チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 175

2019年06月20日 19時07分06秒 | 日記
今日は自分が洋服を着て歯医者に行ったので道すがらまた電車そしてレストラン、博物館などで着物姿の女性をウオッチング、自分が着物を着ている自由に見つめることができないので今日は嬉しい
そして感じたことがある
着物を着ていることでとても緊張している人や、私は色々工夫をしているのよ、また満艦飾の人など面白いがもったいない
自分自身を演出していない人が多いのだもの

今は誰に何を言われるわけではなく自由気ままに着物を着る時代
かねてブログに書いているけど、どの階級の着物姿を目指そうかと思うと意外と着物姿に幅が出て着る方も見ている方も楽しい

つくづく考えていたら着物の着方種類は江戸時代に遡ると着装の面白さが身につくように思う

江戸時代は武士と町人の二極化と言っていい
武士階級の娘は儒教の教えが厳しかったので「自由」はない
着るものも親が決め品よく賢くしとやかなものが好まれている
お稽古ごとが忙しい文学も芸術も身に着けてそれ相当のお所へ嫁に行く
そのときに着る着物の選び方にも品性が問われる
しかし美しいし絢爛豪華だ今でも博物館に残っている衣裳は職人魂がほとばしっている
姫たちの外出は必ず付き人が一緒なので道すがらの恋など生まれようがない(不自由だねだからイケメン下男を連れて歩く姫もいた)

町人の娘はおちゃっぴー、おてんば、おきゃん おちゃっぴーというのはお茶をひく女というところでベチャベチャ喋りしとやかさが足りない 御転婆は伝馬町から飛び立つ武士の馬に例えているので飛び跳ねる、おきゃんはさっぱりした姉御肌

そうすると着るものは決まってくる町人の娘は自由と責任があるので着物も自分で選び恋もする
それがある時期東京の山の手と下町に分けられ着物文化が二分する

自分自身をどの階級に持っていくかで着物選びも面白くなり着方にも変化がつく
そういう着物の学び方があってもいいなあと思いながらオープンテラスでお茶した午後

因みに江戸の女の職業大奥の女(階級が多い)稽古ごとの師匠 乳母 囲い者 女中 飯盛り女
花魁 遊女など50種類はある

#囲い者 #花魁 #遊女 #大奥 #武士階級 #御転婆 #おきゃん #武士の娘 #東京山の手 #東京下町 #着物文化 #オープンテラス #チャコちゃん先生 #比佐子流着付け
#秋櫻舎 #中谷比佐子

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着物が繫ぐもの 174

2019年06月19日 11時16分11秒 | 日記
一昨日の話
懇意にしている悉皆屋さんが洗い張りの出来上がった着物を持ってきていつもは「ちわー」「じゃー」と言ってすぐ引き上げるのにその日に限って腰を落ち着ける
差し出したお茶をすすりながら
「嫌になっちゃうよここに来たらいい話聞けると思ってるんだ」身近な同業者が次々に辞めてさらに周りの職人たちももう来年はやめると宣言していると嘆く

着物にとっていちばん大事な洗い張り
着物のことを一番理解している悉皆屋
着る人の職業や日常の生活を着物を通して着物と人を一番見ている人
シミの付き方でその人の癖がわかり職業も理解る

面倒だといって最近は着物をドライで洗っている人も多いが
手仕事でできた着物はやはり目を凝らし心をこめた職人の腕で綺麗にしたい
色が焼ければ周囲の染職人と相談して色のせをしてくれる
地色が派手だと思えば柄を全て糊伏せして地色を変えてくれる
刺繍の糸が切れれば刺しゅう職人のところで修理復活

悉皆屋さんを中心に職人集団が団結して一枚の着物を生き返らせてくれる
そういう仲間が新宿にいてチャコちゃん先生時々顔を出して話し込む

しかしながらその仲間たちが一人欠け二人欠け
「この柄派手になったので潰してもらえる?」
「もうできねーよやめちまったんだ」
「そんなーー」
「着物繕って着る人もういねーよ」
「ここにいるじゃあないの困るわ」
「ひどいよみんな着物丸めてクリーニングだよ」

