2017年8月29日、30日会津地方に行ってきました。
29日、本州中央部の122、121号線を走って最初に
訪れたのは、巨大な岩がそそり立つ「塔のへつり」でした。
121号線から少しそれて行った所が、大川(阿賀川)沿い
に立つ石灰岩質の岩壁、塔のへつりでした。
吊り橋を渡って対岸へ行きました。
えぐられた岩壁の中には虚空蔵菩薩が祀られていました。
続いて下野街道(会津西街道)宿場大内宿へ向かったので
すが、途中にあった中山風穴を見て行くことにしました。
ハイキングコースが広がる山の中を歩いて、風穴に辿り
着きました。
風穴は二基あって、こちらは手前にあったやや小振りの方
の風穴。それでも中は冷風を感じることができました。
湯野上温泉から県道に入って大内宿へ着きました。写真は、
大駐車場に車を置き大内宿を歩き始めた処です。茅葺の
古民家が通りを挟んで連なっていました。
殆どの家がお土産屋や、食べ物屋を営んでいましたが、
この家は休みだったのでしょうか?
大きな白木の鳥居が立っていました。この鳥居の所を
折れて行った先に高倉神社がありました。
曲がって少し歩いた脇に、大内宿の年中行事(に使われる?)
「眠った流し」がありました。
高倉神社へ歩いてきました。
林に囲まれて社がありました。
社本殿のすぐ後ろには、杉の大木が立っていました。
また宿場内へ戻って、奥へ歩いて行きました。
突き当たった所の大きな家。この家も、この日は休みだった
のでしょうか?
左に曲がって山際にあった子安観音。その右が見晴台に
なっていました。
その見晴台から大内宿を撮りました。宿場の様子が手に
とるように分かりました。
宿場内を戻る途中、縁側に飾られた大きな野菜に目が
止まりました。そういえば、もう少しで十五夜ですね。
大内宿を後にし、国道へは戻らず大内宿こぶしラインと
呼ばれている県道をそのまま進むと大きなダムがあり
ました。灌漑用の大内ダムみたいでした。
堰堤の反対側の山あいに見えたのは、さきほどの大内宿
だろうと思いました。
会津若松市へ向かって車を走らせていると、何やら歴史
を感じさせるような家がありました。大沼郡美里町(元は
会津本郷町)という所で付近に焼物の窯がたくさんある
みたいでした。
こちらは会津本郷清郷美術館。いまは閉館しているみたい
でした。
いよいよ会津若松市へ入り、まずは会津鶴ヶ城に行き
ました。東口の廊下橋を渡り城内へ進みました。
東口の方から見た天守閣。
城の最上部五層の展望部から見た西方向。
時計回りに回って、こちらは北方向。真ん中の階段は
武者走り。
東方向。真ん中の低い山が白虎隊の籠った飯盛山。
南方向。南走長屋が飯干櫓へと延びています。
天守閣を出て、南走長屋に設けられた鉄(くろがね)門
を撮りました。
また少し斜め東方向へ歩いて振り返り、天守閣を再度撮り
ました。ここからの眺めはよかったです!!
さらに進んだ所の片隅にあった「荒城の月碑」。仙台の
青葉城公園にもあったような気がしました。
その先の茶室麟閣。
中へ入って出てきた蒲鶴亭。その隣の躙り口の所が
茶室の麟閣だったと、後で知りました。
鶴ヶ城から少し離れた御薬園にきました。松平氏の庭園です。
御薬園の中へ入りました。
その先の薬用植物標本園。見て歩きましたが、クガイソウ
など山で見る花が多いのには驚きでした。
右奥の心字の池。
御薬園の後、白虎隊の学び舎会津藩校日新館へ行きま
した。実際の日新館は戊辰戦争で焼失、現日新館は
S62年に復元されたものです。入口手前に八重の桜
で知った「什の掟」の表示板がありました。
南門です。ここから中に入りました。
中にさらに戟門がありました。時を知らせる太鼓が置かれて
いました。
潜って真っ正面に見えたのが大成殿。
戟門から回廊形式で勉強をする部屋が幾つも続きました。
大成殿近くまで進んで、その屋根を撮りました。鯱と同様
の鴟尾(しび)みたいなものがありました。変わった形を
していて、頭は龍で胴と尾は魚なんだそうです。
大成殿は孔子を祀ったお堂です。
面白い形の銅器が置かれてあったので、思わず撮って
しまいました。
こちらは乗馬の訓練をする木馬場。真ん中にポツンと鞍が
置かれていました。
弓道場は省き、こちらは天文台だそうです。天体観測もして
いたみたいです。
最後は砲術場です。八重もここで鉄砲の射撃訓練をしたの
でしょうか?
