あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

ようやく

2015-03-26 23:38:17 | 前に進む
かなり長い間放っておいたあれこれに手をつけ始めている。

次から次に躓くものの、次から次に発見もある。頭の中で思い描いた筋道に沿っている訳ではないけど、前へと進めばいい。

もうしばらくしたらまた手をつけられなくなるだろうから、それまでに出来るだけの事をやっておこう…と、もうこんな時間だ。

さて、今日もそろそろ寝ようとするか。明日の朝、また少し進めようと思うので。。

三連続

2015-03-22 23:50:44 | 前に進む
今日は所沢で開催された映画フェスティバルに出かけた。

このイベントに、僕は第1回と、その後数回行った。
電車賃を考えたら割高ではあるけど、1作品800円で鑑賞できるというのは魅力的だと思う。
でも、それよりも魅力的なのは、上映後に監督や脚本家などによるティーチインが行われることだ。

さて、今日は『旅立ちの島唄~十五の春~』、『そこのみにて光輝く』、『ペコロスの母に会いに行く』という3作品を鑑賞した。
いずれの作品も上映時に観たいと思いつつ、観逃がしてしまっていた。ということで、1日券を購入しておいた。

バレーボールV・プレミア女子の試合経過も気になっていたけど、上映中は映画に没頭した。

3作品はそれぞれ色合いが異なっていたけど、だからこそ3本連続で観ることが出来たのかもしれない。

個々の作品についての感想はまた改めて書くことにします。

今日は

2015-03-21 22:11:45 | 前に進む
今日は土曜日。そして、春。なので、少しずつではあるけど後回しにしていた身の回りの片づけを始めた。

やり始めればたいしたことはないんだけど、すぐに手が止まってしまう。悪い癖だ。

でも、それを「ダメだ」と言って片付け自体を止めてしまっては、元も子もない。

固まってしまった心も、春の温かさと共にゆっくりと溶かしていけたらいい。

少しずつ、一歩ずつ、焦らずに。後戻りしてもいい。

そんな今日は、「春分の日」

心変わり

2015-03-15 21:41:38 | 前に進む
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がある。

ちょっとしたきっかけで、それまで好きだったものを嫌いになってしまうことって、結構ある。

今回は、別に嫌いになった訳ではないんだけど、気持ちが離れてしまった。


自分でもおもしろいなあと思う。


そんなことを思っていたら、片思いの相手からメールが届いていた。
かなり前に送ったメールの返事だった。

返事をくれるというのは、まだ脈があるということなのかな…

「どうせ」と言わないことに決めたので、少し時間をとって返事を考えてみることにしよう。

ぶらぶらと

2015-01-26 21:25:04 | 前に進む
旅行などでいつも暮らすところとは別の街を訪れると、ぶらぶらと街中を歩くのが楽しみだ。

先日も、バレーボール観戦のために神戸を訪れた際、三宮から神戸までアーケードを歩き、また新長田から西代という駅まで歩いた。姫路の会場に着いたのはゲーム開始ギリギリとなったけど、地元の店にふらっと入り、お店の方と他愛のない話をしたりするのは楽しい。そう、前日から兵庫に入ったけど、たまたま通りかかった揚げ物やさんに「こんなところに!」と思いハムカツを食べてしまったり(美味しかった)した。

学生時代を除き、ほぼ一人旅なので、仲間と話しながらということがないかわりに、見知らぬ人たちには声を掛けやすい。最近はあまりないけど、古くからある居酒屋さんでカウンターに並んだ方と意気投合したりというのもあった。ちょっと危ないなあと思ったこともあったけど、まあ、今のところは無事でいる。

海外は中国にしか行ったことがないけど、大連、北京、そして上海でも同じように1人でぶらぶらと街を歩いた。地元の人しか入らないような店にも入ったけど、変な対応をされることはなかった。さて、今、同じように歩けるかと言ったら少しだけ不安があるけど、それでもまた訪れ、歩いてみたい。そのためには、これ以上両国間の関係が悪化するのは避けてほしい。いや、そのために、こういう状況だからこそ訪れる意味があるのかもしれない。

