父を早くに亡くしたからか、子どもの頃から「死」については敏感な方だと思う。そして、昨年来のコロナ禍で自らの死についても考えることが増えたような気がする。それでも常日頃それを考え続けている訳でもなく、楽しいことがあれば心から笑えている。
昨日の朝、クリスチャン・ボルタンスキー氏の訃報に接した。
彼を知ったのは、2009年に新潟で開催された『大地の芸術祭』で訪ねた『最後の教室』だった。
暗い中で心臓音が鳴り響く、そしてそれと同期して電球が点滅する。「生」の象徴である心臓音を意識することは、問診や健康診断で医師に聴診器を当てられるときくらいだったので、強烈なインパクトを受けた。
その翌年の2010年に訪ねた『瀬戸内国際芸術祭』では、彼が豊島で手掛けた『心臓音のアーカイブ』を訪ね、自分の心臓音をそこに残すことで彼の作品の一部となった。
2016年の瀬戸芸では、彼が新たに手掛けた『ささやきの森』に、母と亡き父の名を残した。母はまだ健在だが、遠くの島で二人が風に揺れながら風鈴の奏でるささやきで会話をしていると思うと、少しは親孝行ができたのではないかと思える…というか、自己満足だけど。そして、口だけは達者な母の声は「ささやき」とは遠過ぎる。
2019年、国立新美術館で開催された彼の個展を観た。彼は作品を通じて生と死の境界線を行き来していたのかもしれない。
彼の死を知った次の日、今日僕は新型コロナウイルスの1回目のワクチン接種を受ける。かかりつけ医のところに相談に行ったら、たまたまこの日が開いているからと予約を入れてもらった。
確率は相当に低いものの、接種の後に亡くなられる方もいらっしゃるという。何が原因か不明なケースもあるというので、自ら何かに注意できるものでもない。ただ、先送りすれば感染リスクに囚われ続ける。
自らの生命の境界線が突然引かれたような気がしたことを思い出しながら、そろそろ支度を始めよう。