今年、実家の父が亡くなり、ひとり暮らしの母は認知症の症状が出ています。
近くに住む主人の母親もそうです。
記録のつもりで、少しずつ親たちのことを書き残しておこうと思います。
・・・ ・・・ ・・・
先日、喪中ハガキの枚数を確認するため、母から今年届いた年賀状を預かった。
どこからきたのか、1枚1枚チェックする。
これは親戚、これは父の知人・友人、これは母の友人・・・
ふと、我が家からの年賀状がないことに気がついた。
あっ、そうか。
去年はそれどころじゃなかったんだ。
父が検診にひっかかり、私の家の近くにある総合病院の紹介状をもらったから
一緒に来てほしい、と母から電話があったのは去年の今ごろ。
煙草が大好きで、長年ハイライトを吸い続けた父。
病名は素人の私でも予想できた。
肺がん。
しかし、実際はそう簡単に診断できるものではないらしい。
レントゲン、CT、血液検査、痰の検査、PET・・・
11月は父との病院通いが続いた。
私が結婚して二十数年、いや子どもの頃でさえ
こんなに父と一緒に出かけたことはなかったんじゃないか、
と思えるくらい父と出かけた。
一緒にいる時間がふえると、たまに実家で会う父とは違って
ひどく年老いたことに気づき、戸惑いを感じずにはいられなかった。
昔、鶴田浩二に似ているとも言われたことのある父は、
80歳を過ぎても若く見られ、頭もしっかりしていたのに。
11月後半から12月にかけては、病院へ、あるいは実家へと
走り回る日々が続いた。
父の検査で半日つぶし、昼食もとらずに家へ戻ると
今度は義母が点滴を受けに病院へ行っていた、
ということもあった。
父の症状が急激に悪化し、どうしたらいいのかわからなくて
頭を抱えたことは何度もあったけれど、私にはめずらしくパニックに
なることはなかったような気がする。
たぶん、目の前の壁しか見えず、それを乗り越えることに精一杯で、
その向こうの大きな壁のことを考える余裕がなかったからかな。
それに、大掃除も年賀状もすっぱりあきらめた。
その分主人ががんばってくれた、と思う。
風呂場をピカピカにし、年賀状は結婚して初めて
担当してくれたのだから(笑)
私は、お正月になってから届いた年賀状の返事だけを書いた。
なので、実家への年賀状を出せなかったのかもしれない。
去年の今ごろを思い出すと不思議に頭に思い浮かぶのは、
青空を背景に歩く父の後ろ姿。
時雨の多いこの時期にしてはめずらしく、
父と病院へ行く日は晴れていることが多かったからだろう。
ただ、父がどんな表情をしていたのかは思い出せない。
今年は早々に喪中ハガキをプリントアウトした。
毎年自作の絵を年賀状にしていた父が、去年はせめて文章だけでもと
震える手で書いたのに、かわりに出してあげることができなかった。
それが今になって悔やまれてならない。
近くに住む主人の母親もそうです。
記録のつもりで、少しずつ親たちのことを書き残しておこうと思います。
・・・ ・・・ ・・・
先日、喪中ハガキの枚数を確認するため、母から今年届いた年賀状を預かった。
どこからきたのか、1枚1枚チェックする。
これは親戚、これは父の知人・友人、これは母の友人・・・
ふと、我が家からの年賀状がないことに気がついた。
あっ、そうか。
去年はそれどころじゃなかったんだ。
父が検診にひっかかり、私の家の近くにある総合病院の紹介状をもらったから
一緒に来てほしい、と母から電話があったのは去年の今ごろ。
煙草が大好きで、長年ハイライトを吸い続けた父。
病名は素人の私でも予想できた。
肺がん。
しかし、実際はそう簡単に診断できるものではないらしい。
レントゲン、CT、血液検査、痰の検査、PET・・・
11月は父との病院通いが続いた。
私が結婚して二十数年、いや子どもの頃でさえ
こんなに父と一緒に出かけたことはなかったんじゃないか、
と思えるくらい父と出かけた。
一緒にいる時間がふえると、たまに実家で会う父とは違って
ひどく年老いたことに気づき、戸惑いを感じずにはいられなかった。
昔、鶴田浩二に似ているとも言われたことのある父は、
80歳を過ぎても若く見られ、頭もしっかりしていたのに。
11月後半から12月にかけては、病院へ、あるいは実家へと
走り回る日々が続いた。
父の検査で半日つぶし、昼食もとらずに家へ戻ると
今度は義母が点滴を受けに病院へ行っていた、
ということもあった。
