桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

京都・奈良その4-京都哲学の道

2019-11-10 13:05:00 | 旅行
2019年10月30日、京都・奈良4日目は京都へ行き
ました。琵琶湖疏水関連の施設、哲学の道周辺を見て歩き
ました。


地下鉄東西線蹴上駅を降りて、疏水関連のインクラインを
見る積りが、結局遠回りして近くまできたとき、やはり疏水に
関係した施設でしょうか、趣のある建物が目に入りました。


反対側にインクラインの台車が見えました。


近くに寄って撮りました。琵琶湖疏水は、この台車に船を
載せて上下させるインクライン(傾斜鉄道)を運行していた
そうです。


すぐ傍に何やらプールみたいなものがありました。説明板
によると、東本願寺の防火用水のための水源地とのこと。
地下を通って約6.4km離れた東本願寺まで水を運ぶ
らしいです。


線路は南禅寺入口の方へ向かって延びているようです。


線路に沿って先へ歩いて行くと出てきた隧道。名前が
付いていたようですが読めませんでした。


金地院の東照宮(重文)前まで着ました。金地院は以心崇伝
が住んだお寺ですね。


その先の山門から中へ入りました。


こちらは明智門。明智光秀が大徳寺に建立したのを
こちらへ移設したみたいです。


開山堂。崇伝の塔所。何やら古めかしいですね。


小堀遠州作鶴亀の庭。特別名勝に指定されています。


次に、すぐ近くの南禅寺塔頭の天授庵に行きました。


受付の近くに咲いていた花。寺内所々に咲いていました。


本堂前庭(東庭)です。


こちらは書院南庭です。


天授庵を出るとすぐに南禅寺の三門がみえました。


こちらは三門の次の法堂。三門、法堂を見ながら水路閣
へ向かいました。


琵琶湖疏水が現在も流れる水路閣。前回は夕闇が迫る中
でしたのではっきりしませんでしたが、今回はバッチリ
見ました。


橋げたの重なり、独特の味わいがありますねー。


水路閣の奥、南禅寺の別院、南禅院へきました。南禅寺
発祥の地で亀山天皇の離宮でもありました。京都の三名勝
史跡公園の一つで、庭がきれいです。


池を見て回っているときに傍を通った亀山天皇分骨所です。


たしかに趣のある庭でした。


こちらは一山国師(元の渡来僧)塔。


南禅寺を出てから、山形有朋の別荘だった無鄰菴に
向かいました。


疏水の水を引き入れた庭がきれいでした。


敷地内の一角に立つ洋館。


その室内。日露戦争前に、明治の元勲が集まり
開かれた無鄰菴会議の舞台になりました。


無鄰菴を出て次の琵琶湖疏水記念館へ行く途中、
インクラインの終点らしき所を見ました。


こちらが琵琶湖疏水記念館です。南禅寺と京都市動物園
のちょうど中間地点に位置します。


館内の疏水工事などの資料を見てからテラスに出て撮り
ました。右が動物園側、左は無鄰菴があった方になります。


疏水記念館を出てから白川通りを真如堂(真正極楽寺)
に行きました。写真はその本堂(重文)です。


本堂前には江戸時代に再建された三重塔が立っていました。


次に金戒光明寺に行きました。浄土宗最初の寺院で、
大きな山門がありました。幕末には京都守護職の会津藩主
松平容保の本陣になりました。


法然上人の御影が安置されている御影堂。


こちらは法然上人御廟。


金戒光明寺を出てから、少し離れていますが歩いて哲学の
道に行きました。その出発点になる若(にゃく)王子橋です。


すぐ傍にあった熊野若王子神社。後白河法皇が熊野権現
を勧請したのが始まりです。


哲学の道は、この琵琶湖疏水分流沿いの道を南から北へ
歩きました。


しばらく歩くと右手に大豊神社がありました。ここは狛犬
ではなくネズミが神の使として鎮座しているので有名です。


そのネズミがいる大国社前まできました。


こちらは左のネズミ。


こちらが右。なかなか可愛い姿をしていました。


域内にはネズミだけでなく他の動物もいました。これは
ヘビです。


愛宕社の前にはトビ、日吉社前はサルでした。


