「初代問注所執事 三善康信」三島義教 著
とうとう図書館から借りてくることができ、読むことができた!嬉しい!
九里氏に直接関係する記述はなかったが、
もしも「中原太郎蓮忍入道」が「富来中太蓮忍」であり、
その息がもしも常忍であったならば、
そして大田乗明(1222年(貞応元年) - 1283年(弘安6年))がもしも三善氏からの太田氏ならば、繋がっているはずなのである。三善康連の息なのだろうか?(3つも「もしも」が…)
その手掛かりが無いかなぁ~と思いつつ読んでいた。
気になったことは、
三善康信の母が「大中臣倫兼」の娘ということ+三善の系図の中の富来行倫の系に「倫」が付いていること。
「大中臣氏略系図」の中の那珂氏「経久」の父(経政)の部分に「時連」養子と書かれている事。(系図の中には「倫」の通字はない。)
この那珂氏の大中臣氏と三善康信の母である「大中臣倫兼」と何かしら関係があるのではないか?ということ。
乗明は三善康信の孫であり、康連の息ということだが、全ての息子の名前が系図にあるわけではなく、確かめることができないでいる。
(乗明は妙日という法名も持っている。)←メモ
~~~*~~~
乗明の姉と結婚し、妻を亡くした常忍は再婚したのだが、相手は橘氏であり日頂を産んでいる。
日頂上人(1252~1317)
建長4年(1252年)千葉で生まれる。父は伊予守橘定時。文永4年(1267年)に日蓮上人に帰依。母は富木尼御前と呼ばれた妙常。後に常林寺を創建。
~~~*~~~
富来常忍(富木氏)は、大中臣姓の那珂氏なのではないか?ということ。
☆富木蓮忍「中太蓮忍」と蓮忍の父「経任」と蓮忍の息「常忍」(祖父と同じ読み)
☆大中臣氏の二人の経久の存在。
☆賀茂氏の中の二人の経久の存在。
☆石清水八幡宮領の菅荘の経久。これは息が「太秦忠高」という人物である。(肥前左衛門経久)
☆深江蓮忍
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とうとう図書館から借りてくることができ、読むことができた!嬉しい!
九里氏に直接関係する記述はなかったが、
もしも「中原太郎蓮忍入道」が「富来中太蓮忍」であり、
その息がもしも常忍であったならば、
そして大田乗明(1222年(貞応元年) - 1283年(弘安6年))がもしも三善氏からの太田氏ならば、繋がっているはずなのである。三善康連の息なのだろうか?(3つも「もしも」が…)
その手掛かりが無いかなぁ~と思いつつ読んでいた。
気になったことは、
三善康信の母が「大中臣倫兼」の娘ということ+三善の系図の中の富来行倫の系に「倫」が付いていること。
「大中臣氏略系図」の中の那珂氏「経久」の父(経政)の部分に「時連」養子と書かれている事。(系図の中には「倫」の通字はない。)
この那珂氏の大中臣氏と三善康信の母である「大中臣倫兼」と何かしら関係があるのではないか?ということ。
乗明は三善康信の孫であり、康連の息ということだが、全ての息子の名前が系図にあるわけではなく、確かめることができないでいる。
(乗明は妙日という法名も持っている。)←メモ
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乗明の姉と結婚し、妻を亡くした常忍は再婚したのだが、相手は橘氏であり日頂を産んでいる。
日頂上人(1252~1317)
建長4年(1252年)千葉で生まれる。父は伊予守橘定時。文永4年(1267年)に日蓮上人に帰依。母は富木尼御前と呼ばれた妙常。後に常林寺を創建。
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富来常忍(富木氏)は、大中臣姓の那珂氏なのではないか?ということ。
☆富木蓮忍「中太蓮忍」と蓮忍の父「経任」と蓮忍の息「常忍」(祖父と同じ読み)
☆大中臣氏の二人の経久の存在。
☆賀茂氏の中の二人の経久の存在。
☆石清水八幡宮領の菅荘の経久。これは息が「太秦忠高」という人物である。(肥前左衛門経久)
☆深江蓮忍
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