父の症状が急激に悪化し、どうしたらいいのかわからなくて
頭を抱えたことは何度もあったけれど、私にはめずらしくパニックに
なることはなかったような気がする。
たぶん、目の前の壁しか見えず、それを乗り越えることに精一杯で、
その向こうの大きな壁のことを考える余裕がなかったからかな。
それに、大掃除も年賀状もすっぱりあきらめた。
その分主人ががんばってくれた、と思う。
風呂場をピカピカにし、年賀状は結婚して初めて
担当してくれたのだから(笑)
私は、お正月になってから届いた年賀状の返事だけを書いた。
なので、実家への年賀状を出せなかったのかもしれない。
去年の今ごろを思い出すと不思議に頭に思い浮かぶのは、
青空を背景に歩く父の後ろ姿。
時雨の多いこの時期にしてはめずらしく、
父と病院へ行く日は晴れていることが多かったからだろう。
ただ、父がどんな表情をしていたのかは思い出せない。
今年は早々に喪中ハガキをプリントアウトした。
毎年自作の絵を年賀状にしていた父が、去年はせめて文章だけでもと
震える手で書いたのに、かわりに出してあげることができなかった。
それが今になって悔やまれてならない。
親の具合が悪くなると親とべったりの時間が出来るのね。切ないです。
今までも同じ長い時間をすごしていたとしても
お互い元気で、それぞれやることがあるから他の方向を向いてる部分があり濃くない。
でもこうして同じ方向「肉親の病気」へ向いて時間を過ごすと濃いよね。
私は実家から離れて生活してたから、でもけっこう蜜に電話してたけど
あんがい親のことを知らなくて、、それが悔やまれました。
私も今年は喪中なのですが、葉書をどうするか まだ迷っています。
タイムリミットですよね。
私も、父の最期の半年は、よく顔を見に行ってました。入院がほとんどだったので、病室で父と二人、いろいろ話ができてよかった。私はちょっとファザコン入ってるからね(笑)今でも思い出すと涙が出ます。
母がいるからまだ子供でいられるけど、母を送る時には自分がしっかりしなければと思う気持ちと、出来るんかいなあという不安と…
ああすればよかったという少しの後悔は、いつまでもついて回りますね。
ブログには書けそうにないなあと思っていましたが、
書き始めると書きたいことがいっぱい湧いてくるんですよね。
母のことは愚痴になるのでまだ書けませんけど(苦笑)
親というのは、なかなかひとりの人間として見る機会がないですよね。
親も子どもの前では父の顔であり、母の顔で接しているから。
特に私なんか、高校を卒業してからずっと離れて暮らしていたので。
もっと違う面を知れたかもしれないと思うと、
やはりじっくり話す機会がなかったことが悔やまれました。
なので、最後の数ヶ月一緒に過ごす時間があって
本当によかったと思っています。
あ~、喪中ハガキ、そろそろ出さなくっちゃ~
うちは主人の仕事関係と義母のは年賀状で、親戚と友人関係は
喪中ハガキで、と分けました。
私は喪中だけど、おせちやお正月の準備はどうしようかと思案中です。
じーんときました。
私はどちらかというと、親とは距離を置いていたので、
親のことを書けるもけさんを羨ましく思ったものです。
でも、やはり娘でしたね(苦笑)
父も、最後に私の世話になるとは思っていなかったと思います。
いや・・・、実は父が若いころ占いの人に見てもらって、
あなたは三女の世話になると言われたとがあったらしいのですよ。
その占いが当たった!?
ン十年後を占ったその人はすごい占い師だったのですね~
いえいえ、こたつを出してから食っちゃ寝のくっちゃ寝です(笑)
その占い師さん、ほんとに未来が見えたのでしょうか。運命とか宿命とか、そういう風に考えたくはないけれど…
珍しく、こたつがまだ出てないもけ家なのです。ワンコがふとんをカジカジするので、出すか思案中の我が家です。
私はもともと反抗的な末っ子です(笑)
うちの長女は「お父さんみたいな人がいいな~」なんて言ってますよ。
占いがあたったのかどうか・・・
たまたま私だけが介護の経験があったのと、父が近くの病院に入院したから、
ということなのですが。
でもね、その占いのことを知ったとき、自分でも「なるほどな~」と
納得したんですよね。
だから「私が頑張らなきゃ」って思ったのも事実です。
こたつは魔物ですよ~
はなちゃんを抱っこしていれば暖房はいらない?