自分にかかった靄がすこし晴れたら、スケジュールを考えてみよう。その前に、今度の週末に訪れる佐賀でも少し街歩きができたらと思う。

整理整頓

2015-01-21 23:36:05 | 前に進む
最近、冷蔵庫の中にものを溜め込まないことを心がけている。

中年のおじさんがすることではないのかもしれないけど、結構楽しい。先週末に留守をしている間、母の面倒を見るために妹の家族が来てくれていたけど、家に帰ると冷蔵庫の中に食材が残っていた。さっそくあれこれ考えながら食材を買い足し料理に変え始めた。

キャベツ丸ごと一つというのはなかなか消化するのが難しいと思っていたけど、前回はポトフをメインに、そして今回はお好み焼きをメインにメニューを組み立てている。先日テレビで紹介されていた豚肉とキャベツの蒸し煮にも挑戦してみよう。

そんなこんなで、冷蔵庫の整理に頭を使うことを、次の何かに応用できたらと思っているけど、それはなかなか思い浮かばないな…

20

2015-01-12 23:00:44 | 前に進む
新成人のみなさん、おめでとうございます。

みなさんは、1994年(平成6)4月2日から1995年(平成7)4月1日に生まれたんだね。
20年前、僕は社会人になって4年目を迎え、意気込みを持って仕事に取り組んでいました。自分で言うのもなんだけど…
でも、成人式を迎えたころ、大学に通っていた僕はダラダラとした日々を過ごしていたなって、今頃になって反省しています。

みなさんは僕よりもずっと真剣に日々を過ごしているだろうと思います。
「真剣」って言っても、企業に入って求められるような合理性とは違い、目指すところはどこかはわからなくても全速力で走っているような感じだろうか。ちょっと違うかな?

「結婚を前提としたお付き合い」じゃなくたって、好きになったらその相手に「好きだ!」と伝えよう。結果を仲間に笑われたって、そのことも自分を作っていく。そんなアドバイスを僕ももらえたら…なんて、今になってはもう遅いね。そう、だから、今の気持ちを大切に生きてほしい。言われなくてもわかってるかな…?

日本の世の中は急速に危うい気配が漂ってしまったけど、僕ら大人の責任が大きいと反省しています。でも、君たちだけでなく、もっと若い世代、そして、これから生まれてくる後輩たちに素敵な世の中を引き継ぎたいので、もう少し頑張ります。

今、君たちの周りにいる人たち、お父さんやお母さんたちご家族、職場や学校の仲間、友だちを大切に、これからも真剣に日々を過ごして下さい。
そして、もしも周りに誰もいなかったら、話を聴いてくれる人を見つけてほしい。

あと、もしお酒が飲めるなら…「成人おめでとう! 乾杯!!」

フーテンの

2015-01-10 22:35:00 | 前に進む
僕はすでに初詣を済ませているけど、母がまだなので近場でどこかへと思い、柴又の帝釈天に向かった。



お参りの後、有名な料理屋さんで鰻をいただいた。昨年1月に成田で食べた鰻はスーパーで売っているような硬いもので残念だったけど、今日はふっくらとした鰻らしい鰻だった。



多少贅沢な昼食だったのでゆっくりと食べていると、店内に獅子舞の方々が入ってこられ、舞を披露してくれた。獅子舞を間近で観るのはいつ以来だろう。確か、以前参加していたイベントが浅草で行われた際に…という記憶があるけど、それが正しい記憶かどうかが結構あいまいになっていて、それはそれで心配だ。



その後獅子舞は各席のお客さんを廻ってくれた。いつもなら食後すぐに店を後にするところだけど、獅子舞が廻ってきてくれるのを待っていた。なんだろう、贅沢な食事がさらに贅沢になった気がした。正月も7日を過ぎてしまうともう正月らしさも薄れてしまうので、こうした華やかなおもてなしは嬉しい。

店を出てしばらく歩いていたら、またおいしいものに誘われた。店先ではお母さんと娘さんと思われるお2人が甘酒などを供していた。食事の直後でなければ「もつ煮っ!」って言っていただろうけど、次にそそられた味噌田楽をいただいた。そう、もつ煮には日本酒だけど、今日は車で来ていたんだ。。



商店街をぶらぶら歩いていたらこんな似顔絵があった。帝釈天と言えば「寅さん」だ。



ここでも何度か書いたことがあるけれど、最近になってようやく寅さんの生き方が羨ましいと思えるようになった。足の向くまま気の向くままトランクを抱え全国を廻るテキ屋の寅さんが、たまにふらっと柴又に帰ってくる。そして、あちこちで恋に落ち、それは実ることがない。恋のくだりは僕のこれまでに重なるところが大きいというのもあるのかな。。

