あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

月に願いを

2014-09-10 08:26:00 | 見上げる


最近空を見上げることが少なくなった。そう感じるときは、物事がうまくいかなかったりするときだ。確かに、今年に入ってからいいことがあまりない。

それでも昨夜は「スーパームーン」だというのでバルコニーから空を見上げてみた。 テレビで映すように大きくは見えないけど、いつもより少し輝きを増しているように感じた。

この月が照らす地球は輝いているだろうか。人々は輝いているだろうか。月に照らされるように、人は人によって照らされる。それは、こうして文字にするほど簡単なものではない。それでも、そんな世の中に憧れる。

俯いていては気付かないことがたくさんある。そのうち一つでも見つけられたらと願い、今夜も空を見上げてみよう。雨? それでもいい。

いつか

2014-06-05 23:09:29 | 見上げる
初めて四国に行ったのは7年前、四万十川を見に高知へと向かった。川の中流からレンタサイクルに乗り、途中民宿に泊まり、河口近くの街まで向かった。素朴さが魅力のその宿を再び訪れてみたいのだけど、「結婚したらお嫁さんと一緒においで」というおかみさんの一言が引っ掛かり(少しだけだけど…)、その後、香川には行くものの、四万十のその宿には伺えていない。

さて、いまだに脚の調子が良くないのだけど、いつかは四国八十八ヶ所巡りをしたい。歩いて回るのが理想だけど、費用などを考えると車で回るのがいいのだろう。要は気持ちだそうなので、その気持ちを忘れずに歩こう。

なら、今年からでも始められないだろうか。家からの往復を車でとなるときついかな? レンタカーとなると、往復の航空券も含めて出費が嵩む…と、信心よりも算段の方が先にたってしまう。

もう少し時間とお金に余裕ができたら、きっと信心もしっかり持てるだろう。だから今は焦らず、もう少し考えてみよう。

こどもの日

2014-05-05 22:45:00 | 見上げる
今年もまた親になることなくこの日を迎えた。

親になれないのではなく、実は親になりたくないのかもしれないなと、最近思うようになった。他人の子に微笑んでいるだけで心地よく、それから先に進まなくてもいいと、心の奥で思っているんじゃないかと。

先日録画した「あさイチ」の子どもの貧困特集を見ながら、子どもについて考えてみた。

日本で貧富の差が広がっていると言われだしてからずいぶん経つ。「努力した人が報われるように」という成果主義は全否定はできないものの、その行き過ぎはどこかで歯止めがかけられなければならないと思う。目立つ成果にばかり注目が集まり、日々の基本的なことが疎かになってしまうのではないか。そして何より、少なくともそこで生まれた貧富の差が子どもに引き継がれるというのはあってはならない。

僕は早くに父を亡くし、母は遺された3人の子どもを女手ひとつで育ててくれた。幸い、母方の祖父母や父、母の兄弟による援助もあり、何とか人並みの生活を送ることができた。それでも、様々なことに消極的で、それは今もあまり変わらない。

高校を出て働きに出たいと思ったものの、就職先はほとんどなく、無利子の奨学金を借りながら大学に行くことにした。でも、奨学金の申請から支給が決定するまでの間は「借りれなかったらどうしよう…」と、相当なストレスを感じた。

幸い、奨学金を借りることができ、またバブル終盤で何とか就職することもできたので、返済を滞らせることはなかった。今となっては、僕の経験は苦労などとは言えないだろう。それでも、子どもたちに同じような経験はさせたくない。

では、そのために僕ができることはなんだろう。例えば、母子家庭で苦しい生活を送る親子の父親になるというのもあるのかもしれない。そのために結婚するということには様々な抵抗があるだろうけど。。

「あさイチ」では、貧困世帯の子どもたちに対する地域での取り組みを紹介していた。学生アルバイトを雇っての学習指導や、一緒に食事をとるなど、大所高所からではない取り組みは、独り者の僕でも協力できそうだ。根本的な解決も忘れてはいけないけど、まずはそんなところから何かを始めてみようか。

まあ、お父さんにはなれないかもしれないけど、あしながおじさんにはなれるかな? そのときは、陽がだいぶ傾いてから現れよう。そうすれば、この短い足も少し長い影をつくることができるだろうから。

