瀬尾まいこさんの『私たちの世代は』を読んだ。
瀬尾さんの作品には毎回心を温めてもらい、そして、また少しずつ歩いていける気持ちを持たせてくれる。ここ数ヶ月、ずっともやもやしていた僕の心の雲をやんわりと吹き飛ばし、暖かな陽を差し込んでくれたように思う。
物語の主人公は、冴と心晴という二人の女の子。共に同じ町で育った同じ年の二人は、小学三年の末に新型コロナウイルスの影響に見舞われた。
その時を境に、二人の学校生活はそれぞれ大きく変わっていく。その点で、二人にとって「コロナ禍」は災いそのものだった。多くの命が奪われ、感染した人たちの中には今も後遺症に苦しんでいる人もいて、大半の人たちにとって災いであったと言えるけど、二人のように心に傷を負った人たちも大勢いることは、自分を振り返れば想像に難くない。
でも、瀬尾さんが描く物語はそれで終わらない。それを期待して彼女の作品を読んでいるというのもある。
別々の環境で育った二人があるきっかけで出会い、互いに距離を縮めていく過程がおもしろい。そして、毎度ながら主人公を取り巻く登場人物が魅力的だ。瀬尾さんの作品には必ずと言っていいくらいに、誰かを強く引っ張ったり後押ししたりする人が登場して、僕はそんな人の活躍に魅了されている。この作品でのその人は、冴の母親だというところまでは言ってもいいだろうか。娘に対する彼女の惜しみない愛情は、まわりまわって冴を支えてくれる。「それでも…」という思いは読者みんなが抱くだろう…と、それくらいにしておこう。そう、母親の惜しみない愛情は、心晴にも注がれていたことは書いておきたい。
あの災禍は自ら望んだわけではないし、それを呼び寄せた原因を作ったわけでもなく、またその影響をコントロールできるほどの知識も経験もなく(それはあのときを迎えた大人にも言えることだけど)、ただただ誰かが打ち出す方針に従うしかなかった。そして、その状況を甘んじて受け入れていた面もある。考えなくていいから…ということもあった。でも、それってあの災禍の下だからだったのだろうか。と、「いつだって人生は厳しいし、学校生活は楽しいことばかりじゃない。」という台詞が心の奥深くに刺さった。
冴や心晴と同世代の人たちの感想をぜひ聴いてみたいと、姪や大切な人の姪っ子さんのことを思い浮かべた。でも、彼女たちは自らの力で今を生きている。
さて、読み進めていく中でここしばらく頭の中の一定部分を覆っている出来事について考えていた。物語に引き込まれていくとともにそれは小さくなっていったけど、一方でコロナ禍によって可視化されたことも多々あるなって思った。その一つとして、在宅勤務に対するスタンスが挙げられる。仕事の効率化に活用していると思われる人もいれば、そんな風に見せかけているだろう人も。後者に対しては苛立ちを禁じ得ないけど、もう少しすれば「可哀そうな人だな」って思えるようになるかな… そして、そんな人たちのことを考える時間があったら、立ち上がろうとする人や前へと踏み出そうとする人たちに寄り添おう。
結びが本の話から逸れてしまったけど、コロナに勝つとか負けるとかではなく、僕は僕の道を歩いていけたらいい。