あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

去るもの、来るもの

2015-02-14 22:26:03 | 見上げる
ここ数日、JRのダイヤ改正に伴い廃止される夜行列車などの最終列車に乗るためのチケット、そして、金沢まで延伸される新幹線の開業一番列車のチケット争奪に関する話題が伝えられていた。

「トワイライトエクスプレス」の、あの落ち着いた深い緑色の車体と、旅情を誘う食堂車に憧れたころはある。ただ、大阪と札幌を結ぶ列車に縁はなく、また、一人で乗るには淋しさを感じるだろうと思い、乗ろうと思ったことはなかった。

一方、夏までは臨時列車として残るという「北斗星」には、以前一度乗ったことがある。当時勤めていた会社で札幌に出張した帰りに利用した。一人用個室でそれはそれで快適ではあったけど、息苦しさを感じてロビーのソファーに陣取り、映画『シコふんじゃった』を視ていたのを思い出す。夕食は札幌駅で購入した駅弁で済ませたものの、食堂車の雰囲気を味わいたいと、パブタイムを利用しお酒とおつまみをいただいた。

越後湯沢と金沢を北越急行経由で結んでいた「はくたか」には、15年ほど前と昨年の2度乗車したことがある。ほくほく線内での160km/h運転が真っ先に思い浮かぶけど、快適な列車だった。そう、昨年黒部に行った時に長岡から「北越」を利用した。リニューアルを重ねたとはいえ国鉄時代の電車で、今思うと昔々に乗った上越線の「とき」や房総特急(これも大幅に削減されるようだけど…)の雰囲気に似ていた。

子どものころは自由に使えるお金が少なく、今で言う「乗り鉄」なんて首都圏が精いっぱいだった。一方、社会人になってからしばらくは鉄道旅行をしていたけど、飛行機を利用するようになると東京から大阪までの新幹線すら長い道のりに感じてしまっている。まあ、前後のアクセスや搭乗手続きなどを考えると新幹線のほうが便利ではあるけど…

そんな感じなので、こうした切符争奪戦を冷めた目で見てしまう。廃止される列車には「なぜもっと早く乗らなかったのか」と、また新たに登場する列車には「いつでも乗れるじゃないか」と思ってします。彼らが目指すのはメモリアル列車であることはわかっているけど。。

東北・上越新幹線が開通した1982年(昭和57)、多くの列車が廃止され、その姿を写真に収めようと友人と上野駅や両国駅を訪れ、シャッターを切った。でも、その時に感じたのは同じく写真を撮りに集まった人たちの怒号の恐ろしさだった。それ以来、そうした場所に行くことは少なくなり、やがて行かなくなった。そう、先日東京駅で記念Suicaを求め集まった人たちが購入できなかったために大騒ぎを起こしたという件があったけど、テレビに映ったその光景に似たものだった。

自分の思い通りに行かないときって、いくらでもある。そんな時、人に当たったり、酒や食べ物で誤魔化したり、内に籠ったりとさまざまな対応がある。そして、自分を見失ってしまう時がある。でも、そこを何とか踏みとどまらないと、他人を傷つけてしまうことにつながる。殴るまで行ってしまうと論外だけど、罵声を浴びせるのも暴力の範疇であり、非難されるべきものだと思う。

3月のダイヤ改正前後にはまたこうした光景が見られるだろうけど、その時、ちょっとし心遣いや譲り合いで、笑顔で去るものを送り、来るものを迎えてほしいと願う。

少しでも

2015-02-09 23:26:00 | 見上げる
内藤正典氏の『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』を読み終えた。非常に興味深い内容だったので、本を開けば比較的速く読み進めることができたけれど、読書に充てる時間を十分に取らなかったので、思ったよりも時間がかかってしまった。

自称イスラム国による2人の日本人殺人事件について、先週の国会では、政府による対応について瑕疵がなかったかという野党の質問に対して、安倍首相はじめ政府は「テロには屈しない」という言葉がまるで免罪符のように使われている印象を受ける。

