あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

グランドデザイン

2011-11-11 07:48:05 | 前に進む
今朝のNHKニュースで、先日の台風で壊滅的な被害を受けた和歌山県の集落が解散を決め、その解散式の様子を伝えていた。

「限界集落」という言葉を聞くようになって久しいが、震災を受けてようやくその現実を知るというのも問題かもしれないが、それが実態だ。

小さな集落でも、そこに住んでいる人がいるなら相応の行政サービスを提供しなければならないが、インフラの整備などは手薄にならざるを得ない。

先日も書いたと思うが、人は寄せ集まって暮らした方がいい。これは経済合理性の観点を優先してではなく、「人間とは」と考えたときに当然の答えなのだと思う。そしてその結果として経済合理性が高まると言ったらいいだろうか…

地震で、原発事故で、そして台風で、それぞれの地域に住む住民は突然の決断を迫られ、困窮しつつ故郷を離れざるを得ない状況に追い込まれている。その辛さを全て理解することはできないが、思いを巡らすことはできる。

市町村合併の時には交付金をバラ撒いて推進したが、その元手には合併により期待される合理化メリットが充てられていたと思う。ならば、人々が寄せ集まって暮らすために移住することに対しても支援ができるのではないか。

もちろん、そこで暮らし続ける自由を強引に奪うわけではないが、移住に対する支援を手厚くする代わりに、サービスは非常に限定されるという覚悟を持って暮らすことを求めてもいいのではないか。

震災復興も、そして、喫緊の課題であるTPP参加問題にしても、その前に「我々はこの先どうあるべきか」というグランドデザインが語られていない。だから、ただ輸出産業と内需むけ三行を対立させるだけとなってしまっている。

個人的には、現時点でTPP交渉参加することが、否応なくTPPそのものへの参加となるとしたら時期尚早と思う。初めて話題となってからかなり経つが、それまでろくに議論してこなかったことを「船が出るから」という理由だけで通していいという道理はない。

僕らのこれからの暮らしをどうしていくか。その問いに答えるのは僕ら自身だ。問題が起きている場所だけのことのして捉えずに、一人ひとりが「自分自身の問題」として考え、そして行動することが必要だ!
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1 コメント

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no way (noga)
2011-11-11 12:28:03
永遠に待ちの政治では、迅速な対応はできない。どこまでも停滞気味である。元来のんきな性格のためか、自分自身は無為無策でありながら、棚から牡丹餅の落ちてくるのを熱心に期待している。

現実の内容は、「世の中は、、、、、」の内容であり、理想の内容は、「あるべき姿」の内容である。これは非現実である。
日本語には時制がなく、日本人は現実 (現在) と非現実 (過去・未来) の世界を独立させて並行して言い表すことが難しい。
非現実 (理想) に向かうための現実対応策が語れない。
現実から理想へと一足飛びに内容が飛ぶ。言霊の効果のようなものか。その過程が明確にされない。

時制を考慮することなく自分の思った内容を述べようとすると、現実肯定主義派と空理空論 (曲学阿世) 派のどちらかに分かれることになる。
これでは政治音痴は止まらない。
両者は話が合わない状態に陥り、議論ができない。そこで、悪い意味での数合わせで、民主的に、物事を決するしかないことを日本人は心得ている。
だから、多数がとにかく足並みをそろえる大連立の構想には意味があると考えられているのであろう。

守旧派の世界は理想的ではないが、過不足なく成り立っている。革新派の世界は穴だらけで成り立たないことが多い。
安心と不信の背比べである。だから、政治家は静観が多く、意思決定には手間を取る。
静観には現在時制を働かせるだけで十分であるが、意思決定に至るには意思(未来時制の内容)の制作が必要になる。
意思の制作に未来時制が必要であるということは、自分が意思を作って示すことも他人から意思を受け取ることも難しいということになる。
つまり、社会全体が意思疎通を欠いた状態のままでとどまっているということである。
それで、勝手な解釈に近い以心伝心が貴重なものと考えられている。

時代に取り残されるのではないかという憂いが常に社会に漂っている。
英米人の政治哲学に基づいて次々と繰り出されてくる条約締結の提案には、ただたじろぐばかりである。
自分たちには、哲学がない。理想もなければ、それに向かって踏み出す力もない。
筋道を明らかにされることのない指導者からの励みの要請に民は閉塞感を持っている。玉砕戦法のようなものか。
だから、我々は耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ必要に迫られることになる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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