チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

B層って?

2012年06月17日 11時06分50秒 | 日記
朝パソコンを立ち上げ目に飛び込んだのが
FBのコメントに
「あなたもB層の代表ですね」
と書き込まれていた

そこにはは松宮さんとタグが貼り付けられていて
松宮さんと私の麻の葉柄のきものが撮影されていた
チャコちゃん先生の周りに
「ねえB層ってなに?」
と聞いても誰も答えられない
そういう言葉も知らない人ばかり
「だからB層なのではないの・?」
と訳の分からないことを云う人もいる

投稿者は外国に住んでいる日本の女性
その方のウオールを読むと
遠くの日本の今のあり方が不安で仕方がないらしい
どうして真実を知らないのか知ろうとしないのか
なぜ大きな変革を目指さないのか行動をしないのかと

多くの日本人に対して警鐘を鳴らし続けている

その女性の思いは痛いほどよく分かる
書いていることも理解できる
チャコちゃん先生も日々の暮らしの中で日本人の根本を見失わないようにと
発言もしている
日本特有の「イエ」「ムラ」思想からの脱却を迫られているのだが
日本型権力構造はなかなか頑丈だ

そういうことをふまえてできる限りのことをしているつもりだが
しかしきっと彼女の思いとは違うのであろう
「B層」ってなんですか?
コメントの雰囲気では蔑称の感じがしたけどーーー

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大増税の前にーー

2012年06月16日 09時16分14秒 | 日記
安保60年を知る人たちの間では
「いやな感じの時代になったね」
「権力行使の恐ろしい時代に逆戻りだね」
と言うのが合い言葉のようだ

野田総理はなんでこんなに「増税と原発再稼働」
に前のめりになっているのだろう
なぜ?

日本をもっとよく見てほしい
やることが一杯あるのではないかしら

昨日は群馬の山奥に取材に行った
出会う家ほとんどに蚕棚のある大きな家が目に付く
そしてそれらは廃屋になっている家も多い

今はもう野生になってしまった桑の木が生い茂っている
そういう家を自力で改造をしている女性に出会い
二階の蚕棚を見に上がる
蚕を今すぐでもそだてられる道具がほこりにまみれて鎮まっていた
「たぶん20万頭は飼育していたでしょうねえもっと多いかもしれないけど

お蚕を飼育することは人間以上に蚕に集中したことが伺える
こう言う家がこの山奥に何軒もある
日本国中このような家があるのだが
年々廃屋になり朽ちていっている

蚕を育てるのは大変だと国は流言しすぎたと思う
今は大学の先生方が遺伝子研究に精魂傾け
健康で丈夫な質のいい蚕を世に送り出している

桑は農薬がいらないから農協は儲からない
麻もそうだ簡単に育っていろんな素材になる
その素材を使って多くの人が物作りのために働ける
農機具の代わりに人が動く
そうすると経済が滞ると言うがそうだろうか

働いた人たちがきちんと収入を得
そのお金を消費に回すであろう
きちんとした食事をするようになればみんな健康になる

医者もいらず争わないから弁護士も
お金で転ぶような卑しい政治家は皆無になる
頭の良いお役人たちはきっとこう言う仕組みになれば
世の中が平和になるということ百も承知だろう

しかし其れが怖い
ご自分の権利と棚ぼたではいるお金に目がくらんでいるから
日本のこともっとよく見てほしい
チャコちゃん先生ですら
日本をこうしたらみんな平和に幸せになるのにと言う試案がる

上の立つ方が目線を代えるだけで事態は飛躍的に良くなる
実直に
「大増税の前にやることがある」
と言い続けている小沢一郎さんを応援する
しかし小沢さん
もういい加減に激変の道を選んで下さいな

美しい日本がつぶれない前にーー



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農業志願が増える

2012年06月14日 09時40分56秒 | 日記
友人の松宮隆さんが今年の春から軽井沢で農業を始めた
全くの素人
アメリカにいて金融ビジネスで大成功を収めた人なのだが
あまりにもいろんな病気にかかり
その病気を治すのは「食」しかないと気が付き
食の研究のために日本で暮らすようになって
ついに自ら食物を作るまでになった