そして今日はいつもお願いしている帯の仕立て屋さん
「着物の値段が安くなりすぎたね、1000円なんかで職人の作った着物や帯を売るってどんな考えしてるんだろう」
「頑張って続けてね」
「だけど帯の仕立て代がネットで買う着物の何倍もすれば買う人いなくなるね」
暗澹たる気持ちの今日ーー

#着物 #帯の仕立て #悉皆屋 #洗い張り #色抜き #修理 #チャコちゃん先生 #秋櫻舎 #中谷比佐子 #個人着付け #出張着付け #着物の洗濯

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着物が繋ぐもの 173

2019年06月18日 09時02分02秒 | 日記
家庭の環境で着物を着る種類が違うがみんなが着物中心であったため
戦後にはこの着物を売ってお米や野菜に変えた家庭も多い
ということは農家の婦人たちは作業着は持っていても通常は着物を着ることもなく冠婚葬祭用の着物を準備していただけだから日常着は美しく見ると欲しくなったのであろう

折から不在地主は小作人だった農家の人に土地を渡すことになり
領主よりも土地を使っていた農民の土地になったので農家の人達の生活は楽になった
その時農家に集まった着物もいづれは闇市に売り出されていくが
この時代は着物のおかげで命をつないだ国民は多かった

戦後も10年位立つと社会も落ち着き新しい職業も生み出されまた知恵のある人達はお金儲けもうまく戦前の階級は吹き飛んでしまう
成金と言われる金持ちは夜の街を徘徊そこに集まる女たちの着物は暗闇に目立つ白い着物が人気
そうすると裏地も薄くしなければならないので「ぼかし八卦」が銀座の呉服やから登場し全国的に流行
白い着物というのは花嫁衣装としてまた死に装束としての観念だったが
拍車をかけたのが世紀の華麗なる婚礼現上皇陛下の結婚
前代未聞の民間からのお妃で美智子様の一挙手一投足が逐一マスコミに発表されここでも白地の着物が注目された

后も花柳界の女も同じような白地の置物を着ることあ許された時代を日本は迎え、このときからどういう階級立場にいても何を着てもいいという傾向になった
職業や育ちなど関係なくお金さえあればどんな装いもできる

礼装と普段着しかない時代から「おしゃれ着」というのもできて「付下げ」などはその筆頭かもしれない
訪問着より柄を少なくしていつでも気楽に着られるしかも訪問着より値段も手頃

お座敷遊びも盛んで地方のおねえさん方が胸と袖にある模様は座っているときになかなか良いというので一気に流行った
お茶会でも柄付けの見せ所がうまくいき好まれた
当時は訪問着より軽い着物として小紋より人気があったようだ

付下げはきっと戦後のヒット商品であろうしそれに伴ったぼかし八掛の登場も同じようにスターさん

今度はその付下げをきたい素人の方に浸透したのが「黒羽織」お母さんの制服として入学卒業の子どもたちのそばで君臨していた
それをマスコミは「カラスの集団」と揶揄していた若いお母さんは黒羽織の下に付下げ、年配のお母さんは色無地か江戸小紋という合わせ方で威儀を正して学校行事に参加していた

ほとんどの女性が外で働くようになると着物姿は街から消えて洋服姿の女性が闊歩する

着物を着ることはお稽古ごとをしているか着物の道にはたらく人そして冠婚葬祭用
そうすると着物の本質も変わってくる
たかがか70年で着物はどこへ向かうのか (この項続く)

#着物 #着物文化 #秋櫻舎 #中谷比佐子 #付下げ #黒羽織 #入学卒業式 #チャコちゃん先生 #着付け #ぼかしの八掛 #胴裏 #西新宿着付け #おしゃれ着 #礼装 #訪問着 #農民 #カラスの集団 #お座敷遊び




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着物が繋ぐもの 172

2019年06月17日 09時51分34秒 | 日記
着物の着方には階級が存在する
平成の時代はどんな着方をしていようが不問
昭和はまだ着物で日常を送った女性、また季節の着こなし、自分の置かれた社会環境とそれぞれ着物の選び方着方が違うことをお言える人が多かったし、婦人誌もそれに習って先人たちから伝わったことを正確に情報提供をしなけれないけないと責任を感じていた

