第155話. 気になった映画 『DESTINY 鎌倉ものがたり』

2018-08-06 00:26:52 | 気になった映画
湖畔人です。

先日機内で『DESTINY 鎌倉ものがたり』を観ました。とても、示唆に富んだ、色んな霊界知識が散りばめられた面白い映画でした。ネタバレになりますが、昨年末の映画なのでお許しください。(DVDで本作を観る予定がある方は下記を見ない方が良いです。)
昭和初期の鎌倉が、古からの妖気が溜まった磁場となっており、幽霊、魔物、妖怪達が、日常的に跋扈する霊界とこの世の境目が曖昧になっている特別な場として描かれていて、この地に住む売れないミステリー作家・一色と、彼に嫁いだ若き美人妻・亜紀子に起きる、転生を超えた悪魔とのバトルの話でした。主人公の一色と、ライバル関係にある霊界の魔物(悪想念が人格を持ったと言う)天頭鬼は、一色の美しき妻・亜紀子を過去世においても取り合いをして来た歴史があって、過去世では一色が勝利をし、亜紀子と夫婦となって来た歴史があって、天頭鬼としては、今世こそは亜紀子と必ず夫婦にならんと様々な策を仕掛けます。まず、今世では、天頭鬼の嫌がらせにより、亜希子の生まれて来る時期が遅れるように操作されたようで、一色と亜紀子は大分年齢が離れてしまうのですが、彼らの運命は見事にその年の差を乗り越えてメデタく年の差カップルとなります。しかし、天頭鬼の手下の仕業で、亜希子の霊体が離脱しやすい状況が作られてしまって、そして天頭鬼の手下の悪さのせいでとうとう亜希子の霊体が亜紀子の体から抜け出てしまいます。本人も霊になった感覚があった為、自分の肉体を探しますが、天頭鬼の手下によって亜紀子の肉体はどこかに隠され行方知らずになってしまいます。実は、亜紀子の肉体は今世に執着がある死んだばかりの女性霊に勝手に与えられ乗っ取られていたのです。肉体を失った亜紀子は寿命が来ていないにも拘らず黄泉の世界に行かざるを得ない状況になり、一色に別れを告げ、黄泉の世界へと旅立ちます。しかしその状況に納得できない一色は、伝説のミステリー作家の未公開の原稿に書いてある黄泉への行き方を学んで、自らの霊体を離脱させ黄泉の世界へと旅立ちます。黄泉に着いた一色は、まずその伝説の作家に会って亜紀子を救うためのアドバイスを受けようとします。その伝説の作家に会いに行くと何故か一色の母親が出て来て、その伝説の作家が実は一色の父親である事を知らされます。実は一色は自分の母親はその伝説の作家と不倫関係にあると長らく誤解をしており、ずっと心を痛めて来たのですが、実は、その作家は父親が変装した姿であったとその時初めて知って衝撃を受けるのです。誤解が解け、父と母に霊界で再会出来た喜びに浸る一色は、密かに尊敬もしていた伝説的なミステリー作家でもある自らの父から亜紀子を救う為のアドバイスを受けます。想像力を使って物を出現させ、それでもって戦うのです、と指導を受けた一色は、単身敵のアジトに乗り込み亜紀子を連れ脱出をします。追いかけて来る天頭鬼に対し想像力を使って障害物を沢山出現させて奮戦しますが、力一歩及ばず、一色は天頭鬼に取り押さえられ、亜紀子は、言う事を聞かないと一色を殺すと脅されます。そして、永遠に天頭鬼の妻になると誓約書に書けと、迫られます。その窮地に突然何処からか法力を宿した茶碗が飛んで来て、天頭鬼を攻撃し、一色と亜希子を窮地から救い出します。この空飛ぶ茶碗は実は貧乏神の茶碗でして、嘗て亜紀子が鎌倉の自宅にいた頃、天井裏に住み着いて皆に嫌われていた貧乏神に対し亜紀子だけはとても親切にしており、その親交の過程で貧乏神と物々交換をしていて、その際に貧乏神から貰った物がこの茶碗だったのでした。その茶碗は絶体絶命の場面で飛んで来て、天頭鬼を攻撃し、ついでにその茶碗が一色と亜希子を乗せる空飛ぶ容器となって、一色と亜希子を無事に現世へと運び出し、一色と亜希子はまた幸せな夫婦へと戻ってハッピーエンドを迎える、と言うお話でした。貧乏神の恩返しと言う訳です。
この物語では、序盤から何度も武士(一色)と悪魔(天頭鬼)の戦いを示す彫刻やレリーフが何度も出て来ており、物語の終盤に起こる一色と天頭鬼のバトルを何度も暗示していました。その細かな仕掛けがとても面白かったです。貧乏神の少ない持ち物の中にも実は侍(一色)と悪魔(天頭鬼)の戦いを示すメダルのような小さなレリーフのような物があり、貧乏神の援護もある意味、以前から仕組まれていた神仕組みだったのかもしれません。
ここから学べることは、偏見を持たず親切心で人(神)と触れ合っておくと、困った時に思わぬところで救いの神となってくれる、と言う事です。何時でも見返りを求めず出会う人、出会う神、出会う動物等、全ての対象に、親切にしておく事が大事だなと思わされました。また、一色は長らく母は浮気をしていると何十年にも渡って誤解をし勝手に恨み心を抱いてきましたが、でもそれはただの誤解であった事が後から分かります。そういった誤解に基づく敵意や恨み心を持つケースと言うのは、実は意外と自分達の周りにも沢山あるのかもしれず、注意が必要だな、と思いましたね。勝手に思い込んで人を無駄に恨むのは、自分の仏性にも相手の仏性にも失礼ですし、ただの無駄なマイナス行為ですので止めたい所ですよね。確証も無く、勝手に思い込んで無駄に敵を作るべきではないな、と改めて思わされました。他にも色々と学びのポイントは多数ございまして、自殺をすると地縛霊になると死神が言っていましたが、多分それは本当の事ですし、霊界では想像力が全て、と言う一色の父の言葉も多分本当の事でして、何気に立派な霊界教育の啓蒙映画にもなっていてホントスゴイな、と思いました。ちと気持ち悪いのも事実ですが、でも、結構面白い映画だったと思います。あまり人気のない転生コースの魔界転生コースと言う選択があるのも、なかなか面白い設定ですし、丑三つ時にだけ現れる謎の駅から旧い江ノ電に乗って霊界に行ける話も何か粋な話だなと思いました。とても面白い映画ですので、是非一度DVD 等でご覧になる事をお勧め致します。

湖畔人

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