昨日午後から、唐松暮らしをよくする連絡会主催の「くらしのなんでも相談会」がアルピノ中庭で開かれましたの参加しました。
法律、健康、営業、生活など多岐にわたる相談事をそれぞれの団体が集まって市民の相談を無料で応じるものです。
私は、健康検診を受けました。
見かけによれず、「基礎代謝は良好」とお墨付きを頂きました。
昨日午後から、唐松暮らしをよくする連絡会主催の「くらしのなんでも相談会」がアルピノ中庭で開かれましたの参加しました。
法律、健康、営業、生活など多岐にわたる相談事をそれぞれの団体が集まって市民の相談を無料で応じるものです。
私は、健康検診を受けました。
見かけによれず、「基礎代謝は良好」とお墨付きを頂きました。
「嬉野の大チャノキ」を見ての帰りに、「志田焼の里博物館」(嬉野市塩田町)に立ち寄りました。
志田焼きは、1700年頃からこの志田地区ではじまった焼き物産業で、幕末の最盛期には5つの登り窯があり、主に皿が大量に生産され全国に販売されていたそうです。
博物館の門をくぐると昭和末期まで使われていた焼き物工場が当時のままの姿を見ることができます。
原石を天草地区から取り寄せ、それを砕く作業から粘土をつくり、型にはめ大きな登り窯では、石炭や軽油を使っていたそうですう。
小さい頃見た、湯たんぽや青い魚の絵皿、とっくりなどが作られてい現場をタイムスリップしたように見ることができました。。
すべてが、合理的な流れ作業になって、大量に作られていたことが見て取れました。
近くに、塩田川があり船を使っての大量物流が可能であったこともここで焼き物産業が発展したことがうかがい知ることができました。
入場料は大人300円です。一度、出かけてみませんか。
今朝も雨は降っていません。
梅雨明けを感じる朝を迎えています。
昨日は、一度は行ってみたいと思っていた、嬉野茶の発祥の基といわれる「嬉野の大チャノキ」を見に行ってきました。
そこは、海抜約200㍍の中山間地の斜面に大きな看板と小さな駐車場が迎えてくれました。
説明文によると、1926年(大正15年)10月20日に国の天然記念物の指定を受け、日本で最初にチャノキが栽培されたと言われている吉野ヶ里町から慶安年間に種子を取り寄せ、この嬉野不動山地区に1651年に植えられた事が嬉野茶の起こりと書かれていました。
駐車場から少し階段を登ると周囲約80㍍の柵のなかに、樹齢300年を超えるも老茶木が凜々しく繁り、子孫を残そうと実をたくさん実らせ、樹木の逞しい生命力を感じました。
ここまでの間に、いくつものお茶の販売店や工場があり、周辺にはお茶畑が広がり、「お茶所」という雰囲気の町を感じました。
一方で、中山間地がゆえに、「耕作放棄地」も目立つようになっていたのが残念です。