テロにより問題解決を図るというのは許されないことではある。しかしながら、歴史上の政変、例えば「明治維新」は江戸幕府に対するテロだったと言うこともできるだろうし、「アメリカ独立戦争」はイギリスによる植民地統治に対するテロなのかもしれない。「大化の改新」、「フランス革命」…と、いくらでも例を挙げることが可能だ。それらが「テロ」と言われなかったのは、ただ単にその言葉がなかったからというのではなく、「勝者が歴史をつくる」という古来からの習わし(?)によるものだろう。

テロという手段は許せないものの、そこに至った経緯については考えなければならない。もちろん、そうした経緯の全てまたは一部にテロを起こす側が単に自分たちの利益だけを考えてのものというのもあるだろう。一方で、自分たちの仲間を救うためにやむにやまれずというものもあるだろう。自称イスラム国がどちらかという判断は難しいけど、だからといって一方的に爆撃をするという方法が恒久的な解決に繋がるとは到底思えない。

この本を読み終えて、殺された2人を助ける術はあったのだろうと改めて思った。自称イスラム国側がたとえ残酷な人質の殺害を繰り返しているとはいえ、他国の人質の中には助かった人たちもいる。その差が何だったのかというのは今後の検証により明らかになるのだろうか。政府は「特定機密に該当する」というのを理由として全てを明らかにすることなく、また都合の悪いことは隠すのだろうことが、やはり先週の国会での質疑から見えてくる。

それでも、すでに一部の外国メディアから情報が流れてきている。日本国内のマスコミ(特に大手)にそれを期待するのは難しいものの、そうした情報が流れてくることを歓迎したい。残念ながら人質2人が殺されてしまった今、この間の経緯が明らかになって困る(のではないか…)のは政府だけだろうから。そして、それを知ることによって、政府が進めようとしている緊急時の武力行使が有効な手段なのかを僕らは判断しなければならない。

それでも、この国の大半の人たちには真実は届かないのだろう。ここ数日で発表された世論調査の結果では、この事件を機に内閣支持率が上がっているという。マスコミによる世論操作を疑いたくなるけど、特に意識を持っていなければ「テロには屈しない」と勇ましく言う首相を支持するのだろう。いや、そこに至るまでにはマスコミの情報操作があることは否めない。

いま必要なことは、憎悪と暴力の連鎖を断つことだ。そして、そのためには少しでもお互いを理解し合うことが求められる。世論調査で「わからない」という答えがあるけど、民主主義国でそう答えることは許されないと言ったら、それは言い過ぎだろうか。

そんなことを考えていたら、以前古本屋さんで手に入れ読んだ『オスマン帝国』という本を読み返してみようと思った。とりあえず、現在日本が抱えているもう一つの問題に関する本を読み終えてから。

後悔

2015-02-01 22:37:55 | 見上げる
昨日、今日と、バレーボール観戦に佐賀市まで行っていた。

応援している久光製薬スプリングスは、昨日はフルセットの末にデンソーエアリービーズに競り勝ったものの、今日は岡山シーガルズに対し1:3で試合を落とした。

空港行きのバスの出発時刻が迫っていたので、試合終了後すぐに会場をあとにしたけれど、バスの中でも飛行機の中でも、何かスッキリしなかった。そして、帰りのモノレールに乗りながら、それがなぜなのかに気づいた。そしてそれは、応援しているチームが負けたからではない。

昨年1月、神戸での試合前に選手の皆さん全員によるサイン会への参加券を抽選で手に入れたにも拘わらず、前日の姫路に続き連敗した皆さんに何を言えばいいのかわからなくなり、他のファンの方にその権利を譲ってしまった。辛いのは選手の皆さんであって、そんな時にも温かい言葉をかけたり、若しくは叱咤激励をするのがファンなのだと、その後しばらくして思えた。「あの時はファン歴が浅かったから」というのは言い訳にはならないけど。。

今期は今日で5試合目の観戦となるけど、負け試合を観戦するのは初めてだ。それは、このチームが今日の時点で13勝2敗と断トツに強いからだ。

負けはしたけど、今日も選手の皆さんは精一杯闘っていた。いや、いつだって精一杯闘っているけど、それでも負けてしまった今日こそ、温かく見送ってあげるべきではなかったか。勝ったときに笑顔で喜ぶことは、極端に言えば誰でもできる。でも、こんな日は静かに、でも笑顔で手を振ってバスに乗る彼女たちを見送ってあげたかった。

