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1169年の久利文書 鎌倉時代が抜けていて 1336年久利家文書が再び出てくる。(2)

2021-11-30 | 九里バラバラ情報

新しい情報に出会うとなんだか落ち着いて考えられなくなるので、もう一度、少々冷静になって考えようと思う。

 

平安時代の石見国と久利氏(=清原氏)が密接につながっていた事がわかった。

では、鎌倉時代には久利文書も見当たらず、久利氏はどうしていたのだろうか?

久利郷はそのままあったと思われ、しかも久利氏は南北朝に再度文書に現れてくることからも絶滅してしまったわけではなかった。

主だった活躍・活動は無かったのかもしれないし、一族が分れて残留組と幕府に入っていた、例えば、地頭として派遣されていた、または国衙在庁官人として他国でも活躍していた、など考えられるのではないだろうか?

特に富木常忍が日蓮の母親とも懇意であったことなども鑑みると「清原氏」とも近い関係にあったのではないかと思えもする。なので、この富木氏・九里氏(江州中原氏)も元は久利氏から始まったとか?あり得るような気がしてきた。でも、ココは重要なことなので、もっとじっくりと考えなくてはいけないと思う。

 

鎌倉時代に石見国に残っていた久利氏が気になるので、その頃の石見国周辺事情を調べてみると、

佐々木高綱1186)には長門備前守護へと任ぜられる。

また安芸周防因幡伯耆出雲日向などに恩賞地を拝領している。(wikipedia)

 

その後になるが、佐々木定綱(近江・長門・石見・隠岐守護)が、1193年(建久4)初代石見守護に補任(ぶにん)された、とコトバンクにある。

石見国は、頼朝にとっても先祖が国司に補任された大切な場所でもあると思う。

更に、範頼の裔は吉見氏となっていくが、其の吉見氏が石見国と関係が深い。

 

島根県鹿足郡津和野町中曽野614 石見国 鹿足郡

八幡宮 「應神天皇 仲哀天皇 神功皇后 仁徳天皇 大中姫命 高城入姫命 弟姫命 (配祀)源頼義 源義家 源範頼 源頼信 稻田姫命 大己貴命 少彦名命 稚産靈神 保食神 倉稻魂命 伊弉那岐命 伊弉那美命 火産靈神 軻遇突智神 吉見頼治 大年神 御年神 吉見三河守頼行 吉見頼直 吉見直頼 吉見弘信 吉見頼廣 吉見成頼 吉見頼奧 吉見隆頼 吉見正頼 吉見廣頼 吉見元頼 吉見廣行 大山祇神 高オカ命 闇罔象神 大仲姫命 天之忍穗耳命 天穗日命 天津日子 根命 活津日子根命 熊野久須毘尊 國常立神 素盞嗚命」

 

まだまだ、続く。

 

 

 

 


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