哲学の道を進んで中間位の所を右に入って霊鑑寺へきた
のですが閉まっていました。年2度(3月、11月)しか
特別公開していないみたいです。


続いて安楽寺へも行ったのですが、ここも閉まっていました。


哲学の道最後の立寄り所、法然院へきました。


参道脇には(水晶らしい)幾つもの石が置かれていました。


茅葺の山門が風雅でした。


山門を潜った先に白砂壇(びゃくさだん)という白い盛り砂
がありました。間を通ると心身が清められるといわれて
います。


ゴールとなる銀閣橋に着きました。その後、予定はしていな
かったのですが、時間があったので銀閣寺(慈照寺、世界遺産)
を見て行くことにしました。


銀閣寺垣の間の参道を通って中門を入るとすぐに見る
ことができる銀閣(観音殿、国宝)、中世の楼閣建築を
代表する静かな佇まいをみせていました。


白砂を盛った向月台と、


同じく銀沙灘(ぎんしゃだん)。中国の西湖の風景を模して、
月を愛でるために造られたといわれています。


本堂横の東求堂。国宝です。足利義政が持仏堂として
建てた東山時代の遺構です。


錦鏡池。この池の周りを囲んだ庭園も、銀閣寺のすばらしさ
を表す構成要素になっていますね。


斜面を上った見晴台から見た風景。いいですね。

今回は通常の社寺に加えて、琵琶湖疏水関連などの近代化
へ向けて残された産業遺産や技術の跡もたくさん見てきま
した。こうしたものを見るのも楽しみの一つですね。
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京都・奈良その3-奈良橿原

2019-11-09 14:02:56 | 旅行
2019年10月29日、京都・奈良の3日目は奈良橿原
に行きました。京都からは、前日の飛鳥よりちょっと手前
になります。この日は、朝から雨が降っていたため、予定
を少し短縮して歩いて回りました。


近鉄橿原線の最終駅・橿原神宮前駅で下車し、まずは
駅近くの久米寺に行きました。近い割には道が分からず
遠回りした末、ようやく久米寺に着きました。


境内に久米仙人の像がありました。


こちらは重文の多宝塔です。


久米寺を出た後、これも駅からすぐの橿原神宮に行きまし
た。橿原神宮は、神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命
(ひめたたらいすずひめのみこと)をお祀りしています。この
大鳥居(一の鳥居)からずうっと奥へ、参道を歩いて行き
ました。


社殿へ着く前に深田池という大きな池がありました。カモ
が結構泳いでいました。


深田池の反対方向にあった南神門です。


南神門の先は広い境内でした。左の大きな建物が外拝殿、
後ろに見える山が大和三山の一つ畝傍山です。


外拝殿です。一般の参拝者はここでお詣りします。


内拝殿。外拝殿から柵越しに撮りました。内拝殿へは
左右の廻廊を辿って向かいます。


橿原神宮の後、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に
行きました。県内各地の遺跡からの出土品を集めた博物館
で、ここを見学することを大いに楽しみにしていたのですが、
着いてみたら施設の修理で休館とのこと、がっかりしました。


次に、神武天皇陵へ行きました。橿原神宮と地続きの森の
中にありました。あまり訪れる人もいなそうでしたが、初代
天皇の陵ということでぜひ見ておきたいと思いました。


陵の前まできました。


余り見かけませんが、鳥居に扉が着いていました。


その後、橿原神宮駅の一つ手前の畝傍御陵前駅を通り抜けて
反対方向の本(もと)薬師寺跡に行きました。特別史跡に指定。
現在奈良市の西の京にある薬師寺の前身にあたる寺で、平城
遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われ
ていましたが、現在は別々に造られたという説が有力みたいです。


かっての金堂の巨大な礎石が整然と並んでいました。
約1300年前の夢の後、とでもと申すのでしょうか?


