九里 【九里】を探して三千里

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野田氏 (5) 六角氏頼の政界復帰 1354年 (前回の記事は間違えていました!訂正)

2022-05-03 | 九里バラバラ情報

六角氏頼は1354年に政界復帰しており、更に近江守護にかえり咲いていた。

という事は、野田氏は氏頼の許で働いていたことになる。

備中大夫判官家人野田氏で合っていたのだ。

良かった!

 

中世後期近江国蒲生郡下部・上部《境界地域》と佐々木六角氏(著 若林陵一)の論文に興味深い記述があった。慈恩寺は氏頼の母親の菩提のために建立した、とあった。

母親とは、長井時千の娘である。

長井氏は大江氏である。

以前書いた記事よりピックアップすると

大江宗秀は、父は長井時秀、母は安達義景の娘。
北条実時(金沢実時)の娘を妻とし、その間の子に長井貞秀がいる。
その他の男子に、長井時千長井冬時がいる。
時千は「ときゆき」というらしい。」

この長井時千の娘が氏頼の母親であった。

その菩提寺が慈恩寺であるという。

 

また、野田氏に関してだが、高嶋郡に「野田」という地名がある。

「永田」の近くでもある。

 

そして近江八幡にも長田と野田が程近くにあるのだ。

 

この符号は、意味があると思う。

そして金剛寺と金田は九里の所領があった場所である。

すぐ隣が野田氏。

 

そして、氏頼の母が大江氏。

永田胤信は千葉氏(桓武平氏)とのつながりを感じる。

 

つまりここにも、鎌倉からのつながりがあるのではないだろうか。

この辺りから、何か解き明かせないものだろうか。

 

 

 

 

 


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