さて、僕自身はこれまで恋をして結ばれるということに縁がなかった。それは待っていれば訪れるものではなく、自ら望まなければ得られない。でも、好きな人が出来てもその先に進むことはない。もしかしたら、自由でいたいという気持ちが強すぎるのだろうか。

寅さんの似顔絵を見ながらそんなことをちょっと考え、そしてすぐに現実に戻った。

さて、今年は恋をすることができるだろうか。いや、恋心を持ち続けることができるだろうか。


カメよりも遅く

2015-01-08 21:56:56 | 前に進む
年が改まってもなかなか歩みが進まない。それって、速く歩きたくないという気持ちが反映しているからだろうか。
でも、こんな時間が人生のうちにあってもいいと思えた。今読んでいる本に気づかされた。

そうだよな。自分がどこに行きたいのか、心の中ではっきりしていない間は、歩幅を広げることもピッチを上げることも難しい。いや、無理をすると思わぬ場所に行きついてしまいそうだ。

ここ数年、いや、もっと前からそんな状態だったのかもしれない。まさに、今こんな時間が持てたことはよかったと思える。

今はただ、今できることと今までできなかったことに少しずつ取り組もう。そうすれば、その先に僕が行きたい場所が見えてくると信じて。
その歩みはカメよりも遅くとも、一歩ずつ進んでいけばいい。

そう、今読んでいる本についてはまた改めて書かせてもらいます。

学ぶ

2015-01-04 22:12:38 | 前に進む
子どもの頃から学ぶことに対してはあまり前向きではなかった。
だいたいの科目で「いかに要領よく覚えるか」ということを考え、実践していた。

高校入学祝いに「タイプライター」を買ってもらった。
今ではタイプライターを使っている人などほとんどいないだろう。いや、30年ほど前の当時でさえ僕以外に使っている人を見たことがなかった。

試験前になると英語の教科書に載っている文書をそのままタイプで打っていた。そうすると、教科書の内容を暗記することができた。
学内の試験ではこれが効力を発揮し、赤点や再試とは無縁だった…と思う。それでも、大学入試には通用しなかったな。

大学に入るとタイプライターを使うことはほとんどなくなり、今はもう持っているだけだ。
ところが、ひょんなことからタイプライターを使っていたことが役に立った。社会人になってすぐ、パソコンやワープロを使う仕事を任せられた。
その時、タイプ入力の際に身に着けた、ブラインドタッチによるローマ字入力が効果を発揮した。これをかな入力に応用することもできたが、今はローマ字入力だけにしている。

一昨日、正月2日の朝に『学ぶことの意味を探して ~神田一橋 通信制中学の歳月~』という番組を再放送していた。
実はこの番組を録画していたのだけど、慌ただしくしているうちに視ることができていなかったので、再放送はありがたかった。

番組は、中学に通えなかった高齢者のための通信教育中学校に通う方々の紹介を通じ、学ぶことの意味を考えていく内容だった。

紹介されたお2人は僕の母より若い方だったけれど、苦労されて学ぶことができず、改めてこの中学に通われていた。
確かに、僕の母は「恵まれていた」と言っていた。決して裕福ではなかったけれど、祖父母は娘4人、息子1人を高校まで出した。
その昔、子どもが学校に通うことができたかどうかは、家庭の経済事情が大きかっただろうけど、それとともに、兄弟の多さや、特に女の子に対しては「学問なんかいらない」といった偏見があったと思う。

番組で紹介されたお2人も、その当時は学校に行きたいという思いはあっただろう。それでも、状況がそれを許さず、今に至ったのだろう。
それでも、この学校に通う方々は改めて学ぶ機会を求められた。それぞれに生活があるから、学び続けることは子どもたちと比べたら相当難しいだろうけど、彼らは学び続け、卒業され、更に高校に進まれた。

若い時には、学ぶことは「やらされている」感じがしていたけど、今思えば「もっと勉強しておけばよかった」という思いが強い。
そして、この番組を視てからその思いは更に強くなった。

「勉強なんて押し込むくらいでいい」という意見もあるけど、僕は気づきながらの学びのほうがいいと思う。たとえ時間がかかろうとも、その過程を通じて学んだことを自分のものにできた方がいい。

そんなことを思いながら、今年は僕も学びのための時間を取りたいと思っている。