父の命日

2014-02-17 19:04:51 | 見上げる
今日は38回目の父の命日。お供え物は昨日、鎌倉で買ってきたので、今日はまっすぐ家に向かう。

父が亡くなったのは47歳のときだった。生まれつき心臓が弱く、そのために戦争には行かずに済んだのだろうか。お陰で兄と妹、そして僕がこの世に生を受けることができた。

あの日の記憶はもう微かにしか残っていない。早く逝ってしまったと、あの頃は思っていたけど、父の兄弟ももう一人しか残っていない。

来年は父の歳に追い付く。だけど、僕はいまだに父になることができない。その点ではこれからも父に追い付くことはできないだろう。兄と妹には子どもがいるので、父と母の命は受け継がれていく。僕はそろそろ、人生の終い方を考え始めなければと、最近思っている。

まあ、それはもうちょっと先のことなので、今週末はどこかに飲みにでも行こうかな…

踏み切る

2013-04-11 08:18:35 | 見上げる


今朝、窓を開けると雨が降っていて、それを理由に散歩をサボってしまった。だからだろうか、からだが少し鈍っている感じがする。

転職したのを機に定期的に運動でもしようと思いつつ、重い腰を上げるところまでいかないでいる。辛うじてサボりながらも朝の散歩を続けているくらいでは「運動している」のカテゴリーには入れてもらえない。

チームスポーツはなかなか難しいので、水泳などから始めてみよう。それと、後々仕事に関係してくるゴルフも。

その前に、週末はどこかぶらぶら歩いてみよう。ハイキングでもいいし、街歩きでもいい。外の空気をおもいっきり吸い、存分に春を味わいたい。

初夢

2013-01-02 22:27:33 | 見上げる
初詣に歩いて行ったからだろうか、昨夜はぐっすり眠った。そして、初夢を見た。それって、何年振りだろう…

前段の流れを忘れてしまったが、どこの街だかはわからないのだけど中国のホテルに泊まっていて、なぜか1階のベッドがない部屋に泊まることになった。そして、ベッドをどうするか話をしている間に目が覚めた。

一昨年に続き昨年も海外に行きたいと思っていたけど、叶わなかった。だから、今年こそは行きたい。そして、昨年末に会った友だちに「今度遊びに行くよ!」と言ったので、後には引けない…って、まあ、その前から遊びに行こうと思いながらガイドブックを買って予習していたので…

さて、今日は今年の夢を叶えるきっかけを掴むためにあちこち歩き回っていた。今日得たものを紡ぐところまではまだ行っていないけど、糸口は見えてきたと思う。だから、このチャンスをしっかり掴みたい。

2012.03.11

2012-03-11 23:32:25 | 見上げる
東日本大震災から1年が経過した。

あの日、僕は奈良を旅行していた。年度末にまとまった休みを取ることになり、東大寺の修二会(お水取り)を観に行った。そして、その日は朝早くから法隆寺、中宮寺、薬師寺、唐招提寺、そして平城宮跡を巡っていた。そして、大阪のNHKで開催されていた『てっぱん』のセット公開を見ようと、大和西大寺という駅に向かって歩いていた。

駅に着くと、タクシーの運転手さんが「東京で地震があった」と話しているのを聞き、胸騒ぎを覚えた。その地でも電信柱が揺れていた。駅の構内に入り、モニターに映るニュース映像を見ながら、ようやく家にいる母と連絡が取れた。「怖かった」という言葉に地震の大きさを思ったが、感覚としてはわからなかった。

その後、大阪のNHKに着き、モニターに映し出された八戸市の様子をずっと見ていた。ただ、ゆっくりとした映像に「大半の人は避難できたのではないか」と思ったが、翌朝のニュースで認識の甘さを思い知った。

あれから1年。僕は何をしてきて、何をしてこなかったのだろう。それは、この1年間常に頭の片隅にあり、小さくなることはなかった。そして、今日を迎えた。



午前中、日比谷公園で開催されていた『Perce On Earth』というイベントを訪れた。ボランティア仲間が参加するイベントで、仲間たちが元気にイベントを支えていた。彼らの多くは昨日もあの寒さの中参加していた。イベントにとっても、仲間たちにとっても、今日の天気は良かったと思う。ただ、夕刻の雨は辛かっただろう…



ちょうど昼時だったので、小盛りのカレーライスとシチューを食べていた。すると、目の前に僕より一回り以上(と思う)上の女性が座った。いつもの癖で場を和やかにしようと話しかけたら、原子力発電所について以前から反対の気持ちを表明し活動しているが、「もう駄目だ」という気持ちが強いという。あれこれ問答しながら、僕も原子力発電所が止まらない歯痒さを募らせた。



