しばらくブログの記事を更新していなかった。
書きたいことがなかった…なんてことはなくて、書きたいことはいくつもあったものの、ついつい億劫になっていた。
そんなことは今までもあったけど、このままフェードアウトしようとは思っていなかった。
そして「書きたい」と思った理由は今回の読書にある。
瀬尾まいこさんの「夜明けのすべて」を読んだ。
昨年の本屋大賞を受賞された「そして、バトンは渡された」を受賞前に読んでから少し間が開いたけど、瀬尾さんのペースで書き続けてもらえたらいいし、その間が素敵な作品を生み出しているのだとも思う。
来年のダイアリーを購入しに書店に行ったとき、店頭にこの本を見つけて迷わず買い物かごに入れた。自分では彼女の作品のファンだと思っているものの、事前に作品の情報を取りに行くこともなく、彼女の本と出会うのはいつもこのパターンだ。でも、それはむしろ嬉しい。
帯に「パニック障害にPMS(月経前症候群)。人生は思っていたより厳しいけれど、救いだってそこら中にある。暗闇に光が差し込む、温かな物語。」とあって、すぐにでも読み進めたいところだったけど、次の旅行に持っていこうと思いひと月も経ってしまった。
流行り病が再び猛威を振るいだし、旅行は諦めたけど、日帰りの小旅行に持っていくことにして、新幹線ではなく各駅停車に乗り読み始めた。
社員6人の小さな金物卸の会社。社長の栗田さんはじめ他の仲間はみな壮年という職場で、二人の若者、藤沢さんと山添くんが働いている。
二人とも、この職場ののんびりした空気に支えられ、自分のペースで働いているけれど、何かの拍子に体調を崩してしまうことがある。互いに相手と合わないと思いながらも、ふとしたきっかけで互いを理解しようとしていく。そして、そんな若者を職場の仲間が温かく支えている。
二人が互いを思い行動を始めてからの、なんとなく唐突な行動。そのフットワークの軽さというか、何かを超えていこうとする瞬間を、瀬尾さんは軽やかな中に愛情を込めて描かれている。その描写に笑いながら、そのあと時間差で涙が溢れてくる。そう、この感覚が彼女の作品の魅力なんだと、毎度思う。特に行きの電車内で肩を震わせ笑いを堪えつつ、ハンカチを握るおじさんを見た人には、僕はどう映っただろうか。いや、そんなことも毎度考えながらすぐに忘れてしまうんだったな。
二人に、そしてともに働くみんなも、少しずつ変化していく。そして、読んでいる僕も、帯に書かれた「暗闇に光が差し込む」その光を感じながら。
「誰もが心の病を抱えている」と一般論のように僕も語ることがある。けれども、自分自身の中にも名前は付けられないものの確かに病は存在していて、何かから逃げながら何とか日々を過ごしている。そして、そんな僕でも誰かに光を当てたり水を差したりすることができる存在でありたいし、それは自分が欲していることであるともわかっている。行き帰りで読み終えた後、そのことを強く感じた。そう、作品に描かれたある謎の出来事と後日談に、瀬尾さんが書きたいと思ったことが結実していたのかなと、キーボードを打ちながら思った。声を掛けずとも、疎遠になってしまっても、その人のことを想う人がいるというのは、心の支えになる。
素直になれないままこんな歳になってしまったけど、瀬尾さんの本を読みその登場人物を愛おしく思えることが嬉しい。
そして、今を生きていくことに辛さを感じている人に、手に取って読んでほしいし、その人の明日がきっといい日になってほしい。
書きたいことがなかった…なんてことはなくて、書きたいことはいくつもあったものの、ついつい億劫になっていた。
そんなことは今までもあったけど、このままフェードアウトしようとは思っていなかった。
そして「書きたい」と思った理由は今回の読書にある。
瀬尾まいこさんの「夜明けのすべて」を読んだ。
昨年の本屋大賞を受賞された「そして、バトンは渡された」を受賞前に読んでから少し間が開いたけど、瀬尾さんのペースで書き続けてもらえたらいいし、その間が素敵な作品を生み出しているのだとも思う。
来年のダイアリーを購入しに書店に行ったとき、店頭にこの本を見つけて迷わず買い物かごに入れた。自分では彼女の作品のファンだと思っているものの、事前に作品の情報を取りに行くこともなく、彼女の本と出会うのはいつもこのパターンだ。でも、それはむしろ嬉しい。
帯に「パニック障害にPMS(月経前症候群)。人生は思っていたより厳しいけれど、救いだってそこら中にある。暗闇に光が差し込む、温かな物語。」とあって、すぐにでも読み進めたいところだったけど、次の旅行に持っていこうと思いひと月も経ってしまった。
流行り病が再び猛威を振るいだし、旅行は諦めたけど、日帰りの小旅行に持っていくことにして、新幹線ではなく各駅停車に乗り読み始めた。
社員6人の小さな金物卸の会社。社長の栗田さんはじめ他の仲間はみな壮年という職場で、二人の若者、藤沢さんと山添くんが働いている。
二人とも、この職場ののんびりした空気に支えられ、自分のペースで働いているけれど、何かの拍子に体調を崩してしまうことがある。互いに相手と合わないと思いながらも、ふとしたきっかけで互いを理解しようとしていく。そして、そんな若者を職場の仲間が温かく支えている。
二人が互いを思い行動を始めてからの、なんとなく唐突な行動。そのフットワークの軽さというか、何かを超えていこうとする瞬間を、瀬尾さんは軽やかな中に愛情を込めて描かれている。その描写に笑いながら、そのあと時間差で涙が溢れてくる。そう、この感覚が彼女の作品の魅力なんだと、毎度思う。特に行きの電車内で肩を震わせ笑いを堪えつつ、ハンカチを握るおじさんを見た人には、僕はどう映っただろうか。いや、そんなことも毎度考えながらすぐに忘れてしまうんだったな。
二人に、そしてともに働くみんなも、少しずつ変化していく。そして、読んでいる僕も、帯に書かれた「暗闇に光が差し込む」その光を感じながら。
「誰もが心の病を抱えている」と一般論のように僕も語ることがある。けれども、自分自身の中にも名前は付けられないものの確かに病は存在していて、何かから逃げながら何とか日々を過ごしている。そして、そんな僕でも誰かに光を当てたり水を差したりすることができる存在でありたいし、それは自分が欲していることであるともわかっている。行き帰りで読み終えた後、そのことを強く感じた。そう、作品に描かれたある謎の出来事と後日談に、瀬尾さんが書きたいと思ったことが結実していたのかなと、キーボードを打ちながら思った。声を掛けずとも、疎遠になってしまっても、その人のことを想う人がいるというのは、心の支えになる。
素直になれないままこんな歳になってしまったけど、瀬尾さんの本を読みその登場人物を愛おしく思えることが嬉しい。
そして、今を生きていくことに辛さを感じている人に、手に取って読んでほしいし、その人の明日がきっといい日になってほしい。