5月の連休明け松宮さんの畑を見学した
無農薬であることはもちろん水もまかない肥料も施さない
とにかく元気な優秀な種と土づくりに重点を置くという
近くの畑はおびただしい農薬畑
でもその農家さんたちとのコミニュケーションもうまくいきつつあるという

「隣の農薬がここの畑には来ないの?」
「不思議なんですよね種と土が丈夫だとその農薬を消すんです」
「深いですねえなんだか人間そのものみたいだ」
「ハハハそうですよね」

そして昨日
「初出荷しました召し上がってください」
と野菜が宅急便で届いた
「今後のこともあるのでついた状況の写真を送ってください」
段ボールから開けた途端、とても清らかなにおいがした

ホウレンソウ・スイチャード・レタス・レタスグローリア・ラデイッシュ・ルッコラ
早速生のまま麻の実オイルで作ったドレッシングでいただく
おいしい おいしい 体が大喜び
本当においしい

この農法は素晴らしい
ずぶの素人がこんなにおいしい作物を生産できるのだ
考え方をしっかりかえる時代になった

農協指導の農業から
人々が自分で楽しんで作物を作る世になろうとしている
農薬や農業機械に振り回される農業から脱却できるのだ

「とにかくこの農法の成功事例をたくさん作るのが先決だからね」

今の日本は自分で自分を守るいいチャンス
みんなでたくさんの知恵を結集する時が来た
今の醜い政治家たちをもう当てにしてはいけない

清く賢い日本人になっていきましょう



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時代の風

2012年06月12日 09時48分31秒 | 日記
すこーーーし
風向きが変わってきた
と思う

2009年から続いた混沌とした政治
3月11日の東北大地震と津波そして福島原発事故
日本人として何を大事にしなければならないか
どう生きることが正しいのか

多くの人が「日本」という国をしっかりつかみたいと考え始めたように思う

60年安保、全共闘の闘争みんなが一つにまとまろうとしていた時期がある
しかしそれはすべて権力でつぶされたし
権力の介入と切り崩しで内部分裂をし霧散した
それを見つめていた人たちも無力感に陥った

それからはモノ・カネ・権力の時代に突入し
カネを持つものがもっとも尊敬され尊重された
権力者は神より力を持っているかに振舞っていた

それが当たり前の世の中で格差が広がり未来に全く夢を持てない人が多かった

それが最近
少しずつ変わってきた
権力者やただカネだけを追い求める輩を人は認めなくなった
身の丈に合った生活を望む人が増えつつある
大新聞やテレビなどを読んだり見たりする人が減った
それは権力者側のニュースしか流さないことを知ったから

誰かの話を聞きその人に依存するのではなく
自分の心で物事を判断する人が増えた
休眠反に緑が戻ってきた

そして優しい笑顔も戻ってきた

何かが変わる
少しずつ何かいい風が吹き始めたように思う
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柞原八幡宮

2012年06月11日 09時48分59秒 | 日記
柞原はユスハラと読むのだと先日始めて知った
ずっと「いすわらさま」と言っていたので
西大分の大字八幡と言う山の上にある

姪に
「まだ私が小さい頃上の姉さんも結婚していない頃元旦行事は
いすわらさまにお参りする事で朝4時にたたき起こされてみんなで歩いて
お参りしたのよ」
そうしたら姉が
「そうそうあんたはいつも姉兄の背中だったけどね」
と水を差す

頂上の神宮につく頃朝日が海から昇る

「あれ以来行っていないけど行ってみたいなあ」
とつぶやいていたら早速調べてくれて行くことになった

さてその柞原八幡宮は記憶にある朱色の柱もはげていて
吹きさらしの廻廊にある絵馬も色も形も定かではない
しかし
引き渡る風が心地よく落ち着く

「一体どうしてこの神宮に毎年お参りをしていたのかしら」
まず由緒をいただく
豊後一宮だ
しかも宇佐神宮の流れを汲んでいて
御祭神も
仲哀天皇
神功皇后
応神天皇
つまりご家族だ