今でもその当時の婦人誌を出してみると着物は着方よりも着物の素材や柄また着たときのTPOが主な内容になっている
先日多くの雑誌を処分してしまったがいまちょっと後悔している
昭和の着物を正しく伝えることも必要なのではないかと昨今考えているからだ

職業による着物の選び方着物のコーディネイト着物の着方というのがあった
昭和も戦争前は今ではお手伝いさんという呼び名だが女中さんという職業があり、中流家庭以上では必ず女中さんがいた

家事手伝いが主な仕事でその時に着ているものは木綿の絣物が多い
対丈の着物に筒袖帯は兵児帯か半幅
寒いときは別珍の赤い足袋を履いていたがそうでない季節は素足に下駄
下駄の歯が減ったら付け替える職業の人もいたもちろん鼻緒の挿げ替えもする、荷物を担いで道路に店開きする人やお屋敷の庭で仕事をする人もいた

学校帰りの子どもたちはその職人の手さばきをしゃがんで見物するのが楽しみだったりする
鍋の汚れを取る、鍋の穴を修理する、傘の張替えをする、包丁を研ぐ ちょっとした細かい修理をするおじさんはパッチを履いて下駄化地下足袋上はダボシャツと言われる今ではテキ屋の男たちが着ているようなもの、腹巻きをしていてそこがお財布代

女中さんでも乳母、子守、座敷、台所と別れていて座敷係は普通の着物を着ていたが、木綿や銘仙とか平織りのもの
女中さんはその家で礼儀作法を学び しつけもきちんと受けて、家によってはそこから嫁入り道具も持たせる場合もある

中流家庭では女の子が生まれると桐の木を植えたり(後に桐箪笥として使う)ありの運びみたいに着物を少しずつ揃えていく
織りの着物は流行や好みも少ないのでいいものを例えば結城紬、大島紬などを購入し、帯揚げ、帯締めなどの小物、白生地などから身の丈に合ったものを少しずつ揃えていく
いきなり大金を出して変えるのは上流階級だ

子供はモスリンとか錦紗を着ていて、娘は木綿、銘仙や大島紬の横そがすり、ウール、若奥さんになるとお召や、大島などの平織りの着物、縮織、よそ行きに後染めの染のもの
着物でその家の財力と社会的地位がわかった
(この項つづく)

#着物 #着付け #ウールのきもの #木綿の着物 #銘仙 #大島紬 #お召 #白生地 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #秋櫻舎 #比佐子流着付け #帯揚げ帯締め #女中さん #中流家庭 #桐箪笥 #身の丈 #社会的地位 #財力 #嫁入り支度 #錦紗 #流行
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着物が繋ぐもの 171

2019年06月16日 10時53分39秒 | 日記
日本人の悪い癖
自分を卑下する、パートナーを愚妻とかバカ亭主と言ったりする、自分の国を軽蔑する
しかし腹の中では「自分は一番」という思いがありあり

この国にはストレートに自分の思いや気持ちを相手に告げることを良しとしなかった風潮がある
一歩引き下がって相手を立てる
口がひん曲がっても相手を認める言葉を吐く
それで苦しんでいる人が多い

最近「日本の絹は良くないですよブラジルのがいいですよ」
と言われたという若い女性がいらして「日本の絹って高くて良くないと染めてる人が言っていました」
そうかと思うと「日本の絹は最高しかし高くて使えないね」

実際はそうかもしれない
現実の話をしたい業界でもてはやされているブラジルの絹は日本の企業「カネボウ」の努力の賜物
また世界で絹の生産量が二番目と言われている北朝鮮の絹も日本の企業の教えのとおりにやっているという(見に行きたいと切望しているチャコちゃん先生)
セブ島の島に養蚕農家が30軒もある
この指導も日本人だ ベトナム然り インドネシアなどアジアのホウボウでいい絹になる養蚕技術を指導したのは日本人 大手企業もある個人もある

今また無菌蚕の技術指導を中国で始めている
ただし、中国と韓国は手塩にかけて指導しても「もともと我が国にあっった」と言って譲らない
しかし他の国は
「我々が独立できたのは日本の国のおかげ、近代産業を指導してこのように国が栄えているのは日本のおかげ」
と感謝の言葉を私達に言ってくれる
先人たちが黙々とその国の人達の独立を願い日本の文化であってもその国にあった文化にして伝えてきたことに私達後輩は感謝しかない