出費はかさむけど、タクシーを飛ばせば間に合ったかもしれない。飛行機に乗れなければ最終の新幹線だってある。それが頭の中にあったのに、勘定を優先してしまった。それが、今もスッキリしない理由だ。

次に負けることを考えるのもファンとしてはあり得ないから、次に行くひたちなかでは精一杯応援しよう。

備え

2015-01-29 23:16:50 | 見上げる
今日は寒かった。それでも、日中は日差しを浴びると暖かさを感じられた。ところが、明日は雪になるという。

昨年、雪かきををしていたら腰を痛めてしまった。その反省もあり、先日ホームセンターに行った際に雪かき用のスコップを買った。プラスチック製のそれは従来の鉄製スコップと比べて軽いものの、より多くの雪を掬うことが出来るので、その分重くなり、結局同じような危険性がありそうだ。ということで、物置にしまっておいたスコップを玄関の中に移した。

雪は5センチほど積もるという。午後からは雨になるという予報だけど、雪かきが必要かどうかは早めに判断したほうがいい。そして、必要な場合は早めに雪かきを始めれば、多めの雪を掬うような無理をしなくてもいい。

去年の大雪ほどではないだろうけど、事故やけがなどがないよう祈ろう。

とにかく

2015-01-25 22:31:19 | 見上げる
今朝の朝刊に、イスラム国により人質とされた日本人2名のうち、湯川遥菜氏が殺害されたのではないかという記事が掲載されていた。そして、断片的にではあるけどその後の報道を見たところでは、それを否定する材料に乏しいという。つまり、彼が殺害されたとみられるということだそうだ。

彼がどのような目的で紛争地域に行き、またどのような経緯でイスラム国に捕らえられたのかは詳しく知らない。そして、今も頭の片隅に「自己責任」という言葉が浮かぶ。けれども、彼が現地の人々の命を奪うために行ったということでないなら、彼の命が奪われるのは理不尽である。そうした観点から、湯川氏がイスラム国によって殺害されたとしたら、最も罪を問われるべきはイスラム国において彼の殺害を指示した人物だということは揺るぎない。

しかしながら、後藤健二氏についてはわからないけど、少なくとも湯川氏がイスラム国に捕らえられているという状況の中で、総理大臣が紛争地域に出向き行った発言や行為がイスラム国に対し事件の動機を与えたとも言える。現総理大臣に慎重さを求めるのは難しいけど、側近が彼を諫めることはできなかったのだろうか。まあ、官房長官はもとより、彼の周りにいるお友達にそれを期待することはもっと難しい。

ただ、そんな批判ばかり言っていても仕方ない。政府には2人が無事に解放されるよう尽力してほしい。

行き止まり

2015-01-24 23:11:00 | 見上げる
最近、いろいろとトライをしてみるものの、なかなか思うように行かない。

そもそもが逃げ出す方が多かった人生だけど、逃げ続けるわけにはいかない。それはわかっているのに、一度逃げ出すと逃げ続けなければならない状況に自らを追い込んでしまう。

今日また、いろいろと言い訳を考えながら、やらなければならない事から逃げてしまったな。でも、やりたいことはあるし、それをやるために手を付けたこともある。

とりとめなく考えを巡らしたところで、先に進むのは時計くらいなものだろう。なので、今日はそろそろ眠りについて、明日仕切り直そう。

臨時ニュースに思う

2015-01-20 21:41:13 | 見上げる
夕方になって、イスラム国による日本国に対する身代金要求に関するニュースが飛び込んできた。突然のニュースだったけど、正直「来るべき時が来た」という思いがした。

拘束された日本人が殺されずに解放されることを願っているものの、彼らが相当なリスクを負って彼の地に向かったのだろうから、その尻拭いを国がする必要があるのかという疑問はある。

そもそも、彼ら自身以外に彼らを守るべきは誰なのだろう。日本国にその責任があるというのは理念的にはわかるけど、統治が及ばない地域において自国民を保護するというのは、現状で大使館が有している機能で十分ではないか。その地域にいる人を守るのは、あくまでもその地域を統治している主体(政府など)だろう。

逆に言えば、どのようなルーツを持つ人であっても日本にいる人たちの安全は日本の政府なり行政なりが守るべきだと思う。そういう観点から、いわゆる「ヘイトスピーチ」などが放置されている状況も問題だと思う。そうした当たり前のことをこの国はやっているだろうか。