当然皇室の御崇敬も深く鳥羽法皇は60才のお祝いをここでなさっていた
源頼朝が平家討伐の祈祷もされている

なんということだ
こんなに由緒ある神宮なのにこの荒れよう

社殿を歩きながら考えていたら
初老の紳士が
「これから宝物殿を開けてもらいますがご一緒にいかがですか」
と声をかけてくださる
「ぜひお願いします」

姪と小さな声で「やったね」

通常は予約をして許可を頂かないと入れないらしい
なんといっても重文ばかりだから
その紳士「お二人の入場料も一緒に払っておきます
「すみません」と最敬礼

白鳳時代の銅の小さな仏像が目に入った
ひきつけられてその前にたつ
「実はわたしもこの仏像に会いたかったのです」
と紳士

美しい清い気が流れてくる

他にも珍しい宝物が整然と並んでいるがすべて重文

社殿補修の寄付箱がないかと尋ねたら
「あとで祈祷しますのでこの紙に住所とお名前を」

なんと鷹揚な応対
「今度秋にいらしてください廻廊からの紅葉は見事な色ですよ」
「社殿の修復はしないのですか?」
「重文に指定されたのでぼつぼつ手をつけねばなりません」
「あの廻廊の絵馬は?」

原画のわかる人がまだ見つかっていなくて直すとしたら一枚300万円かかるという

こうやって歴史の一齣はきえていくのだなあ
と胸に応える

かの国に何兆円も差し出さず国内の文化に目を向けてほしい



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旅が旅を呼ぶ

2012年06月10日 11時05分13秒 | 日記
大分で義兄の七回忌を済ませ
長姉と二人で湯布院で遊び
JRで浜松に帰る姉を見送って大分飛行場に赴く

東京の大雨の影響で羽田出発が遅れ30分の遅延だという
航空内のレストランに座る
姪から「中津の日本蕎麦が美味しい」と聞いたばかりなので蕎麦を頼み
テーブルにあった地図を広げてみていると

突然道を隔てた隣のテーブルから声がかかる大きな声だ
「センセイ格好いいですな」
「ハアーイ?ーー」
見るといかにも漁師風の男とその情婦といった感じの女がニコニコ顔を向けている

「踊りの先生・?」と漁師
「いいえ」
「じゃあ小唄化三味線?」と情婦風
あくまでもセンセイなのだ

「両方違うのですよ先生ではありませんよ」
「いやなにかの先生という風格だよ」
「まあまあ漁師さんですか?」
「そうだようウナギ採りの日本一の名人だよ」
「まあウナギ大好きしかも最近は天然ものは少ないから貴重ですよね」

「そうだよセンセイ今度おいでよたくさん食わしてあげるから」
「おねえさんほんと格好いい絶対おいでよね」と情婦さん
「おいでよと言われてもどこなのですか・?」
「ああそうだ」

二人してチャコちゃん先生のテーブルに引っ越してきて
見ていた地図の上に
「おーおい赤鉛筆もってこいや」
と言ってご自分の町に印をつけてくれる
「これこちらのーーー」
「いいからいいから持っていきなついでに住所と名前も書いとくわ」

そうだそうだといいながら
「いまちぎってきたばかりだよ」
とハウスミカンを両手いっぱい差し出してくれる
「いただきます」

ウナギはどうやってつかむといいのかと質問すると
「今度実地で教えてやるよセンセイ絶対来なきゃあダメだぞ」
「ええ必ず」

席を立って伝票を持とうとすると
その漁師さん引っ手繰って
「俺払っておくからこの借金絶対に払いに俺んちまでおいでよ」
情婦さんも
「おねえさん必ずね町中で待っているからーー」
「では借金払いに必ず伺います」

変な約束ーーー
でもまた新しい旅の目的ができた

飛行機の検査場に入ろうとすると
「センセイかならずまってるよーー」
と二人が手を振って見送ってくれる

これもきものの効用かーーな
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食でやせる

2012年06月09日 06時15分39秒 | 日記
きもののレッスンにいらしている可愛いNさん
いらした当初は手足は細いし顔も小顔なので
スッキリした方だと思っていたが
どうしてどうして胴回りヒップ周りがたっぷりしている

