綱渡りの命 「予防」へ住民と対話
年に延べ百人を超える医学生が、長野県の奥 深い山村にやってくる。鉄道も国道もない南相 木村。人口1千人余りのこの村の国保直営診療 所で、医者の卵たちはお年寄りの話に耳を傾け、 村内の家々を訪ね歩く。
生活指導
「色平先生がね、しょっちゅう家まで診に来てくれ るからね。独り暮らしでも安心なんだあ」。診療所 に顔を出した倉根ちづ(88)は医学生らの前でシ ワだらけの笑顔をつくった。色平先生とは、診療 所長の色平哲郎(48)。10年前、約30㌔離れた 佐久市の総合病院から派遣された。20年ぶりの常勤医だった。医学 生らは色平が主宰する「塾」の参加者である。色平は着任以来、村に 医学生らを招き、都市との橋渡しを続けている。地域医療をじかに知っ てもらうためだ。滋賀医大3年の平野雅穏(26)は「過疎地の医師を志 しても、大学の勉強ではどうしたらいいか分からなかった」と色平塾に 参加した動機を語った。コンビニもなく自給自足に近い暮らし。築100 年の旧家でいろりを囲む。「こんな生活があったなんて」。村民の暮ら しぶりを肌身で感じ、都会育ちの医学生たちの顔つきは次第に変わっ ていく。県を挙げて予防医療を重視する長野は、高齢者一人当たりの 医療費か゛全国で最も低い。色平もまた、その予防医療所での診察を 終えると村内の家々を回る。お年寄りの体調に気を配り、茶飲み話を するように生活指導をする。「医者語だけじゃなく、ムラ語も分からない とね」。地域医療は医の技術だけでは太刀打ちできない-と色平は考 えている。しかし、南相木村での色平の取り組みは、いつ崩れるとも 知れぬ土台の上に立っている。色平を派遣した病院は研修医80人を 含め2百人の医師が在籍し、県東部の医療の「最後の砦」。いまその 病院では医師不足の地域からの患者が集中し、時に病床数を越える 受け入れを余儀なくされるなど綱渡りの状況が続く。「過酷な現場の 状況を嫌って研修医が来なくなれば南相木の常駐医派遣もできなくな る」。色平は懸念を口にした。
医局離れ
1月中旬、県南部の飯田市の市立病院を、厚生労働相の舛添要一か゛ 視察に訪れた。地域医療の現場を見終わった舛添の顔からは、いつも の愛想笑いが消えていた。「長野の医療は全国のモデルだと思ってい たが、医師不足がここまで深刻とは・・・」市立病院は地域の中核病院 ながら、産科医不足のため4月からは「里帰り出産」の受け入れを休止 する。周辺の医療機関でも、派遣医の引き揚げや医師の退職が相次ぐ。 地方から医師が消える引き金になったのは、2004年度に導入された 臨床研修制度だった。研修医は労働条件のよい都市部の病院に流れ、 研修後も大学病院に戻らない医局離れが進んだ。大学からの医師派遣 に頼っていた地方の医療機関はその影響を受け、拠点病院でさえ医師 確保が困難に。残った医師も負担増に耐えかねて職場を去る「ドミノ倒 し」が生まれた。舛添は視察後の住民との対話集会で「目先の問題もあ るけど、長期的問題も車の両輪でやる」と力説した。だが、国が緊急対 策として導入した医師派遣制度は、派遣期間が最長でもわずか半年で しかない。昨年派遣を受けた後志管内岩内町の岩内協会病院では、ほ かの医師の確保ができないまま2月2日に派遣期限が切れた。厚労省 は、異例の措置として派遣期間を3月末まで延長した。しかし、同病院の 苦悩が消えたわけではない-「あらゆる手段を尽くして医師の確保に努 めるが、現実派は厳しい」 (敬称略)