その後、仲間の一人が中心となって開催していた、ろうそくづくりのワークショップに参加した。ろうそくづくりは初めてだったが、芯を融けたろうに漬け、引きだし、ろうが乾いてからまた漬けるというのを繰り返しながら、その時間を楽しんだ。

多くのアーティストらが参加する場や賑やかだった。その時間をこの場所で迎えてもいいかなと思いつつ、会場を後にし歩き出した。



東京国際フォーラムのガラス棟の内部に入ったのは何年振りだろう…なんて、そんなことを考えながら骨組みを見上げた。少し前を歩いていた2~3歳くらいの女の子も見上げていた。



東神田でこんな粋な植木鉢を見つけた。江戸を感じる。



1時間余りかけて辿り着いたのは、外神田にある 3331 Arts Chiyoda という場所だった。ここで今日から25日(日)まで開催されている『つくることが生きること 東日本大震災復興支援プロジェクト展』を見に行った。

仮設住宅の作り方に対する提言などもあれば、被災された方々との繋がりを実感するワークショップなどもあった。小さな会場だったが、多様性に富んでいて面白いと思った。



石巻市桃浦地区という場所で活動をおこなっているユイノハマプロジェクトや、今回クローズアップされた、津波に流された写真を再生するプロジェクトを展開する富士フイルムの取り組み、そして、いわき復興モヤモヤ会議といった企画を行っている藤浩志さんの話をなどを興味深く聞いた。



そして、その藤さんによる「モヤモヤ会議」がこの場所で行われるというので参加した。他己紹介から始まり、さまざまな切り口で論議が進んだ。だが、もっとも関心が高いのは原子力発電に対することで、僕も2回発言させてもらった。



さまざまな取り組みをリアルに知ることができるという意味で、僕には昼間のイベントより興味深いものだった。だが、著名人が集まり意見表明するという意味はものすごいパワーを持っていて、否定するものではない。

一人ひとりがそれぞれ今できること、やりたいことをやる。それがまとまった力になればいいのだろうが、人はともかく、自分はそういう考え方で進んでいければと思う。

黙祷の際、亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、命を繋ぎとめた人たちがこれ以上の苦労をされることがないよう願った。願うだけでなく、そのための力になれればと思う。






久しからず…

2012-02-18 21:50:22 | 見上げる
『平清盛 天皇に翻弄された平氏一族』という本を読んだ。

大河ドラマ『平清盛』を見ながら、日本史を勉強していなかった学生時代を後悔している。彼の名を学んでいたにも関わらず、彼がいつの時代に活躍したのかを全く覚えていなかった。源平合戦というのが、誰と誰が戦をしたのかもピンとこない。源氏についてもあまりよく知らない。本当に何を勉強していたんだか…

ただ、「奢れる平家は久しからず」という言葉のイメージは頭の片隅に微かに引っかかっている。その言葉から平家のことを、横暴な独裁者というイメージで捕えていた。そんな中、大河ドラマをきっかけに、平清盛という人について知りたいと思っていた。

読み始めるとすぐに、平清盛という人の魅力に引きこまれた。もちろん、大河ドラマを見ているからというのもあるが、源氏との比較においてもその魅力が増していった。武家としてのイメージが強い源氏に対し、平氏は武士であるとともに、天皇家や貴族が支配する世を、彼らのルールに従い出世を果たしていった。短期間で会ったが平清盛がこの国を治めた期間を、最初の武家政権であったと同時に最後の貴族政権と捉えていたが、歴史をしっかり覚えていない僕にもしっくりくる説明だった。

ふと、中華人民共和国の初代首相である周恩来氏のイメージが重なった。天皇家や貴族による退廃した政治を革命的に変えるのではなく、彼らに仕える形を取りつつ、蓄積した武力や財力を武器に民衆の生活を守ろうとしたということがただしいとすれば、文化大革命など、毛沢東氏や四人組による乱世に対し、表面的に彼らに従いつつ、民衆を守ろうと苦労した姿とダブる。

僕自身、数年前までは仕事に対し大きな変化が必要だと考えていた。それは今も変わってはいないが、それが絶対必要であるというスタンスではなくなっている。大きな変化を望むとすると、必ずと言っていいほど大きな抵抗を受ける。それが力と力の対立となってしまったとして、大きな変化を望む側が負けてしまったら、何の成果も得られない。だったら、多少の妥協を伴ったとしても、緩やかな変化の方が望ましいのかもしれない。

