柳美里さんの『JR上野駅公園口』を読んだ。
柳さんの本を読むのは初めてで、きっかけは「全米図書賞受賞!」の帯だった。そういうのを理由に読む本を選ぶことはほとんどないんだけど、昨年末に書店を訪れた際にふと、読んでみたいと思った。彼女が東日本大震災の後に南相馬に転居し書店を営まれていることは、そのことを紹介するテレビ番組などから何となくは知っていたから、「受賞!」の先に何かが見えたのかもしれない。
読み始めたのは先々週、同時に購入した新書の後になった。読み始めてすぐに、彼女が何を書きたかったのかというのが朧げに見えてきた。その点については柳さん自身が「あとがき」に記されている。
福島県浜通りにある村に生まれた男性は、家族兄弟の食い扶持と学費を稼ぐために出稼ぎを続け、妻や子どもとの触れ合いもほとんどないまま、その家族を失ってしまう。失意の彼を支えてくれる人がいたものの、その人たちの負担になりたくないとの思いから、再び東京に出て、そして、ホームレスとして暮らし始める。
そこでの暮らしは孤独を極めるものであったけど、そんな中にも僅かながら同じ場所で暮らす人との接点はあった。ただ、彼自身が誰かと深く付き合うことを避け、やがて、その孤独の中である決断をし、上野駅の改札を抜け、プラットホームに降りていく。
「東北の方は我慢強い」とか、「冬の厳しい寒さが(彼らの)口数を少なくしている」ということを聞いたことがある。あくまでもイメージでしかないけど、最初に勤務した職場には北海道や東北出身の方が多くいらして、その頃のことを思い出してみても、イメージに近い方もいれば、全く違う方もいた。それはそれとして、この小説の主人公は我慢強く寡黙で、思っていたことを全て口に出すことはできなかったのか、それとも、しなかったのか。
この本を読み終えた翌日、映画『すばらしき世界』を観た。世代も境遇も違うけど、主人公はともに、社会からは見えない、見たくない存在とされている。ただ、この小説の主人公が孤独を選んだのに対し、『すばらしき世界』の三上正夫には、周囲の支えもあり、また彼自身の我慢により、何とか社会との繋がりを保とうとしていた。失業をきっかけに僕も仲間との繋がりを自ら断ち切ってしまい、また今も、誰かの手助けを求めることがなかなかできずにいる。一方で、逆の立場だったらどうだろうか。
新型コロナウイルス感染拡大を受け、僕もテレワークをするようになった。それは、誰かの日々の努力によって支えられている。今できることは限られているけど、せめて、想像力は失わないでいよう。