その偉業にたいして誇りに思わず国を卑下するのは先輩たちへの冒涜だろう
現在でもタイにやインドネシア、ベトナムで染織の道を指導したり縫製の技術を広めたりしている人は多い。そしてその国の人達の経済力を高めるのに貢献している

オランダのエドワルド・ヴァンテアン内務大臣がアムステルダム市長のとき オランダは日本の敵国だった。アムステルダムを表敬訪問した日本の政治家に
「オランダはアジアに持っていた多くの国々を日本軍によって独立国にされてしまい、いまオランダは貧乏になっているけど、独立をした国々はいきいきと生活をしている、日本という国がいなかったら彼らはまだヨーロッパの国々の奴隷になっていた、日本は戦争に負けたけどアジアに平和と文化をもたらした偉大な国だ」

日本のワーストを一つ一つ取り上げて改善する必要もあるが
日本の善行を私達はもっと知り国を愛する日本人になりたい

#チャコちゃん先生 #アムステルダム #独立国 #オランダ #インドネシア #アジア諸国 #養蚕農家 #セブ島 #日本人 #絹織物 #個人着付け #秋櫻舎 #北朝鮮 #奴隷 #着付け手ぶら体験 #西新宿着付け講座
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ナンバ歩き

2019年06月15日 19時40分26秒 | 日記

大雨の中江戸博物館へ

天の火には打つ感や美術館に行くことにしている

人が少なくユックリ鑑賞できる「江戸の街道を行く」

江戸って自由度が高い、街道が美しい、そしてそにの街道は今も残っていて美しい

道具は徳川家のものが多く陳列されているが

職人の腕の良さに見とれてしまう

何よりも全ての行列の絵図は「なんば歩き」

可愛いというか今となっては不思議な歩き方に見える

貴人の顔は描けないので赤い傘

それもまた美しい

すっかり見入っていたらセミナーに遅刻してしまった すみませんです

帰ってハリフオンフオードの映画を見てこんな時間になってしまった!

#街道  #江戸博物館  t#徳川家

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人種が変わった!

2019年06月14日 11時03分20秒 | 日記
ここのところ電話やいらした人の話で「最近の日本人って違うみたい」という言葉をよく聞く
どこが違うかと集約すると
「自分を大事にしないから人を大切と思わない」ということらしい

「草木から命を頂いた色を糸に染めて反物にしたのです」と染織家
「ふーーん」と素通り
三年前の個展のときとまるで反応の違う異人種の人たちがいらっしゃる。もちろん反物は売れない

「寺で炊き出しするのだけど最近は手伝う人がみんな年配者、若い子は唯黙って食べて汚れた食器ももそのまま」
この傾向は一昨年くらいから、もうやめようと思うーーと

「嫌いなものは嫌いでいい」
「行きたくないところには行かなくていい」
「自分のペースでいい」
「人に迷惑かけてないんだからそれでいい」
「できないことを恥ずかしがることはない」
「やりたくないことはやらなくていい」

一見自分を大事にしている感じがする行動

ある女優さんがなくなってその方の生き方に共感する人が後を絶たない
本もたくさん出ている 売れている
チャコちゃん先生どうして売れるのかを知りたくて本を読んだ

内容は上にかいたようなことの率先者
その女優さんはそれが持ち味だったのだろうし芸能界ではそういう生き方は個性的ともてはやされたのだろう。

ズルズル何もせず生きていてもいい
だけど「どうして自分はズルズルしたいのか」を追求すればそこに真が見えてくる
人に言われて姿勢を正すのではなく
「なぜ自分は好き嫌いがはっきりしているのだろう」と自分を追求すれば自分が見える

そうすると自分自身が面白くなりそこから目に映る物すべてが生き生きとして面白くなる
当然身の回りのものに関しても「自分はどう感じるのか」と思うと愛おしくなる

日本人が本来持っていた「内観」という作業を忘れているだけだと思う
 
心配顔の方に話す
「嫌だなああんな態度」と思うあなた自身「なぜ嫌なのだろう」と突き詰めると
自分が正しいと思っていることと相手が違うことをしているので「嫌だなあ」と思うことが理解る
そういう自分が理解できたらそれでいいのではないかしら