平氏の行き方は、さまざまな面で今の世の中に対する示唆に富むものだと感じた。そして、今後の大河ドラマの展開が寄り楽しみになった。そして、変化に対する自分の思いを踏まえ、今なにをすべきかについて考えてみよう。

思いを伝える…

2012-02-05 21:41:20 | 見上げる
今日は渋谷のParco Musiumで開催されている「大宮エリー 思いを伝えるということ展」に行った。

最近、深夜ドラマの「デカ黒川鈴木」にハマっている。板尾創路さんの飄々とした演技と、田辺誠一さんのボケっぷり、そして、鶴田真由さんのズレた感じがいい。そのドラマの脚本を担当しているのが大宮エリーさんだ。彼女の名前は数年前から知ってはいたものの、彼女の作品に触れる機会はなかった。そんな時にこの展示会のことを知った。

会場に入ると、「思いを伝えること」の大切さが込められた言葉が並び、また、造形がその言葉を膨らませる。その展示を見ているうちに、「自分はこれまできちんと自分の言葉で思いを伝えていただろうか…」と自分自身に問いかけると共に、ドラマのイメージがいっぺんに吹き飛び、心を抉られるような感覚に陥った。そこに綴られている言葉は、今までの僕にそのまま当てはまる。

「思いが実を結ばなかったらどうしよう」とか、「相手が嫌な思いをしないだろうか」とかあれこれ考えるが、それは全て「傷つきたくない」と「億劫だ」という自分の思いから生まれるものだということをわかっていつつ、そこから抜け出せない。いや、結局は本気で人を好きになったことがないのかもしれない。



砂の上に瓶が並んでいた。そこに書かれた思いを読み、また自分の思いを書いて瓶に詰めることもできるというので、自分の気持ちを文字にして丸めて瓶に詰めてみた。僕の言葉を読んだ誰かがどのような思いを持つのかはわからない。でも、言葉ってそんなものなのかもしれない。誰かに思いを伝えるのも同じで、どのような思いを持つのかなんて伝える前からわかるわけでもないし、伝えなければ何も始まらない。そして、その次へも行けない。だいたい、その人を思っての言葉に、相手を傷つける要素などないだろうに。

会場の出口に掲げられた言葉を読んでいたら、涙が溢れて来た。入ってからはどこで泣いてもおかしくないくらいだったが、周りに人がいるのも気にせずに心に任せた。建て前ではなく、自分の気持ちのままに…



会場でのみ売られている本を買い求めた。展示された言葉と繋がるエッセイが掲載されている。まだまったく読めていないが、ゆっくり楽しみたい。そう、巻末には大宮さんと谷川俊太郎さんとの対談も載っている。

ところで、この本を読み終えたら自分の思いを伝えることができるようになるだろうか。まあ、まずは読んでから…




春節…

2012-02-02 23:38:58 | 見上げる
今日は午後休みを取った。仕事が捗らず、休まず続けようかとも思ったが、こんなときは休んでしまった方がいいと思い、お昼を少し回ったところで職場を後にした。で、久しぶりに中華街に向かった。



ちょうど春節の期間ということもあり賑わいを期待していたが、それほどでもなかった。そうは言ってもいつもそこそこの賑わいはあり、今日も修学旅行生をはじめ人々が集まっていた。



お昼を少し過ぎていたが、今日は少し美味しいものを食べようと思い、あちこち歩き回った。だが、どこもかしこも「ランチセット」や「食べ放題」などを看板に掲げていて、それが却って入る気を殺ぐ。そのうちに関帝廟にたどり着き、お参りをした。お線香をあげた後に本堂に入り、あれこれお祈りをしてみたが、欲張りすぎたかもしれない。



で、メインストリートから少し入ったところでこの店を見つけた。見るからに地味だが、そこそこ人が入っていたので、少しチャレンジ意欲も働き、扉を引いた。



温かな印象を感じ、ひとまず外れは引かなかったと安心した。あれこれ迷った後、「豚ばら飯」と「シュウマイ」を頼んだ。

初めに出されたのは豚ばら飯の方だった。で、そのボリュームに驚いた。味付けは絶品とまではいかないものの、とろっとした豚の脂身…と言っても、油っぽさはあまり残っていない…の食感を楽しんだ。



やや遅れてシュウマイが運ばれてきた。肉の味がしっかりしたところは好き嫌いが別れそうだが、僕はこの味を気に行った。で、お土産も買ってしまった。



次に春節の時期に来る時には、初日かもしくは夜に来よう。そう思いながらチャイナタウンの駅を後にした。