ご本人はそのときすでに10キロやせていたらしい
更に最近50キロ減って
ウエスト6センチヒップは4センチ細くなっている
きものの身幅が大きすぎると仕立て直しを希望
寸法を見ると着方でどうにかなる程度なので
「こう言う着方をすると寸法が少々あわなくても大丈夫」
「きものって便利ですね」

ところでどうして1年で足らずで15キロも体重を落としたのかと聞くと
「食ですそしてきものを着るようになって」
と言う答えが来た

その前にどういう食生活だったのかと聞く
仕事場でパソコンの前でコンビニ弁当
しかも夜中までの仕事で夜遅い食事
元々運動をしていたの全く体を動かさないことも太る原因だったという

まだうら若き身
あるときウインドーに映る自分の姿を見たとき
「一瞬誰か分からなかったんですよ」
若いときから運動をしていて体は引き締まっていたが
今の自分の体とドウモ接点がない不安定さにとてもショックを受けた

それで一念発起して自分の体を守るために環境を変えた
つまり仕事を辞めしばらく自分の体作りをしようとしたのだ

そう決心したとき自分の心の奥を信じようと気持ちになったそうだ
料理は自分で作る素材も吟味する特に調味料
お腹がすかない限り食べない
そうすると一日一食になった
そのうち肉や揚げ物甘すぎるものが一切食べたくなくなり
魚も食卓に上がることが少ない

たったそれだけのことでみるみる体重が落ちていったし
体が軽くなり自分の道が実に明快に見えてきたという

今は更に美しい
たった1年弱で何もせずただ食だけでここまで美しくなれる
「私たち食べ過ぎていますよね」

いやいや耳が痛い
チャコちゃん先生目が卑しいから食でやせるというのは至難の業
この体型とつきあうしかないな
と話を聞きながら思う

でも瞳がキラキラ輝き笑顔の美しいお嬢さん生きることに自信が生まれたようだ



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父と息子

2012年06月08日 07時54分14秒 | 日記
最近の父と息子は友達つきあいの人が多いのだろうか
母と娘はもうすっかり姉妹という関係いえいえ親友かな
歌舞伎の舞台で香川照之がもう体中で喜びを見せた演技をしているのを見て
この人は父をどれだけ求めていたのだろうかと胸が熱くなった

世の中にはこような父と子の関係の家族は多いであろう
元総理の小泉さんの三男は生まれてこの方一度も父親に会えていない
一度友人を介してお会いしたことがあるがいい青年だった
それに兄二人に比べてもハンサムだし気立てがいい
「父恋し」は一生続くのであろうか

やはり友人の家庭では父親には絶対に敬語を使っている兄弟がいる
いついかなる時も父親の言葉に反論は許されない
そういう兄弟は母親を大切にする
其れは不思議な現象だ

父と息子が友人同士のような家族は母親は蚊帳の外に置かれていることが多い
男の連帯にはじき飛ばされるのであろうか

男は子供を産まないので若いときは同姓はうっとうしいのだろうか
良くテレビドラマで
父と息子が一緒にバーで和気藹々とお酒を飲む場面があるが
現実はなかなかそうはいかないようだ
娘しかいない父親は母と娘から疎外されている

基本的に父親が芯になるべきなのだろうが
最近の父親は弱い

市川猿翁も一緒に住んでいる女性の手前おいてきた息子に会えなかったのだろう
その方がお亡くなりになり父と子が打ち解けることが出来た
其れも子が忍耐強く待っていたからであろう

父と息子の縁はどこか哀しいものがある










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ボストン美術館日本美術の至宝

2012年06月07日 16時06分04秒 | 日記
まだ大丈夫まだ大丈夫と思っているうち会期が10日までとなり
今日は雨しかもウイークデイと気がつき
「今日こそ」と昨日東京博物館まで行ってきた

見たかったのは小袖と尾形光琳の松鳥図屏風それになったって蕭白の襖絵
もちろん予想通りに素晴らしかったが
思いがけず刀の鞘の工芸やそれに付随した組紐の美しさ
何より昔絵画の本で見て本物を見たいと思っていた
伝陽月の「枇杷に栗鼠の図」
今頃の季節帯の柄にぱくりたいと思いつつ美術本でもお目にかからず
ここで再会したときは思わず声が出そうになった