本薬師寺の後、近鉄線で八木西口まできて、今井町にきま
した。戦国時代に一向宗の寺内町として成立、江戸時代に
栄え、伝統の町屋が集積し、重伝建に指定されています。


最初に今井まちなみ交流センター華夢に寄りました。ここで
マップなどの資料をいただき、見学をスタートしました。


まず最初は中尊通りの高木家(重文)でした。二軒目が
該当の家で、酒造業などを商っていたそうです。


町中はこのような道が縦横に整然と整備されていました。


隣り合うようにして河合家。こちらも重文です。河合家も
酒造業です。


町中にあった称念寺。浄土真宗本願寺派のお寺で、元々
今井町はこのお寺の境内地として発達しました。


床屋さんも、今井町ではこのような町屋風に。ランプ風
のサインポールが可愛いですねー!


材木商だった豊田家(重文)。今井町の有力家の一つに
数えられます。


このような路地。いいですねー!


環濠跡地。今井町ではこのような環濠や土塁が防衛と
水利のため張り巡らされていたみたいです。


環濠跡が行き着いた所の今西家(重文)。再有力家。


上田家(重文)。こちらも有力家の一つ。


金物商だつた旧米谷家(重文)。


旧米谷家のかまど。勾玉みたいな形をしています。


同中庭。古い井戸がありました。


同蔵前屋敷。後に蔵が繋がっていて、大きな蔵の扉が見え
ました。


今井町での見学を終え、八木西口駅へ戻る途中にあった
大きなエノキ。景観重要樹木だそうです。

新聞のTVのニュースなどに度々出てくる橿原、ようやく
訪れることができました。博物館が休館とは、まさに想定外。
次の機会があるのでしょうか?今井町はここでとりあげた家
以外にも重文や味わいのある家がいっぱいありました。まさに
歴史ある町並、それがしっかり保存されている町並みですね。
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京都・奈良その2-奈良飛鳥

2019-11-08 10:13:52 | 旅行
2019年10月28日、京都・奈良の二日目は奈良の飛鳥
へ行きました。この日は、近鉄吉野線飛鳥駅前のレンタル
サイクル店で自転車を借り、飛鳥一帯を見て回りました。


最初に向かったのは、駅前を真直ぐ行った所の高松塚古墳
でした。辺り一帯は低い山や丘がたくさんありました。古墳
に向かって歩いている途中で見えた風景を撮りました。


特別史跡高松塚古墳です。以外と小振りの円墳でした。
傍に建てられていた高松塚壁画館内で見た石室の実寸大
のレプリカも、小さいものでした。


次に向かったのは、飛鳥に多く存在する石造物の一つ
亀石です。どうです亀に見ますか?


次の橘寺に向かう途中で、聖徳太子誕生所と銘された
石柱が立っていました。


石柱の向こうにそれを表す何かがあるかと思いきや、
通り抜けた所は田が広がっているだけでした。どうやら
ここら周辺を誕生地といっているみたいでした。


橘寺に着きました。聖徳太子が生まれた誕生所と称して
いました。欽明天皇(太子の祖父)の別宮があった所です。


本堂(太子殿)です。本尊は重文の太子座像でした。本堂前
の馬は、太子愛馬の黒駒です。


本堂横に二面石がありました。向かって右に善、左に悪
の顔が彫られているのが分かりますか?


