桐生トランピング情報

群馬県、特に桐生市周辺の山歩き情報をお届します。

伊勢崎境

2019-02-17 16:38:51 | ブラ歩き情報
2019年2月15日、伊勢崎市の境に行ってきました。
旧日光例幣使街道の境宿があった所です。


まずは東武伊勢崎線の堺町駅の前にある境赤レンガ倉庫
を訪れました。1919年に境運輸倉庫株式会社によって
建てられた、繭の保管倉庫でした。二階建ての大きな倉庫
で、今年築100年ですね!


横からの外観です。


中に入って一階部分を撮りました。多目的ホールになって
いました。しっかり補修されています。


二階に上がって撮りました。回廊としてのみの使用だそう
です。


赤レンガ倉庫を見終わってから周辺を見て回ることに
しました。写真は赤レンガ倉庫の少し先の横町に入った
所の買い場通りです。かっては生糸取引が盛んに行われた
所みたいです。


買い場通りを過ぎて例幣使街道に出ると旧日光例幣使道
境宿の碑が立っていました。


その先の町屋造りの商家を利用した中沢カフェ。奥行が
あります。


こちらは、さらに先に行った所の土蔵造りの商家です。
ここから反転して例幣使街道を見て歩きました。


中沢カフェ前を通り過ぎ信号を一つ越えた所の旧板倉家
薬局です。隣り合う主家は1923年築、手前三階建て
の洋館は伝統的な町屋に代わる洋風の外観を持った店舗
併用の都市型住居である看板建築で、1933年に建て
られました。


こちらは同じく看板建築の陶器店井筒屋です。


さらに先にあった黒漆喰土蔵造りの見世蔵。旧斉藤材木商
で、1909年築だそうです。写真を撮ろうとしていたら家の人
が出てきて、屋根が立派だからぜひ撮るようにと言われました。


仰せに従い、道路を挟んだ向かい側から撮りました。たしか
に立派でした。また奥にも建屋が続いているのが分かりました。


さらに先に進み、こちらは織間本陣跡。石碑があるだけです。


その後、例幣使街道からそれて旧群馬県蚕業取締所境支所を
見に向かったのですが、その途中で見かけた佐波新田用水路
です。


こちらが旧群馬県蚕業取締所境支所で、1927年築の鉄筋
コンクリート造りの建物です。蚕の伝染病予防のための検査
をしたそうです。


ここでまた反転し、用水路に沿って堺町駅方向へ戻り、
絹の家に行きました。機業家金子仲次郎の住宅であった
もので、1937年築になります。工場とともに境町に
寄贈され、公共利用されています。


右の建物は工場だった所で、現在は図書館になっていました。


家の横には金子仲次郎顕彰碑が立っていました。


最後、東武伊勢崎線の堺町駅を撮って帰りました。明治期の
駅舎だそうです。

旧日光例幣使街道の宿場だった境。今回紹介した歴史遺産の
他にも、古い建物がそこかしこに残っていました。歴史を充分
味わうことができますね。
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太田受楽寺・総持寺

2019-01-31 11:34:33 | ブラ歩き情報
2019年1月29日、太田市の受楽寺・総持寺に、岸亦八
の彫刻を見に行ってきました。岸亦八は藪塚山ノ神の人で、
桐生の四丁目鉾の彫刻を担いました。


太田市の金山町の受楽寺に着きました。呑龍様(大光院)の
近くです。この山門に岸亦八の彫刻があります。


山門の近くに寄って撮りました。木鼻に当たる所の彫刻は
獅子でしょうか。


ズームアップして撮りました。木目がきれいでした。


屋根下側面には鶴みたいな鳥が刻まれていました。


門裏側から撮りました。何かの物語の一節でしょうか。
人物がいました。


左右の柱には玉を持った龍が睨みを利かしていました。


境内にはロウバイが咲いていました。


また、大黒天の像がありました。受楽寺は太田七福神
巡りの一つになるみたいでした。


帰り際、屋根の裏側を見て、そこにも何やら彫刻が
あるのが分かりました。


山門の外にもロウバイがありました。よく見たら、そこかしこ
にいっぱいあるのに気が付きました。


受楽寺を後にして、世良田の総持寺にきました。新田氏の祖、
新田義重の館だった所みたいです。ここの山門にも岸亦八の
彫刻がありました。山門横の鐘楼は修復中でした。


山門木鼻は波みたいな彫刻があっただけでした。


左脇の潜り門には、岸亦八らしさが出た孔雀の彫刻が
ありました。


こちらは右の潜り門。雌の孔雀みたいに見えるのですが…


屋根裏の彫刻はちょっと分かりませんでした。


門裏側は、見た目左にオシドリ、右は唐子と翁みたいに
なっていました。



また、屋根下側面にも立派な彫刻があって、鷹に狙われた
猿(左)とウサギ(右)みたいでした。


柱には獅子が、


側面最上部には龍が刻まれていました。

新潟の石川雲蝶を見ていらい、社寺彫刻に嵌ったようになり、
この日思い立って岸亦八を見に行ってきました。まだまだ、
知識は足りませんが、面白く、これからも時々は見て歩きたい
と思っています。

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ブルーインパルスが来た!

