東京は先週は肌寒い日が続きましたが、昨日は久々に暖かい日でした。
そんな中でも桜の開花情報があちらこちらから聞こえてきます。
東京地方の春の訪れを告げる、サクラの開花予想の標本木となっているのは「靖國の桜」です。
明治2年以来、「靖國神社」のシンボルとして親しまれてきた桜の木は、ソメイヨシノを中心に約600本にも及ぶそうです。
東京に来てから20余年になりますが「靖國神社」へは今まで一度も訪れた事がありませんでした。
先週末から、「さくらまつり」が開催されると云う事で昨日初めて行ってみました。
「さくらまつり」の期間中は、イベントも盛りだくさんで、また境内神苑に数百のぼんぼりが灯され、夜桜と大鳥居が鮮やかに浮かび上がるそうです。
「靖国神社」の道路を挟んだ向かえ側の高燈篭の先には日本武道館の屋根も見えます。
大鳥居(第一鳥居)
1974年完成した、鋼管製の鳥居。
柱の高さが約25メートル、笠木(上の横木)の長さは約34メートルあり、重量は100トンあるそうです。
「靖国神社」は幕末から明治維新にかけて功のあった志士達から、戊辰戦争以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉死した日本の軍人、軍属等を祭神としています。
今年で創立140年。
大村益次郎像
東京招魂社(現在の靖国神社)建立に奔走し場所決定後、暗殺された大村益次郎の像。
その像の前の特設ステージではよさこい踊りが披露されて「さくらまつり」を盛り上げていました。
第二鳥居
早くも花が満開の桜の木もありました
神門
能楽堂
拝殿
軍犬慰霊像
戦没馬慰霊像
母の像
パール判事顕彰碑
遊就館(博物館)
神池庭園
相撲場
そんな中でも桜の開花情報があちらこちらから聞こえてきます。
東京地方の春の訪れを告げる、サクラの開花予想の標本木となっているのは「靖國の桜」です。
明治2年以来、「靖國神社」のシンボルとして親しまれてきた桜の木は、ソメイヨシノを中心に約600本にも及ぶそうです。
東京に来てから20余年になりますが「靖國神社」へは今まで一度も訪れた事がありませんでした。
先週末から、「さくらまつり」が開催されると云う事で昨日初めて行ってみました。
「さくらまつり」の期間中は、イベントも盛りだくさんで、また境内神苑に数百のぼんぼりが灯され、夜桜と大鳥居が鮮やかに浮かび上がるそうです。
「靖国神社」の道路を挟んだ向かえ側の高燈篭の先には日本武道館の屋根も見えます。
1974年完成した、鋼管製の鳥居。
柱の高さが約25メートル、笠木(上の横木)の長さは約34メートルあり、重量は100トンあるそうです。
「靖国神社」は幕末から明治維新にかけて功のあった志士達から、戊辰戦争以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉死した日本の軍人、軍属等を祭神としています。
今年で創立140年。
東京招魂社(現在の靖国神社)建立に奔走し場所決定後、暗殺された大村益次郎の像。
その像の前の特設ステージではよさこい踊りが披露されて「さくらまつり」を盛り上げていました。
早くも花が満開の桜の木もありました
1934年に完成。扉の両方には直径1.5メートルの菊花の紋章がある。
高さ6メートル。檜作りの門。
岩倉具視らにより東京・芝公園に建てられた能舞台で、1903年に靖国神社に奉納された。
1901年に建築された。尚、普通の日の拝殿には「白色」の幕が掛かっているが、「靖国神社」の定める恒例祭(春秋例大祭・みたま祭・新年祭等)の執行される日には「紫色」の幕が掛かる。
特攻勇士像
戦場で死んだ軍犬の霊を慰撫するため、1992年3月に奉納された。
戦場で死んだ軍馬の霊を慰撫するため、1958年に奉納された。
戦争で父親が亡くなってから母親が子供を育ててくれたことに感謝し、1974年に建てられた。
極東国際軍事裁判の判事として、A級戦犯全員の無罪を主張したインドの法学者ラダ・ビノード・パールを顕彰するため、2005年に建てられた。
館名の典拠は、『荀子』より「遊必就士(遊ぶに必ず士に就く)」(遊歴する時は必ず優れた人物に交わり学ぶの意)に基づく。合祀された英霊の遺品や資料、戦争で使用された武器などを展示。
収蔵品は約10万点。約5000人の遺影もある。
主な収蔵品に、零戦52型(海軍零式艦上戦闘機)や人間魚雷「回天」、C56形蒸気機関車31号機など。
明治初期に造られ、1999年10月に整備・復元作業が行われた。
春の例大祭に、全力士が奉納相撲を行う場所。
近年ではプロレスの試合も催される。