この日はここまででした。いろんなものが見られてよかった
です。
29日、本州中央部の122、121号線を走って最初に
訪れたのは、巨大な岩がそそり立つ「塔のへつり」でした。
121号線から少しそれて行った所が、大川(阿賀川)沿い
に立つ石灰岩質の岩壁、塔のへつりでした。
吊り橋を渡って対岸へ行きました。
えぐられた岩壁の中には虚空蔵菩薩が祀られていました。
続いて下野街道(会津西街道)宿場大内宿へ向かったので
すが、途中にあった中山風穴を見て行くことにしました。
ハイキングコースが広がる山の中を歩いて、風穴に辿り
着きました。
風穴は二基あって、こちらは手前にあったやや小振りの方
の風穴。それでも中は冷風を感じることができました。
湯野上温泉から県道に入って大内宿へ着きました。写真は、
大駐車場に車を置き大内宿を歩き始めた処です。茅葺の
古民家が通りを挟んで連なっていました。
殆どの家がお土産屋や、食べ物屋を営んでいましたが、
この家は休みだったのでしょうか?
大きな白木の鳥居が立っていました。この鳥居の所を
折れて行った先に高倉神社がありました。
曲がって少し歩いた脇に、大内宿の年中行事(に使われる?)
「眠った流し」がありました。
高倉神社へ歩いてきました。
林に囲まれて社がありました。
社本殿のすぐ後ろには、杉の大木が立っていました。
また宿場内へ戻って、奥へ歩いて行きました。
突き当たった所の大きな家。この家も、この日は休みだった
のでしょうか?
左に曲がって山際にあった子安観音。その右が見晴台に
なっていました。
その見晴台から大内宿を撮りました。宿場の様子が手に
とるように分かりました。
宿場内を戻る途中、縁側に飾られた大きな野菜に目が
止まりました。そういえば、もう少しで十五夜ですね。
大内宿を後にし、国道へは戻らず大内宿こぶしラインと
呼ばれている県道をそのまま進むと大きなダムがあり
ました。灌漑用の大内ダムみたいでした。
堰堤の反対側の山あいに見えたのは、さきほどの大内宿
だろうと思いました。
会津若松市へ向かって車を走らせていると、何やら歴史
を感じさせるような家がありました。大沼郡美里町(元は
会津本郷町)という所で付近に焼物の窯がたくさんある
みたいでした。
こちらは会津本郷清郷美術館。いまは閉館しているみたい
でした。
いよいよ会津若松市へ入り、まずは会津鶴ヶ城に行き
ました。東口の廊下橋を渡り城内へ進みました。
東口の方から見た天守閣。
城の最上部五層の展望部から見た西方向。
時計回りに回って、こちらは北方向。真ん中の階段は
武者走り。
東方向。真ん中の低い山が白虎隊の籠った飯盛山。
南方向。南走長屋が飯干櫓へと延びています。
天守閣を出て、南走長屋に設けられた鉄(くろがね)門
を撮りました。
また少し斜め東方向へ歩いて振り返り、天守閣を再度撮り
ました。ここからの眺めはよかったです!!
さらに進んだ所の片隅にあった「荒城の月碑」。仙台の
青葉城公園にもあったような気がしました。
その先の茶室麟閣。
中へ入って出てきた蒲鶴亭。その隣の躙り口の所が
茶室の麟閣だったと、後で知りました。
鶴ヶ城から少し離れた御薬園にきました。松平氏の庭園です。
御薬園の中へ入りました。
その先の薬用植物標本園。見て歩きましたが、クガイソウ
など山で見る花が多いのには驚きでした。
右奥の心字の池。
御薬園の後、白虎隊の学び舎会津藩校日新館へ行きま
した。実際の日新館は戊辰戦争で焼失、現日新館は
S62年に復元されたものです。入口手前に八重の桜
で知った「什の掟」の表示板がありました。
南門です。ここから中に入りました。
中にさらに戟門がありました。時を知らせる太鼓が置かれて
いました。
潜って真っ正面に見えたのが大成殿。
戟門から回廊形式で勉強をする部屋が幾つも続きました。
大成殿近くまで進んで、その屋根を撮りました。鯱と同様
の鴟尾(しび)みたいなものがありました。変わった形を
していて、頭は龍で胴と尾は魚なんだそうです。
大成殿は孔子を祀ったお堂です。
面白い形の銅器が置かれてあったので、思わず撮って
しまいました。
こちらは乗馬の訓練をする木馬場。真ん中にポツンと鞍が
置かれていました。
弓道場は省き、こちらは天文台だそうです。天体観測もして
いたみたいです。
最後は砲術場です。八重もここで鉄砲の射撃訓練をしたの
でしょうか?
この日はここまででした。いろんなものが見られてよかった
です。
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