2018-08-05 14:37:29 | ブラ歩き情報
2018年8月4日、ブルーインパルスが来て展示飛行しま
した。桐生市では、3日~5日に桐生八木節まつりを開催。
その中日、特別プログラムとしてブルーインパルスが飛来し、
桐生の空にいろいろな絵を描いてくれました。


桐生上空へ編隊飛行でやってきたときは、カメラを用意
する間に通り過ぎしまいました。しばらくして、なにやら
描き始めました。


円を描いているみたいでした。


大空に大きな円が重なり合いました。五輪のマークかな、
と思ったのですが、どうも違うみたいです。


こちらは大きなハートを描いて行くようでした。


放射線状に飛びました。


編隊飛行で、桐生から離れて行きました。


その日の夜には、桐生まつりのハイライト「鉾の引き違い」
が行われ、こちらも撮ってきました。写真は本町三丁目の
「翁鉾」。


こちらは、四丁目の「四丁目鉾」。


二つの鉾が近づいてきました。


ムードが徐々に、徐々に盛り上がってきました。
四丁目鉾の人形は「素戔鳴命」です。


いよいよお囃子による勝負が始まりました。


三丁目鉾の人形は「源頼朝」で翁の面を付けています。


こちらは今年できたからくり人形。三丁目鉾のお囃子座の
所で演ずるみたいです。

猛暑の中で繰り広げられる桐生八木節まつり、より一層
熱くなりそうですネ!!

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南魚沼市塩沢宿

2018-06-20 15:29:18 | ブラ歩き情報
2018年6月18日、新潟県南魚沼市の塩沢宿に行って
きました。


最初に、塩沢宿の先の大崎にある曹洞宗龍谷寺に行き
ました。そこの石川雲蝶の彫刻を見るためです。


境内の様子です。


本堂から続く右端に、こんな変わった建物がありました。
インド風の外観をした慈雲閣観音堂です。


その内部です。十一面観音像が奉られていました。左側に
本堂へ繋がる入口がありました。


この廊下を通って本堂へ行き、欄間の石川雲蝶を見てきま
した。本堂をさらに左に行くと百二十体の仏像のある妙光堂
がありました。何れも撮影禁止で紹介できませんが、雲蝶の
彫刻はすばらしく、また妙光堂の仏像の数には驚きました。


見学を終えて外に出て、本堂の前に行くと白い花が咲いて
いました。ウメバチキンポウゲみたいです。


また名前が不明ですが、こんな紫色した花も咲いていました。
この後、塩沢宿に向かいました。


塩沢宿の駐車場に着くと、その傍に江戸時代の文人で
「北越雪譜」の著者、鈴木牧之の記念館がありました。


また記念館前ではビヨウヤナギが咲いていました。


駐車場からちょっと歩いて牧之通りにでました。塩沢宿
の町並みです。写真は北側六日町方向の眺めになります。


こちらは南、石打方向です。何れも整然とした佇まいを
みせていました。


通りに面して立っていた常夜燈。中に消火栓がありました。


こちらはその反対側の店の古い看板。「薄荷圓」と書いて
ありました。塩沢は薄荷(はっか)が名産だったのですね。


その看板を掲げていた高田屋。旧脇本陣だったみたいで、
現在は八海山を商う酒屋さんです。


通りは雁木造になっていました。


高田屋さんのすぐ先の門の柱に何やら文字が。どうも過去
の積雪量を書き込んだものみたいで、最大は昭和58年の
3.7mみたいでした。柱には鎌と錐を背負ったカマキリが
とりついていました。カマキリは降雪量を予言するといわれて
いるらしいです。


隣あう形であった脇道が、浄土宗長恩寺への参道でした。


参道を突き当たった所のお地蔵様。


そこを左に直角に曲がると立派な山門がありました。


山門を潜るとすぐ目に飛び込んできた大きなイチョウの木。
オハツキイチョウといって、葉の上に実がなるのだそうです。


境内と本堂。この長恩寺にも雲蝶の彫刻があるらしいので
すが、本堂は閉まっていて中に入れず断念。また、寺内に
鈴木牧之の墓もあるとのことでしたが、それも見ず仕舞い
にしました。


山門横にあった、何やら古そうな土蔵。


また通りに戻ってきました。写真は牧之の生家だった
すずき酒店。店内に旧生家の天井の梁がありました。


通りにはいろいろな形をしたお店が並んでいましたが、
こちらは中でもユニークな建物で、金倉でしょうか!
信用組合の建物でした。


牧之通りを一通りみたあと、路地に入って塩沢つむぎ記念館
に行きました。こちらの一階で紬や越後上布などの展示を
見てきました。


つむぎ記念館からつむぎ通り(清水街道)に出て、牧之通り
との交差点から塩沢宿を俯瞰しました。六日町方向です。


塩沢宿を後にして、やはり雲蝶がある土樽の瑞祥庵に
向かうのですが、途中の上野で臨済宗関興寺に寄りま
した。この立派な門は総門といわれ、約三百年前に
建てられた武家屋敷の門を移築したものです。


