彼のボスもそうだが、菅官房長官は自らに権力があることを自覚し自重するどころか、権力をちらつかせて反対者を黙らせることに躊躇がない。ヤクザと同じ。朝日バッシングに見られたように、マスコミも団結して横暴な権力と闘うどころか、同業他社を叩く好機とばかりに尻馬に乗るのだから始末におえぬ。
#まれ って「観たいっ!」という気が強まらないのはなぜだろうと思ったら、僕は大泉洋さんが苦手なんだった。
でも、エンディングに市橋織江さんのお名前が! ポスターなどの写真は彼女が撮ったんだね。淡い光を切り取った彼女の写真、好きだな。 pic.twitter.com/M2fnLeiVlW
今朝の #ぶらり途中下車の旅 富山・黒部の生地という街を訪れている。風情のある街並みっていいな。
首都圏の私大生の生活費が900円を割り1986年以降最低。1986年と言えばバブルの始まり、あの時と比べれば名目、実質GDPも今の方が大きい。その状況でこのような事が起きるのは原因がある。それが日本の国内経済の低迷と同じ理由の様に思える。
沖縄戦は多くの子どたちも亡くなった。チビチリガマで亡くなった83人の約6割は子どもたちだった。ガマを出て犠牲者がなかった家族も含め、チビチリガマで起こったことは長い間、誰も語らなかった。長い沈黙を破って幼い瞳に焼きついた体験を語った。 pic.twitter.com/KwkrU2tYZI
@levinassien 韓国内の反基地運動もその成果としての米軍基地の縮小についても、フィリピンのクラーク、スーヴィック両基地の返還についても日本のメディアはほとんど報じませんでした。他の同盟国での米軍基地の返還・縮小事例を参考にしないでどうして沖縄の基地問題が論じられるのか。
アメリカはすでに態度を軟化させ、世界銀行・アジア開発銀行とAIIBのコラボレーションの条件を詰めるという「おとしどころ」を探り始めています。日本政府だけがぼんやり「蚊帳の外」に置かれてる。安倍政権て、ほんとうに「使えない」政権ですね。
千駄ヶ谷は、スポーツだけでなく将棋の街でもある。 pic.twitter.com/hvtp5H2IN9
食もイベントの楽しみだ!
で、先日買ったお皿で富士宮やきそばをいただいている。やきそばは「温かいんだから~」だけど、外は寒い。
中に入ったらお皿を洗ってディッシュリユース。 pic.twitter.com/VjLpj2YP1s
やきそばを持って会場に入ったら、宮下遥さんと内瀬戸真実さんが待っていてくれた…(^.^;
遥さんも真実さんも、笑顔が可愛い(^.^) pic.twitter.com/YOBIXys4IW
@KaNny3k 暗いレンズだったので上手く撮れませんでしたが、可愛らしさは十分に伝わったでしょうか(^.^)
大きな船や飛行機に乗っていると、港や空港から船体・機体が動き出しても気づかないことがあるが、大手メディア業界の中にいる人は、3年前と今では明らかに状況が違っていることに気づいていないのかと思う。外から見れば、船や飛行機は明らかに前と違う位置にあるが、変化が問題として議論されない。
昨日の夕方に配信された古賀茂明氏のメルマガによれば、NHKの内部には「このままではだめだ」と問題意識を強く持って「民放よりも悩んでいる人が多い」が、在京の民放テレビ局では「もう変わっちゃってるっていうか、これが問題なんだということに気がつかない人が非常に増えている」のだという。
大手メディア自身が「メディアの萎縮」という言葉を使い、漠然とした一般論で「個別の現象」を報じることはたまにあるが、問題の構造全体に光を当て、当事者として「問題にどう抵抗しているか」を受け手に示すケースは見た記憶がない。「メディアの萎縮」という言葉が、現状追認のように使われている。
1937年に日中戦争が宣戦布告なしに本格化した時、日本人は「日本が負ける」「日本が勝てない」とは思わなかった。日本と中国の紛争の構図は「(強国の)日本が(暴虐で弱い)中国を懲らしめる」、つまり「暴支膺懲」の制裁行動で、中国側が反省して謝れば「今回は許してやる」くらいの感覚だった。
(続き)ベトナム戦争のアメリカ軍と同様、正規軍同士が戦う個々の「戦闘」では、日本軍が勝つことが多かったが、紛争はまったく収束しなかった。紛争の泥沼化に伴い、日本の外交的孤立と経済制裁で逆に日本のダメージが大きくなり、段階的な対日制裁の駄目押しとして「ハルノート」が突きつけられた。
(続き)当時のメディアが、政府と軍に迎合した「主観的願望」を捨て、後に日中戦争と呼ばれる紛争(当時の言葉では日支事変または支那事変)全体の構造を客観的に分析し、日本軍の武力行使の限界と問題点を指摘していたなら、歴史の流れは変わったかもしれない。「翼賛」の問題点を後世に教えている。
女性のおしゃべりもそれはそれで気になるけど、おっさんのおしゃべりっていうのは迷惑以外にない。
価値判断基準を内面に持たず、上の意向や周囲の動向に依存する人間は、社会の空気が「人権や人道の尊重」ならそれに順応し、「人権や人道の尊重よりも国家体制の維持存続」が価値判断の上位だという空気に変わればそれに順応する。選挙前の報道で「与党が圧勝の見込み」と報じれば、それにも順応する。
菅義偉官房長官「(知事選などの)選挙結果は基地賛成、反対の結果ではないと思う。振興策、世代など色々なことが総合されて結果が出る」(朝日)bit.ly/1NNU9WA これも主観的願望で現実を勝手に「解釈」し、都合良く意味をねじ曲げる思考法の典型的なパターンだろう。
官房長官が、個々の選挙の「意味」を勝手に操作して解釈し、そこに示された「民意」を無視する態度をとることは、現に存在する「現実」と向き合わずに逃避することを意味する。首相や官房長官らが、現実認識と「主観的願望」と混同する思考法を常態的に使い始めているのは、かなり危ない段階だと思う。
70年前の「前例」では、現実の進行と「主観的願望」の齟齬が拡大した時、前線兵士や一般市民など「現場の人間」が、そのギャップを埋める努力と犠牲を強いられた。政府や軍の上層部は、自分たちの認識の甘さや誤判断を一切認めず、無謬という面子に固執し、「翼賛」体制のメディアもそれに追従した。
ファイナル 久光製薬vsNEC の試合が始まった。NECのリザーブにはイエリズ選手が入っている。どの場面で登場するのか注目だ。 pic.twitter.com/p1o4QMywSN
久光製薬vsNEC 第1セットは久光製薬が取り、第2セットも幸先よくスタートを切っている。ただ、先日のファイナル6での対戦よりも競っていて、見応えのある試合だ。 pic.twitter.com/QSELC2diIM
菅ら、日本政府・安倍政権高官の「普天間の危険性除去」発言。悪質な論理すり替え・・・民意覆い隠す喧伝効果狙う
(琉球新報 4日-8) pic.twitter.com/mWzELIlt6P