華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

“そのとき”がきた

2012年11月28日 22時12分09秒 | Weblog
本日午後シフト。
午前勤務から引き継いだ途端に異変。もう回復する見込みのなかった患者さん。息がないと家族の人たちに呼ばれ、先輩看護師に来てもらって一緒に対応。息がなく、脈もない。延命治療を希望しない患者さんだったので、特に私たちにできることはなく、ドクターに来てもらって死亡告知がされた。看護師になって6ヶ月。初めて患者さんを見送った。
“死”は誰にでも訪れるものなので、その人が亡くなられたこと自体にショックを受けることはなかった。それよりは見送る家族の姿を見るのが辛かった。家族の心中を思ったら泣けて仕方なかった。そんな姿を見られて先輩たちに「ちょっと休憩しておいで」と言われたけど、そんな気分になれず一生懸命仕事した。ある先輩は「初めてだからパニクるのは仕方ないよね」「でも、良くも悪くもそのうち慣れるよ」。私にそんなときが来るんだろうか? 人の死に慣れることはあっても、その人たちを見送る家族の悲しい気持ちを感じずにいられないようになるんだろうか? いちいち感情的になっていても仕方ないことはわかっている(通常業務はあるんだし)。ただ、この先経験を重ねる中で、どんな風に自分が変わっていくんだろう…なんて考えた。お医者さんや看護師って因果な仕事やなぁ。

私は将来、臨床ではなく、可能であれば研究の方にいきたいと思っている。その理由は病気になった人をお世話するより、健康な人が病気にならないように世話をしたいから。今健康がいかに幸せであるかを伝え、それを維持することの大切さを人に教えたい。そのためになる何かを調べて発表する=未来の患者数を減らすことができれば…と思っている。
これは大学在学中から考えていた。四十路を目の前にしてキャリア1年目の身分ではなかなか難しいゴールやけどチャンスがあれば挑戦したいと思っている。

人の死を目の当たりにして、いろいろと考えた夜だった。
明日は午前シフトで5時半起き。もう11時。寝るとしよう。
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