橘寺を出て幹線道路反対側にあった川原寺跡。天智天皇
が母の斉明天皇の川原宮跡を寺に改めたようです。向こう
に見えているのは川原寺の法灯を継ぐ弘福寺。


次にやってきたのは石舞台古墳です。こちらも特別史跡
ですね。大きな石にびっくりしました。


こちらは反対側から見たところ。


内部にも入れました。大きかったです。


石舞台古墳から山の道を走って岡寺へ行きました。
草壁皇子の住まいだった所に建立されたお寺ですね。
写真は急坂を歩いて(自転車は麓に置いて)辿り着い
た岡寺の仁王門です。重文でした。


岡寺は日本最初の厄除け霊場で、本堂には大きな塑像の
如意輪観音像(重文)が…


続いて山の中を走り、飛鳥資料館にやってきたのですが、
この日は月曜日で休館。鉄柵の間から庭に置かれた石造物
レプリカを撮ってきました。


こちらは甘樫丘。大化の改新以前、蘇我蝦夷と蘇我入鹿の
親子が権勢を示すために麓に邸宅を構えていた所ですね。
頂上に展望台があるくらいで、他に見学するような所はあり
ませんでした。


こちらは飛鳥坐(あすかにいます)神社。飛鳥の都の
守護神として祀られたのが始まりみたいです。


境内は余り手が入っていないようでした。


神社前は古い民家が並ぶ鳥居町のような感じがしました。


また甘粕丘の方へ戻る形で水落遺蹟にきました。中大兄皇子
(後の天智天皇)が日本で初めて造った漏刻台(水時計)の跡
です。


こちらは、飛鳥寺へ向かう途中にあった蘇我入鹿の首塚。
向こうに見えているのは甘樫丘。


蘇我馬子により596年に建てられた日本最初の本格的寺院
といわれる飛鳥寺に着きました。こちらは西門になります。


日本最古の飛鳥大仏(身の丈約3m)が鎮座する本堂。


飛鳥寺を出て奈良県立万葉文化館へ向かったのですが、
ここも当然休館でした。


そのすぐ傍にあった亀形石造物。手前の亀の甲羅に貯め
た水で何らかの儀式を行ったのではないかとされています。


こちらは、亀形石造物裏の山を登った所の酒船石。この
両者を合わせて酒船石遺蹟と称していました。


酒船石の上部には何やらの溝が彫られていました。酒を
搾った石というなどの諸説があるようですが、最近は庭園
施設の一部というのが有力みたいです。


次に伝飛鳥板蓋(いたぶきの)宮跡に行きました。645年、
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した乙巳の変
の舞台となった所です。


今はその政変(大化の改新)を偲ばせるものは何もあり
ませんが、こうした所へ来れば歴史を感じますねー。


この日の見学も終わり近くになり飛鳥駅の方へ戻りかける
途中に、天武天皇・持統天皇の陵がありました。


こちらは変わったところで鬼のせっちんと呼ばれる石造物。


こちらは鬼のまないたです。両者とも古墳の石室の一部
などとする説がありますが、鬼が俎で人をさばいて喰い、
食後に用を足したのが雪隠、と伝承されているみたいです。


その後、猿石を見に吉備姫王墓に行きました。吉備姫王
は皇極天皇の母にあたる人です。


猿石はその柵の中にありました。


全部で4体ありました。猿と言われればそうとも見えますが、
ちょっと不気味な感じもしますね。


こちらは吉備姫王墓の手前にあった欽明天皇陵。この日の
見学はここまでで、すぐ近くの飛鳥駅へ戻りました。

奈良飛鳥、ちょっと遠いのでなかなか訪れる機会がなかった
のですが、いずれも1300年位前の歴史遺産で、いままで
本やTVの映像などでしか見ることができななかったものを
現実に見られて、大いに満足しました。