なにせチケット売り場で15分会場に入るまで30分の待ち時間
雨でウイクデー狙いも一杯いたということ

そのせいで人気の吉備大臣入唐絵巻や平治物語絵巻には近づけなかった
美しい朱色や官位の袍の色に興味があったが
其れはもう図録で見るしかない

日本以外の美術館でもボストン美術館には日本の至宝がたくさん渡っている
集めた時期は明治維新

30年前に松坂屋でボストン美術館の展覧会があったとき
日本からこんなにいいものが流出して
日本人は一体ナニヲしていたのだろうと思ったけれど

今回は違った
ボストンに行っててよかったと思った
あのままだったら戦争で焼失したか持ち主が代わりばらばらになってしまったかもしれない

明治維新の頃
世界は日本を良く知らなかった
文化果てるところだと思っていたと思う
そこへ書画陶器漆器が西洋人の目に触れ
その感性の鋭さと技術の精巧さに日本の国の文化度の高さを知った

そういう美術品を見て日本に渡ってくる外国人が後を絶たず
もちろん高い船賃で来るのだから裕福な人が渡ってくる
そして日本人に出会い日本の美術のすばらしさに魅せられた

奈良時代からの日本人の手による美術がどれだけ西欧の人たちを驚かせたろうか

東京博物館では
沈黙をしながら世界中の人に感銘を与えた美術品が静かに並んでいた

日本って本当に凄い国なのだなあとあらためて感じ入った
パクって帯柄にしようなんて思ったせこいチャコちゃん先生が恥ずかしい

この後名古屋、大阪、福岡に移動するらしい
ぜひご覧になるといい
たとえ並んででもーー日本を誇らしく思える


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三笠宮さまご逝去

2012年06月06日 18時48分15秒 | 日記
6月6日66才でご逝去された三笠宮殿下
「ひげの殿下」として親しまれていらしたが
身障者に対しての援助活動はお若いときから熱心だった

30年くらい前から取材を何回かして御殿にも伺ったし
身障者パーテイにもお招きいただいた

一番始めにお会いしたときは赤坂の御殿に伺って
洋服姿の撮影をさせていただいた
そのとき
「仮縫いの時はねこうやって足を斜めにしてズボンの寸法をとるんだよ」
「どうしてですか?」
「足が曲がっているからね」
「そのようには見えませんが」
「だからさ見えないように仕立てるんだよ」

皇室専門のテーラーHさんも
「殿下に限らず日本の男性は骨の付き方がヨーロッパの方と違いますからね」
そういうものなのかと首をかしげていたら
別の日Hさんがご自分の仕事部屋で人骨を差しながら
アングロサクソンと大和人の骨の構図を見せて下さった
なるほどと感心したものだ

二度目は長いインタビューで緊張しながら質問をしていたが
頃合いを見てお茶が運ばれてきた
殿下の前にはシャンパン色の氷の入った液体
チャコちゃん先生の前にはお紅茶が差し出された

緊張のあまり喉がからからに渇いていたので
氷の飲み物の方がいいなあ
チャコちゃん先生どうも卑しい目をしたらしい
其れと察した殿下
「ナカタニさんもこれと同じものがいいらしいよ」
と仰って下さった

嬉しくにこにこと笑いながら一気に飲み干したら
ーーーーーー
なんと!
水割りだった
まだ陽は高かった!

「わはははーー」
ともう大声を上げてお笑いになる
此方は恥ずかしくて身の置き所もなかった

そんなこともあって
何回かお会いしていろんな話を伺ったが
そんなに簡単にお目にかかれるわけでもなく
チャコちゃん先生もその身障者の会にも欠席が多くなって
自然に伺わなくなったのだが

病で大変だと云うこともHさんからお聞きもしていたが
ご逝去の報を伺うとあの豪快なお声を思い出す
皇室の若きリーダーだった頃だったな
元気はつらつとした姿が目に浮かぶ

どうぞおやすらかに
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