「ナカタニさんブログかいている?」
「はい」
「チャコちゃん先生の日記というのがそう?」
「ええお読みになって下さったんですか?」
「中谷とあって同じ人かなと思ってーー」
バレエ教室の先輩がにこにこ笑いながら話しかけてくる
「やっぱりそうなのね何の先生なの?」
ヘタッピーの私のバレエ姿を見ていると
先生と言う名のイメージとはなかなかすりあわない
だからこそ良いのだと思う
「先生」と呼ばれ続けているといつのまにかそういう顔になってくる
態度も先生らしくなってしまう
其れがイヤで「先生」と呼ばないで
と若いとき「先生」と云われるたび、ナカタニですとかヒサコです
なんて言い換えていたのだが
ある日
「相手の名前を忘れたとき先生というのが一番妥当なんだ」
と言う言葉を発している人をみて
「先生」というのは必ずしも尊敬語では無いのだとわかり
少し気が楽になったことがある
確かに名字で呼ぶのも名前で呼ぶのも何かはばかられ
そのとき一番云い呼び名が「先生」だ
セキドも「センセイ」が直らず人前でも呼ぶので
其れには辟易しているが
「其れも癖で一つの名前ですから」
と云われてみると変に納得してしまう
チャコちゃんセンセイとヤッタのは物の弾み、ごろがいいかなと言う程度
いつもあまり考えていない
つまり「センセイ」という呼び方に照れを表したのかもしれない
学校の先生
お医者様
国会議員や地方議員
弁護士
講師
指導者
こう言う方は先生と自然に呼ばれて当たり前の顔が出来る
日本の言葉の中で便利な言葉の一つかもしれない
でも「チャコちゃん先生」この呼び名は気に入っている
中谷比佐子と別人格になるところがいい
大人になって声楽を始めたのも老の時期からバレエをはじめたのも
下っ端からの出発で先生臭さを外したいと思ったから
其れはある程度成功していると思っている
「はい」
「チャコちゃん先生の日記というのがそう?」
「ええお読みになって下さったんですか?」
「中谷とあって同じ人かなと思ってーー」
バレエ教室の先輩がにこにこ笑いながら話しかけてくる
「やっぱりそうなのね何の先生なの?」
ヘタッピーの私のバレエ姿を見ていると
先生と言う名のイメージとはなかなかすりあわない
だからこそ良いのだと思う
「先生」と呼ばれ続けているといつのまにかそういう顔になってくる
態度も先生らしくなってしまう
其れがイヤで「先生」と呼ばないで
と若いとき「先生」と云われるたび、ナカタニですとかヒサコです
なんて言い換えていたのだが
ある日
「相手の名前を忘れたとき先生というのが一番妥当なんだ」
と言う言葉を発している人をみて
「先生」というのは必ずしも尊敬語では無いのだとわかり
少し気が楽になったことがある
確かに名字で呼ぶのも名前で呼ぶのも何かはばかられ
そのとき一番云い呼び名が「先生」だ
セキドも「センセイ」が直らず人前でも呼ぶので
其れには辟易しているが
「其れも癖で一つの名前ですから」
と云われてみると変に納得してしまう
チャコちゃんセンセイとヤッタのは物の弾み、ごろがいいかなと言う程度
いつもあまり考えていない
つまり「センセイ」という呼び方に照れを表したのかもしれない
学校の先生
お医者様
国会議員や地方議員
弁護士
講師
指導者
こう言う方は先生と自然に呼ばれて当たり前の顔が出来る
日本の言葉の中で便利な言葉の一つかもしれない
でも「チャコちゃん先生」この呼び名は気に入っている
中谷比佐子と別人格になるところがいい
大人になって声楽を始めたのも老の時期からバレエをはじめたのも
下っ端からの出発で先生臭さを外したいと思ったから
其れはある程度成功していると思っている