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京都・奈良その1-京都伏見

2019-11-06 15:02:16 | 旅行
2019年10月27日から11月2日まで京都・奈良に行って
きました。日にち毎に分けて連載したいと思います。


初日の27日は移動日だったので、行動は午後3時からと
遅かったのですが、向かった先は伏見の桃山御陵でした。
この長い砂利道の参道を歩いて行きました。


道脇に伏見城の石垣に使われた石が並べて置かれて
いました。


伏見桃山御陵に着きました。豊臣秀吉築城の伏見城の
本丸跡に、明治天皇の御陵が築かれていました。


遥か先の幾重にも囲まれた御陵をズームして撮らせて
もらいました。


御陵の前の景観です。桃山丘陵の向こう(南側)に伏見の
町並みが広がっていました。


明治天皇陵の前を通り過ぎて東へ少し下りた所に、
昭憲皇太后の伏見桃山東陵がありました。


元へ戻り、明治天皇陵前の階段を下りて、下から上を
撮りました。長い階段で、結構上ってきたことを改めて
感じました。


最初に乗ってきたJR桃山駅の方へ戻り、その先の
御香宮神社にやってきました。この表門は伏見城の
大手門を移築したようです。


境内に変わった形の狛犬みたいな像がありました。


こちらは拝殿です。


御香宮神社を出て、寺田屋を探しに、神社前の道大手筋通を
歩いて行きました。アーケードの天井から銘酒伏見の酒造所
マップがぶら下がっていました。時間があればじっくり見て
回りたかったです。


こちらは、宇治川へ通じる濠川の夕景。右に見えるのは
観光屋形舟の発着場でしょうか。


やっと探し当てた寺田屋。ここまで來るに大分日が暮れて
しまい、すっかり閉ざされてしまっていました。歴史の舞台
となった割には、以外と小さかったです。


その先の月桂冠大倉記念館に着いたときは、まったくの
闇の中となってしまいました。見たかったのになー!?
初日はここまでにして、引き揚げました。

初日は時間がない上に、見学対象を探しあぐねて結構歩き
回り、この先が少し思いやられる日になってしまいました。




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神宮外苑・赤坂迎賓館

2018-11-24 16:00:16 | 旅行
2018年11月22日、東京へバス旅行をし、神宮外苑いちょう並木、
迎賓館赤坂離宮(国宝)に行ってきました。


当日、青山通り(青山2)からいちょう並木を見て歩きました。
歩き始めは、ちょっと小雨がパラついていましたが、たくさん
の人が訪れていました。いちょうはまだ少し緑を残すものの、
黄葉は進んでいました。落葉もいっぱいでした。


行きついた所でいちょう祭りを開催していました。


いちょう祭りの会場に入りました。


全国各地のグルメを集めた模擬店がいっぱい並んでい
ました。


一番奥の所から前方に見えた聖徳記念絵画館(重文)を
撮りました。


いちょう祭りの会場を出て、国立競技場を見に行きました。
20年開催に向けて工事を盛んに進めていました。


また、いちょう祭りの会場の前まで戻って、青山通りの
方向を撮りました。


来たときの道と反対側へ移り、来た道側の黄葉を撮りました。


脇道に逸れた所で、「森のやきものフェア」(陶器市)を
やっていました。


いちょう並木に戻り、青山通り方面に向かって歩き
始めました。


青山通り近くまで歩いてきて、振り返って黄葉を撮りました。


迎賓館赤坂離宮前までやってきました。横断歩道・信号は
なく、交通整理員の指示に従い正門前に移動しました。
ここを右回りに進んで西門から入ります。


車の通行が途切れるのを待っているとき、胴長の車が前を
通りました。ボディにSTAR RIMOUSINEの表記がありま
した。形がそれぞれ違う3台が通り過ぎました。


フェンスのすき間から前庭を撮りました。


西門から入り、厳重な持ち物チェックを受けた後、本館横
へ行き撮りました。写真の左が入館口になっていました。


入館前に裏へ回り、主庭を撮りました。


こちらは本館裏側の景観になります。


本館内、大きく豪華な洋風の間は皆すばらしく感動もの
でした(館内は撮影禁止)が、その見学を終えた後、前に
回って、斜めの方向から本館正面を撮りました。


正面まできて撮りました。大きく全部入り切れていません。


中門を出た所で、もう一度撮りました。この後、正門横から
出ました。

神宮外苑のいちょう並木、東京第一位の紅葉と聞いて今回
選びました。たしかにきれいでした。それと迎賓館。今まで
ずうっと観に行きたいと思い続けていて、今回ようやく実現
しました。とにかくすばらしいの一言です!写真を撮らせて
もらえるともっとうれしいのですが…
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