『源氏物語 巻一』
円地 文子 訳
源氏物語千年紀を機に、再び『源氏物語』(円地文子訳)を読み直しました。
学生時代に与謝野晶子訳で読んだとき、
あるいは独身時代にこの円地文子訳で読んだときは、
正直言って誰が誰だか、この文章の主語は誰?みたいな読み方で、
だいたいのあらすじを追うだけで精一杯。
(一応、現代語訳なんですけどね)
とても、男女の心の機微だとか、訳語の美しさだとか、
そういうものを感じる余裕がありませんでした。
ところが、今この年になって読んでみると意外や意外、
するすると頭に入ってくるんですね。
ああ、ムダに年をとったわけではなかったなー、と
へんなところで自分自身に感心してしまいました(笑)
実は、せっかく読み直したのだから、覚書のつもりで
各巻ごとにレビューを書けないものだろうか、と
無謀だと思いつつ、この思いを捨てきれずにいました。
国文学を勉強したこともない、全く素人のおばさんが読んだ源氏。
読み間違いや、カン違いをしているかもしれないし・・・。
それでも書いてみようと思ったのは、
せっかく日本人に生まれていながら、
こんなおもしろい作品を「難しそうだから」と
敬遠してしまう人が多いのはもったいない、と思ったからです。
今から一千年前に、こんな長編小説を書いた女性がいる、
ということを日本人はもっと誇りに思っていいと思うんですよ。
学問的なことはわかりませんが、
根本的には今とたいして変わらない女性の感情や、
男性の身勝手さはひしひしと感じます(笑)
そう、人の心なんて、千年前も今もたいして変わってないのです。
変わってしまったのは、生活習慣や風習。
だから現代の私たちが読んで、???と感じることも多々あります。
そのあたりさえ押さえておけば、古典の時間に頭を悩ました
源氏物語が、もっと身近なものに感じられると思います。
といっても、「桐壷」から「夢浮橋」まで五十四帖もある『源氏物語』。
週一でアップしても、一年はかかることになるのですが・・・
ということで、これからぼちぼち更新していきますので、
興味のある方はどうぞおつきあい下さいませ。
* * *
では、まず簡単に『源氏物語』についておさらいです。
作者はご存知のように紫式部。
これは、本名ではありません。
当時の女性は名前が記録されておらず、
便宜上(?)役職名や、誰それの女(むすめ)という名で呼ばれてるわけです。
紫式部の場合、「紫」は『源氏物語』の登場人物「紫の上」から、
「式部」は父藤原為時の官職「式部丞」に由来していると言われています。
紫式部は、親子ほど年の違う藤原宣考と結婚しますが、早くに死別し、
一条天皇の中宮彰子(藤原道長の娘)の女房として仕えました。
漢文などと読みこなし、かなりの才女であったことは間違いがないようです。
また、紫式部ひとりではなく、複数の人間が書いたのではないか、
と唱えている学者もいるそうです。
先日新たに写本が見つかったことがニュースになっていましたが、
現在、紫式部の直筆は残っていないのですね。
つまり、今読めるのは写本でしかないわけで、
それらが微妙に違っているようです。
どういった人が、どんなふうに写したのかわかりませんが、
ここはこうしたほうがいいだろう、なーんて勝手に手直ししながら
写すこともあったのでしょうか。
その原作ですが、源氏を原作で読むのはかなり大変。
はっきり言って、私なんかちんぷんかんぷんです。
で、頼りになるのが現代語訳。
有名なのは谷崎潤一郎訳、与謝野晶子訳、円地文子訳、
そして最近のブームの火付け役となった瀬戸内寂聴訳などがあります。
訳といってもれぞれに訳者の個性が出ていて、
いろいろ読んで違いを見つけるのもおもしろそうですね。
谷崎訳は原文に忠実で、これを読みこなすのも大変そう。
与謝野晶子訳は簡潔で読みやすく、
瀬戸内寂聴訳は読みやすくてしかも情感がこもっており、
円地文子訳はあえて大胆な解釈をしているとのことです。
※5月4日毎日新聞『源氏物語』特集より
今回、私は円地文子訳で読みましたが、訳語も美しく、
登場する女性の思いが現代の小説を読んでいるのと変わらないくらい、
しみじみと伝わってきました。
しかし、やはりこの文章の主語は誰だろう、と悩むこともあったし、
国文学を専攻している長女も、わかりにくいと言っていました。
(人生経験が少ないせいでしょう・笑)
他に、原作にそった現代語訳ではありませんが、
田辺聖子さん、橋本治さんなども独自の源氏物語を書かれています。
漫画では大和和紀さんの『あさきゆめみし』が有名ですね。
漫画でだいたいの登場人物とストーリーを把握してから、
現代語訳で読んでみる、というのもいいかもしれません。
これだけいろいろ選択肢があるので、
自分の好みにぴったりくる訳を見つけるといいですね。