自分自身が一番面白い
みんながそう思うと争いもなくなるし、自分の思いを押し付けることもなくなる
自分の感じ方を見つめるだけで世間は変わる

#内観 #中谷比佐子 #染色家 #染織家 #住職 #女優 #芸能界
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着物が繋ぐもの 170

2019年06月13日 13時15分50秒 | 日記
思いがけず高倉健さんの着物姿をヴィデオで見直している
 
考えてみると男の着物の発端は父の着物姿であり兄のそれ
父は外から帰ると必ず着物に着替えていてその手伝いを母が行っていた
幼い私はそばで父の兵児帯を持って早く膝に座りたくて足踏みしながら待っていた
着物に着替えた父はやっと自分の父親になってくれているという親しみがあり独占したかったのだと思う
腰紐など使わず兵児帯一本で着付けていたので私が持つ兵児帯は父にとって実に重要なものでもあった
要のものを持っているという優越感を感じていたように思う。(いちばん大切なものをこの私が持っている)
 
5つ上の兄は秀才のほまれ高く(二十歳過ぎたらただより悪いと私に言われていた、アメリカは鬼畜生と教えられたのに、戦争が終わるといきなり英語中心の教育、混乱したのだと思う。自暴自棄になっていた時期がある)父も母も期待していただけにそのショックは深かったに違いないが、それまでは父と同じような扱いを受け冬は紺絣、夏は白絣を家で着ていた
しかしそういう風景も短くすぐ戦争が激しくなって国民服というゴワゴワした軍服のようなものを着せられていた
 
戦争が終わっても父は相変わらず家に帰ると着物に着替えていた
その父がある時見せてくれたのが「鞍馬天狗」という映画
(後にも先にも父と映画を見たのはあと一本 父っ子の私は一緒に長時間いることが嬉しかった)
主演は嵐寛寿郎でその着物姿の美しさそれを真似て高校の運動会の主任化装競争に主任を鞍馬天狗に仕立てて優勝した
父の着物姿を毎日見ているので着付けは手早かった
着付けて一緒に走って一等賞(すごいね)
 
その主任は美術の先生でほっそりして顔が小さく背が高い180センチ近くあった
鞍馬天狗は黒紋付の着流しそして紫の頭巾 黒紋付の着流しがこんなに格好良いものだとは(幼少の頃から企画力抜群だねチャコちゃん先生)
 
このときの着流しが男の着物姿の原点になっているので高倉健の着流し姿を見たときは映画の筋より着物姿を追いついにインタビューという流れになったのだが、このことは前にもかいたので略
 
この度高倉健と
 
 
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着物が繋ぐもの 170

2019年06月13日 13時15分50秒 | 日記
思いがけず高倉健さんの着物姿をヴィデオで見直している

考えてみると男の着物の発端は父の着物姿であり兄のそれ
父は外から帰ると必ず着物に着替えていてその手伝いを母が行っていた
幼い私はそばで父の兵児帯を持って早く膝に座りたくて足踏みしながら待っていた
着物に着替えた父はやっと自分の父親になってくれているという親しみがあり独占したかったのだと思う
腰紐など使わず兵児帯一本で着付けていたので私が持つ兵児帯は父にとって実に重要なものでもあった
要のものを持っているという優越感を感じていたように思う。(いちばん大切なものをこの私が持っている)

5つ上の兄は秀才のほまれ高く(二十歳過ぎたらただより悪いと私に言われていた、アメリカは鬼畜生と教えられたのに、戦争が終わるといきなり英語中心の教育、混乱したのだと思う。自暴自棄になっていた時期がある)父も母も期待していただけにそのショックは深かったに違いないが、それまでは父と同じような扱いを受け冬は紺絣、夏は白絣を家で着ていた
しかしそういう風景も短くすぐ戦争が激しくなって国民服というゴワゴワした軍服のようなものを着せられていた

