳です。大きな古墳でした。


西山古墳の後、山の辺の道には戻らず黒塚古墳に向かい
ました。バスで行こうとしたのですが、1時間に1本しかなく、
結局歩いて黒塚古墳に着きました。黒塚古墳は中国から
卑弥呼に贈られた三角縁神獣鏡が多数発見され話題を
集めた所です。


環濠に架けられた橋を渡って古墳を歩きました。橋が
突き当たった所が後円部ですね。


前方部へ歩いて行きました。


前方部の上から後円部へ戻りました。後円部の上に、
鏡が出土した石室の跡みたなものがありました。


古墳の傍に天理市立黒塚古墳展示館があって見学しま
した。そこでは、再現された石室を展示していました。


こちらは三角縁神獣鏡のレプリカ。三角縁神獣鏡は33枚
出土しました。


黒塚古墳の後、山の辺の道に戻り、崇神天皇陵に行き
ました。崇神天皇は大和政権の初代大王といわれている
方です。


陵前まできました。崇神天皇陵は、全長242mの巨大な
前方後円墳で、4世紀前半の築造といわれています。


ちょっと横に寄って、陵をよく見ました。


次に長岳寺に行きました。大門の前でネコが迎えてくれ
ました。長岳寺は空海創建のお寺です。


旧地蔵院(重文)。現在は庫裏として使っているみたいです。


旧地蔵院本堂の延命殿(重文)で、普賢延命菩薩を本尊と
する庫裏の持仏堂。


楼門(重文)。かつては上層に鐘楼が吊られていたために
鐘楼門と呼ばれ、日本最古の鐘門になるみたいです。


こちらが本堂。江戸時代に再建された建物。


傾斜部を少し上った所にあった大石棺佛。高さ2mの
石棺に彫られた石仏です。


山の辺の道を歩いて行くと絶景スポットの案内板があった
ので斜面を少し上り撮りました。中央に二つ並んでいる山
は、右が大和三山の耳成山、左が同畝傍山、間に林を挟ん
で左に離れた山が同天香久山です。分かりますか?


こちらは景行天皇(日本武尊の父)陵。大きな陵でした。
この後、また山の辺の道をはずれて纏向遺跡に行きました。


JR巻向駅横を通り、住宅地を行った先に見えてきたのが
纏向遺跡(辻地区)みたいです。纏向遺跡は、桜井市の
三輪山の北西麓一帯にある弥生時代末期から古墳時代
前期にかけての集落遺跡で、女王卑弥呼がおさめた
邪馬台国の有力候補地にあげられている所です。


現在は、いろいろ発掘された後埋め戻されて説明板が
立つのみでした。


纏向遺跡の後、箸墓古墳にきました。箸墓古墳は、
宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命(やまとととひ
ももそひめのみこと)の墓に指定されている全長
276mの前方後円墳です。卑弥呼の墓との説も
あって、論議が交わされていますね。


ぐるっと回って陵墓の前にきました。卑弥呼論争を思い
浮かべるようなものは何も見当たりませんでした。


また山の辺の道へ戻るべく道を急ぐ途中にあった
ホケノ山古墳。ホタテ貝型の前方後円墳で、纒向
古墳群の一つとして国の史跡に指定されています。
上に登ったら箸墓古墳がよく見えました。


山の辺の道へ戻った所の檜原神社。この後に出てくる
大神(おおみわ)神社の摂社です。ここまできたら大分
日も暮れてきてしまいました。


御神体は山中の磐座で、社殿もなく独特の形をした
三ツ鳥居が立つだけでした。


山の辺の道を先に急ぎ、狭井(さい)神社へきました。こちらも
大神神社の摂社です。


参道を歩いて行くと横手に赤い鳥居、赤い社がありました。
市杵島姫(いちきしまひめ)神社で、 海の神、水の神であり、
芸能をつかさどる弁天さんとしても親しまれています。


檜皮葺の拝殿。この裏に御神水の沸く井戸があったらしい
のですが、見過ごしてしまいました。


大神神社の拝殿(重文)。日本で最も古い神社の一つで、
背後の三輪山を御神体とするため本殿はありません。


ここを山の辺の道は通っていました。


大神神社の先の金屋の石仏にやってきました。


扉の鉄格子の間から高さ2mの泥板岩に彫られた
釈迦如来像と弥勒如来像を撮らせてもらいました。
山の辺の道は、この先海石榴市(つばいち)まで続くのですが、
暗くもなってきたのでここで終わりにしました。

山の辺の道、途中であちこちそれたりもしたので20km以上
は歩いたと思います。足にマメができてしまいました。でも、
日本の歴史のかなり古いところに触れられ十分満足しました。


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