親になれないのではなく、実は親になりたくないのかもしれないなと、最近思うようになった。他人の子に微笑んでいるだけで心地よく、それから先に進まなくてもいいと、心の奥で思っているんじゃないかと。
先日録画した「あさイチ」の子どもの貧困特集を見ながら、子どもについて考えてみた。
日本で貧富の差が広がっていると言われだしてからずいぶん経つ。「努力した人が報われるように」という成果主義は全否定はできないものの、その行き過ぎはどこかで歯止めがかけられなければならないと思う。目立つ成果にばかり注目が集まり、日々の基本的なことが疎かになってしまうのではないか。そして何より、少なくともそこで生まれた貧富の差が子どもに引き継がれるというのはあってはならない。
僕は早くに父を亡くし、母は遺された3人の子どもを女手ひとつで育ててくれた。幸い、母方の祖父母や父、母の兄弟による援助もあり、何とか人並みの生活を送ることができた。それでも、様々なことに消極的で、それは今もあまり変わらない。
高校を出て働きに出たいと思ったものの、就職先はほとんどなく、無利子の奨学金を借りながら大学に行くことにした。でも、奨学金の申請から支給が決定するまでの間は「借りれなかったらどうしよう…」と、相当なストレスを感じた。
幸い、奨学金を借りることができ、またバブル終盤で何とか就職することもできたので、返済を滞らせることはなかった。今となっては、僕の経験は苦労などとは言えないだろう。それでも、子どもたちに同じような経験はさせたくない。
では、そのために僕ができることはなんだろう。例えば、母子家庭で苦しい生活を送る親子の父親になるというのもあるのかもしれない。そのために結婚するということには様々な抵抗があるだろうけど。。
「あさイチ」では、貧困世帯の子どもたちに対する地域での取り組みを紹介していた。学生アルバイトを雇っての学習指導や、一緒に食事をとるなど、大所高所からではない取り組みは、独り者の僕でも協力できそうだ。根本的な解決も忘れてはいけないけど、まずはそんなところから何かを始めてみようか。
まあ、お父さんにはなれないかもしれないけど、あしながおじさんにはなれるかな? そのときは、陽がだいぶ傾いてから現れよう。そうすれば、この短い足も少し長い影をつくることができるだろうから。