戦争が終わっても父は相変わらず家に帰ると着物に着替えていた
その父がある時見せてくれたのが「鞍馬天狗」という映画
(後にも先にも父と映画を見たのはあと一本 父っ子の私は一緒に長時間いることが嬉しかった)
主演は嵐寛寿郎でその着物姿の美しさそれを真似て高校の運動会の主任化装競争に主任を鞍馬天狗に仕立てて優勝した
父の着物姿を毎日見ているので着付けは手早かった
着付けて一緒に走って一等賞(すごいね)

その主任は美術の先生でほっそりして顔が小さく背が高い180センチ近くあった
鞍馬天狗は黒紋付の着流しそして紫の頭巾 黒紋付の着流しがこんなに格好良いものだとは(幼少の頃から企画力抜群だねチャコちゃん先生)

このときの着流しが男の着物姿の原点になっているので高倉健の着流し姿を見たときは映画の筋より着物姿を追いついにインタビューという流れになったのだが、このことは前にもかいたので略

この度高倉健とその時代の東映仁侠映画のスターさんたちの着物姿を改めて拝見する機会を与えられ、男の着流し姿の美しさに惚れボレしている
男たちがいつから野暮ったい着物姿を人の目に晒すようになったのか、そういうこともこれから検証してみたいと思う

男の着物姿の美はまずは足首にあるというのも今回理解した
男は着物を着る時美学を持たないとゾロっペになるいい男のいた昭和をもう一度眺めようと思う

#男の美学 #高倉健 #東映仁侠映画 #着流し #黒紋付の着流し #チャコちゃん先生 #中谷比佐子 #鞍馬天狗 #仮装競争
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着物が繋ぐもの 169

2019年06月12日 15時18分44秒 | 日記
令和元年なにかに挑戰 なにか新しく始めるということをする必要があると思い付き始めたのはまず「断捨離」これは5月中旬に完結かな でもまだ少し残っているか
これからは「物から事にはいる」と思っている

昭和は物を持つために一生懸命働いた ものを作った ものを所有して競争した
平成はそのものの価値を検討する時代だった 本当に必要なものなの?という問いかけ
令和はどこに自分を置くかという時代に入ったと思う お金も物も自分自身を幸せにする要素ではなくなる
一人で暮らしてもも心豊かになれる方法を人は目指している
かと言って孤独を好むのではなく 常にいい仲間との連携は密に取りあう
チャコちゃん先生が好きな「友とは淡く付き合い深く思いやる」という関係が望ましいとみんなが思う時代

脳出血を患い今なお右半身不自由で車椅子生活の心友中野裕弓さんと去年から頻繁にあってこれからの日本の使命について語り合っている

車椅子生活になって見えてきたことは、人が生きる上で様々なことを教えてもらえる
私は仕事をしたお金が取れずお金で多くの人に迷惑をかけ今なお金の勉強をさせられ、そこから見えるいろんな物の価値について深く考察できるようになった
ということで、前とは違った人生の過ごし方、国のあり方、社会感を話し合い、ぼつぼつその思いを形にしたいと思い始めた時

こちらも心友嶋田恵子さんが「帯花」という作品を完成させた
恵子さんも進路そして自分の使命に迷いが出て深く悩み学んだ時、この帯花が浮かんだ
「比佐子さんの思いと私の技を形にしたのよ」
と人に見捨てられた帯を利用しそれを花瓶に見立ててアートフラワーとジョイントして美しい「帯花」を作り上げた もう人の役には立たないんだと感じていた帯が「ぱっと」生き返り輝きを増した
その帯花を部屋に飾ると次から次へといいことが起きる

昨日3人が集まり
「裕弓さんは車椅子生活になっての様々な思い、惠子さんは見捨てられた帯の再生、比佐子さんは忘れられている着物をとおした日本の文化」
それぞれのテーマは「再生・エシカル」「循環」などでトークショーをこの秋開くことに決定
みんなが日本を愛してやまない人間になってそこから「争わない」愛をひろげていこうということになった

乞うご期待

長きにわたる友情と、それぞれが自分のフイールドで積み上げた経験を通し、愛する日本を語り合う時間は至福であり自分自身の進化がそこで認められ「生きるって本当に素晴らしい」と思えた

#中野裕弓 #嶋田恵子 #中谷比佐子 #チャコちゃん先生 #人の進化 #循環 #再生 #エシカル #車椅子 #争わない #トークショー







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