結局、人を守るのは武力や暴力ではなく、相手との信頼関係なのだろう。だとしたら、2人の人質を解放するためイスラム国に対しどのようにアプローチすべきかが浮かんでくるだろうか。簡単ではないけど、72時間を有効に使って取り組んでほしい。

明日

2015-01-16 22:10:00 | 見上げる


明日は応援しているバレーボールチームのホームゲームが姫路で開催されるので、観戦しようと思っていた。そして明日は阪神淡路大震災から20年の節目を迎える。たまたま時間ができたので、前日の今日から神戸に入ることにした。

前日に入って何ができるか、何をしたいかということはないけど、明日、早く起きることかできたら、東遊園地に行きたいと思っている。慰霊はもちろんだけど、お手伝いすることができたらとも思う。

5年前の1月17日にも東遊園地を訪れた。震災が起きた当時何もできなかったので、そうした後ろめたさが僕自身を神戸に向かわせたのだろう。そして、行ってよかった。

明日も何ができるという訳ではないけど、その場に身を置くことで何かを感じられたらと思う。

図書館にて

2015-01-07 21:01:58 | 見上げる
家での学習はなかなか捗らないからと、図書館に行った。

隣の区の図書館は散歩道(最近サボっているけど…)の途中にあるけれど、利用したことはなかった。館内に入ると多くの人が利用されていて、入試前の学生と思われる若者が多い中、僕のような年代の方々もいらしていて、そんな中、ようやく席を確保した。

賑やかに走り回る子どもたちや新聞をガサガサと読む男性などに囲まれながらも、家にいるよりはかなり集中して教科書を読み進めることができた。ただ、窓際だったからか足元が冷えてしまい、予定していたよりも早めに家に戻った。

ところで、最後に図書館で本を借りたのは何年前だろうか。レンタルビデオも同様に、正直なところ「借りる」ということに抵抗がある。気心のしれた人との間での貸し借りには抵抗がないんだけど、貸したものが戻ってこないということもごく稀にあるので、それは頭の片隅に置いている。

そんなことで、家にはほどほどの書籍がある。古書として売ることや単に捨ててしまうことも考えてみるものの、いざとなると踏ん切りがつかない。だから部屋の片づけが進まないんだよな…

こじんまりした店舗でも借りて、壁の大半を書棚にして自宅の本を並べ、ゆったりとした時間を提供するようなことができればなあと、夢のようなことを考えてみる。

アンバランス

2015-01-05 22:38:08 | 見上げる
ここ数年、世の中がどこかアンバランスになっているような気がする。

「アベノミクス」と言われる経済政策は、大企業や金融業、不動産業などには恩恵をもたらしているようだけど、中小企業や地方にはその効果は波及していないと言う。首相は「アベノミクスの成果の果実を地方へ」という言葉を述べているが、彼らが目指している税制改正を含め、強いものをより強くする政策は中小企業や地方を元気にすることとは正反対を目指しているものであり、それを望むのは砂漠で雨乞いするようなものだと思う。

原油安で一息つけると思った昨年10月末、日銀の黒田総裁は金融緩和を発表した。「原油安が物価上昇率2%の目標達成を阻害する」というのが理由だったと思う。ところが、更に原油安が進んだ時に「もう一発バズーカを打つのか」と思っていたけれど、経済界が原油安を歓迎するムードがあったからだろうか、それは行われなかった。

本来ならばその際、マスコミは昨年10月の金融緩和が必要だったのかについて黒田総裁に問うべきではなかっただろうか。我々一人ひとりが尋ねに行く代わりに彼らが存在しているのだろうに、そんな疑問もわかないのだろうか。まあ、先日書いたように彼らマスコミもアベノミクスなど現政権による一連の経済政策を応援している状況ならば、それも難しいんだろうな。

だとしたら、僕らはマーケットとは距離を置くことで生活を守るしかないのだろうか。それは、廻り回って自分の首を絞めることになるけど。
いや、そう思っている時点で既にマーケットに取り込まれているのかもしれない。。

状況を受け入れるのではなく、どこに希望があるのか探し続けよう。きっとどこかに、社会のアンバランスを解消する術がある。