
先日つくった甘夏ジャムで、鶏の手羽を煮込んでみました。
マーマレード煮ならぬ甘夏ジャム煮。
つけあわせは、主人が畑でつくったキャベツを茹でたもの。
(無農薬だから、ときどき虫が出てきます。
なので、生で食べるのはちょっと・・・

上にちらりと写っているのは、初めてつくったセロリの佃煮。
(義姉がたくさん持ってきてくれたので)
義母と同居するようになって、キッチンに立つ時間が長くなりました。
夕方の4時くらいになると(たまにお昼過ぎから)夕飯を気にしてうろうろしだすので、
それとなく「ちゃんと夕飯をつくってますよ~」とわかってもらうため、
早くからキッチンに立つようにしているのです。
おかげで献立のバリエーションは豊かになりましたが、夕方のぽっと空いた時間に、
本を読んだりウォーキングに出かけたりする余裕がなくなってしまいました。
それに、せっかく手間ひまかけて料理をつくっても、以前のように
楽しくおしゃべりしながらゆっくり味わう、ということもなく・・・
子どもたちがいたころの、あの賑やかな夕飯が懐かしいなあ。
義母と同居して7カ月。
あれこれ不便だったことが、毎日続くとだんだんあたりまえになっていきます。
今一番ほしいのは、のんびり本を読めるスペースと心の余裕。
ああ、月に1冊の本も読めないなんて・・・

柑橘類の皮ってなんていい香りなんでしょう~
しかも四時からご飯作り開始ですか。
最近はほぼ30分ぐらいで適当に夕ご飯の支度している私は、少々反省いたしました。
お年寄りとの暮らしはいろいろありますね。
父の姿に自分の老後を重ねて、 考える毎日です。
食べるものがないからと買い物に出かけたり、冷凍食品を出したままにしていたり、
ちょっと大変なんですね。
なので、煮物だったら早めにつくっておくとか、とりあえず準備するふりして
野菜を出しておくとか、いろいろ対処しています。
なんか無駄に時間つぶしてるなあ、と思うこともありますけど(苦笑)
自分が年をとったとき、娘たちに迷惑をかけたくないとは痛切に思いますね。
できるなら最後までひとりで自立して生活したいけど・・・
結局、無駄に長生きしないほうがいいのかな、なんて思ってしまいます。
介護をした友達は皆そういいます。
わたしも父を見ていて、「ああいうふうにならないためにはどうしたらいいか」なんて考えてしまいます。
父はぼけていませんが、食べてテレビを見て寝て、愚痴をこぼし、文句を言い、八つ当たりをして一日を過ごしています。(涙
結局自力で人生を楽しめ亡くなった時が、去り時なのかなあ・・・・悲しい・・・
頭はしっかりしているなあということでした。
なので自分の症状が理解でき、思い通りに動かない身体に
悲しんだり腹をたてたりしてしまうのでしょうね。
プライドが高い人ほどそうなのかもしれません。
先日、京都の叔母が肺炎で入院し、ひとりで介護していた叔父を
ショートステイに入れることになりました。
きのう見舞いに行った姉夫婦が叔父を施設に連れて行ったのですが、
嫌がってとても大変だったとか・・・
>結局自力で人生を楽しめ亡くなった時が、去り時なのかなあ・・・・悲しい・・・
義母や母をみていると、何を楽しみに生きているのだろうと思うことがあります。
仕事や家事からやっと解放され、自分の時間はあり余るほどあるのに、
認知症になってやりたいこともやる気力も能力もない。
寿命だけがのびても、これでは楽しみがないですよね・・・
一方で、行きたい所やしたいことはたくさんあっても、親に縛られて
身動きが取れない私たちの世代。
人生なかなか思うようにはなりませぬ・・・