2020年3月27日、本庄市に行ってきました。
従来より見たいと思っていた、こだま千本さくらや日本三大
栄螺堂の一つ百体観音堂などを訪れるのが目的でした。
最初に訪れたのは、国道462号線の児玉駅入口信号を
曲がって少しの雉岡城跡です。戦国時代山内上杉氏に
よって築かれ、北条氏邦、松平家清と継がる城です。
ここもサクラがいっぱい咲いていました。
入口を入った所。本丸や三の丸などは学校などの敷地と
なり、その他の敷地に土塁などが残っていました。左回り
に歩いていきました。
ここは、元は堀があった所みたいです。
左の土塁へ回りました。ここにはタチツボスミレが
いっぱい咲いていました。
サクラもご覧の通りでした。
ずうっと回り込む形で別の土塁に行ったら、何か社が
ありました。金毘羅神社でした。
そこを下りて中央部へ向かう途中に大きな石が。傍に
「夜泣き石」の看板が立っていました。身籠ったお女中
があらぬ疑いで井戸に投げられ、その後夜な夜な鳴き声
がしてきた、との言い伝えがあったみたいです。
中央部の広いスペースに上ってきました。そこを奥まで
進み、また左回りして行きました。
その隣のスペース。周りをサクラに囲まれています。
最後の左回りをした所に石の武者像がありました。説明は
なく、城主だった三氏のどなたかなのでしょうか。
入口の所へ戻ってきました。後ろが中央部です。
この後、本庄市街地へ、登録文化財の旧本庄仲町郵便局
を見に向かいました。
旧本庄仲町郵便局、中央1丁目に着いて探したのですが
なかなか見つからなく、元へ戻ってきたらそこにありま
した。余り目立たないので気が付きませんでした。昭和
9年(1934)築造で、昭和を醸し出す歴史的景観。
予定にはなかったのですが、近くに旧本庄商業銀行煉瓦
倉庫があったので、寄って行くことにしました。明治
29年(1896)、担保の繭や生糸の保管倉庫として建築
されました。こちらも登録文化財です。
内部を自由に見学できました。こちらは1Fフロア。
窓の形・造りがいい雰囲気ですね!
1Fの反対側(奥)へやってきて、撮りました。
2Fへ上がってきました。
2Fの窓から眺めた本庄の街並み。旧家が多そうでした。
1Fへ下りて、同じく窓からの風景を撮りました。
煉瓦倉庫の厚みが見て取れるでしょうか。
外へ出て、窓を撮りました。こちらもいい雰囲気ですね。
最後に、最初とは反対方向(奥)から外観を撮りました。
この後、こだま千本さくらに向かいました。場所は、最初の
雉岡城近くの小山川河畔で、そうであれば見学順序が
間違っていたことに気が付きました。(戻る形になってしまい
ました)
こだま千本桜まつり会場(まつりはウイルス禍で中止)に
着いて、十二天橋から下流(水の流れが見えないので
はっきりしない)方向を撮りました。両岸にサクラがずうっと
続いていました。
こちらは反対の上流方向で、やはりサクラの連続が…
左岸をしばらく見て歩くことにしました。橋の袂によい形
の木がありました。
先に少し進んだ所から…
こちらは右岸側。
上を見て。まだ蕾を幾分か残していました。
この後、百体観音堂のあるふるさとの森公園へ行きました。
児玉町小平という所のふるさとの森公園に着きました。
手前の建物が観光農業センターで、その上の百体観音堂
見学料300円をここで支払いました。概略の説明や付近の
観光などの話しもしていただきました。
百体観音堂へ向かって上って行きました。こちらも周りに
サクラをいっぱい見ることができました。
成身院百体観音堂、天明3年(1783)の浅間山噴火の
犠牲者供養のため寛政4年(1792)に建立、その後火災
に遭い、現在のものは明治43年(1910)再建されました。
外観は二階建てですが、中は三層になっています。日本
三大栄螺堂の一つ(他は会津の旧正宗寺、太田の曹源寺)。
向拝の彫刻が気になって撮りました。なかなか立派です。
その下の鰐口。あまりの大きさにびっくり!直径180cm
だそうです。
横手の扉から中に入りました。ここから右回りに進みます。
右折した所。中央護摩堂の裏。秩父三十四観音が並び
ます。因みに二階は坂東三十三観音、三階は西国三十三
観音です。
ぐるっと回って狭くて急な階段を上り、二階へきました。
中央部右側に三如来が鎮座されていました。
天井を見ると、いろいろな絵が描き込まれた格子天井
になっていました。
三階です。そのまま進むと自然と一階へ下りて行きました。
外へ出ると、サクラ樹の下に唐銅造大日如来坐像が…
その後、成身院の本堂を見るべく丘の中腹を歩き出すと
何か変わった花の木を見ました。トサミズキですね。
また、成身院の仁王門や高窓の里の家々などが見えました。
こちらはカンザクラでしようか。色鮮やかに咲いていました。
その奥に何かの説明板が立っていたので近くに寄ったら、
東小平中山廃寺の木造塔跡(礎石群)とのこと。8世紀後半
に創建されたものらしいです。
ぐるりと下へ回って下りた所から百体観音堂の方向を
撮りました。シバザクラをきれいに整備していました。
成身院本堂です。8世紀後半に創建、室町時代に中興開山
されたように伝えられています。現在のものは昭和四十九年
(1949)に再建、今は無住みたいです。
本堂横手の中門。
仁王門へ行く途中で見た高窓の家。蚕を飼育するため
屋根の上に温度、湿度を調節する小屋根を付けた
養蚕住宅のことで、現在も何軒か残っていることから
付近一帯を高窓の里と呼んでいるみたいです。
成身院仁王門です。江戸中期のもの。
高窓の家を何軒か見て歩きました。
こうした家が所々にあります。
以上で最初の観光農業センター前に戻りました。
旧本庄市と旧児玉町、以前にも何回か訪れています
が、今回はサクラに時季に合わせて行きました。旧
中山道の宿場町だったして独自の文化の香りがします。
まだまだ見所が何かありそうな気がしています。