自分の書くもののテーマ、というか、ふと気がつくとそういう話になっちゃってるな~と以前思ったことがありまして、それは「使命(大義、義務、信念)のために、自分の愛(恋、感情、自分または愛する相手の命)を犠牲にできるか」ということです。やおいだのBLだのエロだのばっか書いてるくせに、な~に言ってるんだ、と突っ込まれるかもしれませんが・・・。できるかどうかは別として、個人的には「しなきゃいけない」というのが私の考え方だけど、他の人が「すべきでない」と思うことは否定しないし、人としてそっちの方が正しいのかな~とは思います。ただ書くときには「犠牲にする」タイプのキャラを出して、「犠牲にする」と決めたその人の苦悩や痛み、後悔を描いていることが多いような気が。
Q3の「1番気に入っている作品」で挙げた『月蝕の王』も、考えてみるとそう。征士が「自分の手で」阿羅醐を殺したいと思ったのはもちろん自分が彼を愛し、憐れに思っているからだけど、なぜ「殺そう」と決めたかといえば、読者向けには「彼の魂を救いたい」という理由のようなふりをしながら、私自身は「彼を殺さなければ世界が滅びる」「自分は彼を殺すために生まれ、育てられた」という使命感、義務感が少なからずあったと思って書いてました。
話は飛ぶけど、20年度で放送された深夜アニメの中で、私がはまったのが『喰霊―零―』。黄泉(よみ)という少女が殺生石に精神を乗っ取られて、悪霊と化して殺戮者となってしまったのを、彼女を本当の姉のように慕っていた神楽(かぐら)という少女が殺すまでの話(これ、原作漫画にない話だよなー。原作より前の話という設定なのかな?)で、黄泉の恋人だった紀之は、同僚(あ、黄泉たちは全員退魔師で、環境庁超自然災害対策室に所属しているのだ)の一騎を黄泉が殺そうとする場面で、「彼を死なせたくないなら、私を殺して」と言われても、黄泉を攻撃することができず一騎を死なせちゃうんですな。それに対して、神楽もずーっと何話にもわたって苦しみながら、自分が愛する黄泉(姉妹みたいに、といいながら、もんのすごくレズっぽいんだよな、この2人・・・)を止める、と決意する。黄泉も、最後の最後で神楽を守るために彼女の刃にかかって死ぬ。もちろん神楽は「世界を救うため」よりも、「こんなこと黄泉は望んでいない」「苦しんでいる黄泉を救うには、私が殺すしかない」と愛ゆえにそうするんだけど、同じ黄泉を愛している紀之とは逆の選択をするところが、もんのすごく萌えでした・・・。こういう話が好きでたまらん、というところに私の好みが現れてるよなー、と思うわけです・・・。