ほぼ是好日。

日々是好日、とまではいかないけれど、
今日もぼちぼちいきまひょか。
何かいいことあるかなあ。

介護のこと <最後に>

2008-07-10 | 介護
義母から電話のあった翌朝、
とうとう義父は帰らぬ人となりました。
往診をお願いする病院への紹介状をもらいに行く
ちょうどその日のことでした。

連休でなければ、もっと早くなんとかなったかもしれません。
しかし、もし往診を頼んだとしても、口から食事が入らなければ、
結局管を入れて栄養を摂るしかないのです。
食べることの好きだった義父が、果たしてそれを喜んで受け入れたでしょうか。
また、受け入れたとしても、実際自宅で義母とどこまで義父を介護できたか、
正直言って自信がありません。
実際、そうやって何年も介護しておられる家庭は
たくさんあるのでしょうけれど・・・。

義父が退院して亡くなるまで、3ヶ月ほどのことでした。
しかし、わずかそれだけの期間でも、
介護する家族はあれこれ悩み、迷い、そして疲れ果てます。

介護保険制度ができて、以前のことを思えば
サービスを利用しやすくなり、家族の負担は減ったかもしれません。
しかし、介護の実情はひとりひとり違います。
本人がサービスの利用を嫌がってはどうにもしようがないし、
また、ショートステイを利用したくてもベッドがいっぱいで
利用できないということもあるのです。

それに、今問題となっているように、
せっかく希望して介護職についた若い人たちが、
給料が安いために離職していくという現状があります。
超高齢化社会になって、年老いた親たちが次々と介護が必要になったとき、
私たちはどうすればいいのでしょう。
いえ、自分たちが年老いたとき、一体どうなるのでしょう。
家族の介護では限界があるのに、介護施設は人手不足、
あるいは経営が成り立たず閉鎖、という事態を考えるとぞっとします。

また、今さらながら感じたのは、「嫁」という立場の微妙さ。
おかげで、あれこれ悩んだり、嫌になったり、落ち込んだりしました(苦笑)

しかし、結婚したときから私とは考え方が違うなあと思って、
当たり障りのない接し方しかしていなかった義父と、
時には考えの違いから大声で言い合いになったり
(ほんとになんて嫁でしょうね~・汗)、
最後には「頼りにしてる」と言ってもらったり、
ようやく本音でつきあうことができたのかもしれない、と思います。
瀬戸際になって、お互い本性が出たのかもしれませんね(笑)


もはや、他人事ではない介護の問題。
子どもたちにはこんな苦労はさせたくない、
どうせ死ぬならぽっくり逝きたいわ~
祖母を介護していたときによくつぶやいてた母の言葉を、
今この年になって、そっくりそのまま繰り返しています。

どうか、子どもたちまでこの言葉を繰り返すことがありませんように。
年老いても、ひとりになっても、
騙されたり、見捨てられたりしない
安心して老後を暮らせる社会になってほしいものです。

そして私自身、先日亡くなられたターシャ・テューダーさんのように
自立したおばあさんになれたらいいなあ、と思います。
心身の老化を止めることはできないけれど、
生き方や考え方、あるいは暮らし方で、
20年後30年後の自分が少しは変わってくるかもしれませんものね。


コメント (6)
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