総門の次にあった三門。江戸元禄時代の建立で、関興寺
で最も古い建造物になります。「味噌なめたか」の表示
の意味は、上杉謙信亡き後の景勝、景虎の家督争いの際、
経典焼失を避けるため味噌桶に隠して難を逃れたとの由来
からです。


三門を通って境内へ出た所です。禅宗のお寺の趣を醸し
だしていました。


本堂へ上る道筋でユキノシタを見ました。


こちらは多分コマクサでしょう。群馬川場村の吉祥寺でも
見たような気がします。


こちらははっきりしないのですが、シライトソウみたいな
花でした。


本堂前は枯山水の庭になっていました。


本堂内部を拝観させてもらいました(無料)。籠や陣笠
などが下がっていました。


欄間には、雲蝶と見紛うばかりの彫刻がありました。


本堂脇の外廊下に、味噌つくりのための大きな臼や桶が
置いてありました。


本堂反対側の棲龍池。昇竜の滝が流れ落ち、池面には蓮
の花が咲いていました。


こちらはシャクヤクですね。


最後に、三門の横手になる円光池を見ました。


湯沢町土樽の瑞祥庵に着きました。曹洞宗のお寺です。


雲蝶作の仁王像がある山門。


山門両脇の仁王像の内、こちらは阿形。金網越しに撮った
ので全体像が写せていません。それと、像の色が後塗り
したものということで、ちょっと雲蝶の雰囲気と違うような
気がしました。


こちらは吽形。


本堂です。


本堂横の池。水が溢れんばかりに注ぎ込まれていました。


本堂前の水路に花が咲いていました。よく見るとクリンソウ
でした。


こちらはキバナカンゾウです。

塩沢宿、長い間行きたいと思っていて、今回実現しました。
きれいな町並みですね。地元が力を入れているのが感じられ
ます。それと石川雲蝶。近場で見残していたのを、今回で
全部見られたことになります。まだ、長岡のものが残って
いるので機会があったら見たいですね。

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足利学校・鑁阿寺

2018-03-24 14:28:14 | ブラ歩き情報
2018年3月20日、足利の足利学校と鑁阿寺に行って
きました。日本最古の学校で日本遺産の足利学校、足利氏
の居館跡で国宝の本堂を持つ大日さま鑁阿寺、共に国指定
史跡です。


雨降る中、観光施設の太平記館を出発、国道293に跨る
歩道橋の上から、これから向かう足利学校を俯瞰しました。


こちらは道路手前側の善徳寺。足利尊氏開基のお寺です。


足利学校には三つの門があり、その第一の門「入徳門」
です。ここが入口になっています。


孔子像。足利学校では主に儒学を勉強したみたいです。


ここが第二の「学校門」。


学校の周りはかって土塁と堀に囲まれていたようで、
それを一部再現していました。


右手に見えた方丈(勉強した所)、庫裏。


左手にあった旧遺蹟図書館。足利学校が廃校になった後、
その書物を継承して現在に至っているようです。


第一の門から真っ直ぐ進んできて第三の門「杏壇門」を
潜った正面の孔子廟。中国の聖廟を模して造られ、中に
は中央に孔子像と、その右に足利学校を作ったといわれ
ている小野篁像が安置されていました。


孔子廟から右に折れ、方丈の中に入り、その座敷から
南庭園を撮りました。


こちらは北庭園です。
この後、鑁阿寺に向かいました。


鑁阿寺に向かって歩いていると超レトロな写真館があり
ました。「松村寫眞館」です。大正ロマンを感じさせますね!
そういえばTVで紹介されていたのを視た記憶があります。


こちらは尊氏像。余り人が寄り付きませんでした。馴染み
が薄いのでしょうか?


鑁阿寺手前にあった旧家。どんな謂れがあるのか不明です。


鑁阿寺入口の太鼓橋。立派な屋根が付いていました。
その後には山門がありました。周りは土塁と堀に囲まれ
武士の館だったことが窺われます。日本の100名城に
も入っています。


山門を潜って出た所の境内。正面に見えるのが本堂。


右手に木々に隠れるようにしてあった鐘楼。重文です。


左に多宝塔。


正面突き当たった所の国宝大御堂(本堂)。かって一度
国宝であったものが、2013年に再度国宝に指定され
ました。


本堂の鬼瓦。


本堂を左に折れ、こちらは神木の大銀杏。樹齢500年だ
そうで、その胴回りは10mとまことに太く立派でした。


こちらは重文の経堂。


奥の方に見えた御霊屋。


西門。ここを出て戻りました。


太平記館に戻ってきて、再度善徳寺を正面から撮りました。

当日はあいにくの雨でしたが、それ故か訪れる人が少なく
ゆっくり見ることができてよかったような気がします。
足利、今回はほんの一部だけでしたが、町中には旧家も
点在していたりして面白味があり、またいつか探索して
みたいような気にさせてくれました。
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